jiyouの日記

2008-02-01雪漆御書

 雪漆御書 

【ゆきうるしごしょ】

西山殿御返事

建治二年 五十五歳御作

 青鳧(せいふ)五貫文給い候い畢(おわ)んぬ、夫れ雪至つて白ければそ(染)むるにそめられず・漆(うるし)至つてくろ(黒)ければしろ(白)くなる事なし、此れよりうつりやすきは人の心なり、善悪にそめられ候、真言・禅・念仏宗等の邪悪のものに染められぬれば必ず地獄にをつ、法華経にそめられ奉れば必ず仏になる、経に云く「諸法実相」云云、又云く「若人不信乃至入阿鼻獄」云云、いかにも御信心をば雪漆(ゆきうるし)のごとくに御もち有るべく候、恐恐。

建治二年丙子

日蓮花押

西山殿御返事

2008-01-27妙心尼御前御返事

 妙心尼御前御返事 

【みょうしんあまごぜんごへんじ】

建治元年八月 五十四歳御作

 すず(種種)の御志送り給(た)び候い了んぬ、おさな(幼)き人の御ために御まほ(守)りさづけまいらせ候、この御まほりは法華経のうちのかんじん(肝心)一切経のげんもく(眼目)にて候、たとへば天には日月・地には大王・人には心・たからの中には如意宝珠(にょういほうじゅ)のたま・いえ(家)にははしら(柱)のやうなる事にて候。

 このまんだら(曼陀羅)を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく・子ををやのあい(愛)するがごとく・いを(魚)の水をたのむがごとく草木のあめ(雨)をねが(楽)うがごとく・とり(鳥)の木をたのむがごとく・一切の仏神等のあつまり・まほり昼夜に・かげのごとく・まほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし、あなかしこ・あなかしこ、恐恐謹言。

八月二十五日

日蓮花押

妙心尼御前御返事

2008-01-07在家の信心

 在家の信心 

【ざいけのしんじん】

松野殿御返事

 鵞目(がもく)一貫文・油一升・衣一(ころもひとつ)・筆十管(かん)給い候、今に始めぬ御志申し尽くしがたく候へば法華経・釈迦仏に任せ奉り候。

 先立(さきだつて)より申し候、但在家の御身は余念もなく日夜夕・南無妙法蓮華経と唱え候て最後臨終の時を見させ給へ、妙覚の山に走り登り四方を御覧ぜよ、法界は寂光土にして瑠璃(るり)を以て地とし・金縄(こがねなわ)を以て八(やつ)の道をさかひ、天(そら)より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏・菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば・我れ等も必ず其の数に列ならん、法華経はかかる・いみじき御経にて・をはしまいらせ候、委細はいそぎ候間申さず候、恐恐謹言。

建治三年丁丑九月九日

日蓮花押

松野殿御返事

追て申し候目連樹(もくれんず)十両計り給はり候べく候

2008-01-04色心の留難を止むる秘術

 色心の留難を止むる秘術 

【しきしんのるなんをとどむるひじゅつ】

 法華経本迹相対して論ずるに迹門は尚始成正覚の旨を明(あか)す故にいまだ留(るなん)かかれり、本門はかかる留を去りたり然りと雖も題目の五字に相対する時は末法の機にかなはざる法なり、真実一切衆生・色心の留を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり。

日蓮

四条金吾殿御返事

2008-01-03法華証明抄

 法華証明抄 

【ほっけしょうめいしょう】

【ほっけしょうみょうしょう】

 法華経の行者 日蓮 花押

 末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば法華経の御鏡にはいかんがう(浮)かべさせ給うと拝見つかまつり候へば、過去に十万億の仏を供養せる人なりと・たしかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給いて候を・一仏なれば末代の凡夫はうたが(疑)いや・せんずらんとて、此より東方にはる(遙)かの国をすぎさせ給いておはします宝浄世界の多宝仏わざわざと行幸(みゆき)ならせ給いて釈迦仏にをり向かいまいらせて妙法華経皆是真実と証明せさせ給い候いき、此の上はなにの不審か残るべき・なれども・なをなを末代の凡夫は・をぼつなかしと・をぼしめしや有りけん、十方の諸仏を召しあつめさせ給いて広長舌相と申して無量劫より・このかた永くそらごと(虚言)なきひろ(広)くながく大なる御舌を須弥山のごとく虚空(おおぞら)に立てならべ給いし事は・をびただ(夥)しかりし事なり、か(斯)う候へば末代の凡夫の身として法華経の一字・二字を信じまいらせ候へば十方の仏の御舌を持(たも)つ物(もの)ぞかし、いかなる過去の宿習にて・かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候・上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が・法華経計りをば用いまいらせず候いけれども・仏くやう(供養)の功徳莫大なりければ・謗法の罪に依りて貧賤の身とは生れて候へども・又此の経を信ずる人となれりと見へて候、此れをば天台の御釈に云く「人の地に倒(たお)れて還(かえ)つて地より起(た)つが如し」等云云、地にたう(倒)れたる人は・かへりて地よりを(起)く、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・たうれ候へども・かへりて法華経の御手にかかりて仏になると・ことわられて候。

 しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫・武士の家に生れて悪人とは申すべけれども心は善人なり、其の故は日蓮が法門をば上(かみ)一人より下万民まで信じ給はざる上たまたま信ずる人あれば或は所領・或は田畠等に・わづら(煩)ひをなし結句は命に及ぶ人人もあり信じがたき上・はは(母)故上野は信じまいらせ候いぬ、又此の者敵(嫡)子となりて人もすすめぬに心中より信じまいらせて・上下万人にあるいは・いさ(諫)め或はをどし候いつるに・ついに捨つる心なくて候へば・すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをど(威)さんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神め(奴)らめ此の人をなやますは剣をさかさ(逆)まに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまい(病)を忽ちになを(治)して・かへりてまほ(守)りとなりて鬼道の大苦をぬくべきか、其の義なくして現在には頭破(ずは)七分の科(とが)に行われ・後生には大無間地獄に堕つべきか、永くとど(止)めよ・とど(止)めよ、日蓮が言をいやしみて後悔あるべし・後悔あるべし。

弘安五年二月廿八日

下伯耆房