jiyouの日記

2007-10-01此経難持

此経難持

【しきょうなんじ】

四条金吾殿御返事

文永十二年三月 五十四歳御作

 此経難持(しきょうなんじ)の事、抑(そもそも)弁阿闍梨(あじゃり)が申し候は貴辺のかた(話)らせ給ふ様に持つらん者は現世安穏(げんぜあんのん)・後生善処(ごしょうぜんしょ)と承つて・すでに去年(こぞ)より今日まで・かたの如く信心をいたし申し候処にさにては無くして大雨の如く来り候と云云、真にてや候らん又弁公がいつはりにて候やらん、いかさま・よきついでに不審(ふしん)をはらし奉らん、法華経の文に解と説き給ふは是なり、此の経をききうくる人は多し、まことに聞き受くる如くに大来れども憶持不忘(おくじふぼう)の人は希(まれ)なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人はに値(あ)うべしと心得て持つなり、「則為疾得(そくいしつとく)・無上仏道」は疑なし、三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを持(たもつ)とは云うなり、経に云く「護持仏所属」といへり、天台大師の云く「信力の故に受け念力の故に持つ」云云、又云く「此の経は持ちし若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり』云云、火にたきぎ(薪)を加える時はさかんなり、大風吹けば求羅(ぐら)は倍増するなり、松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる、法華経の行者は火と求羅との如し薪と風とは大の如し、法華経の行者は久遠長寿如来なり、修行の枝をきられ・まげられんこと疑なかるべし、此れより後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給うべし、○恐恐。

文永十二年乙亥(きのとい)三月六日

日蓮花押

四条金吾殿