jiyouの日記

2008-01-03法華証明抄

 法華証明抄 

【ほっけしょうめいしょう】

【ほっけしょうみょうしょう】

 法華経の行者 日蓮 花押

 末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば法華経の御鏡にはいかんがう(浮)かべさせ給うと拝見つかまつり候へば、過去に十万億の仏を供養せる人なりと・たしかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給いて候を・一仏なれば末代の凡夫はうたが(疑)いや・せんずらんとて、此より東方にはる(遙)かの国をすぎさせ給いておはします宝浄世界の多宝仏わざわざと行幸(みゆき)ならせ給いて釈迦仏にをり向かいまいらせて妙法華経皆是真実と証明せさせ給い候いき、此の上はなにの不審か残るべき・なれども・なをなを末代の凡夫は・をぼつなかしと・をぼしめしや有りけん、十方の諸仏を召しあつめさせ給いて広長舌相と申して無量劫より・このかた永くそらごと(虚言)なきひろ(広)くながく大なる御舌を須弥山のごとく虚空(おおぞら)に立てならべ給いし事は・をびただ(夥)しかりし事なり、か(斯)う候へば末代の凡夫の身として法華経の一字・二字を信じまいらせ候へば十方の仏の御舌を持(たも)つ物(もの)ぞかし、いかなる過去の宿習にて・かかる身とは生るらむと悦びまいらせ候・上の経文は過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候いける者が・法華経計りをば用いまいらせず候いけれども・仏くやう(供養)の功徳莫大なりければ・謗法の罪に依りて貧賤の身とは生れて候へども・又此の経を信ずる人となれりと見へて候、此れをば天台の御釈に云く「人の地に倒(たお)れて還(かえ)つて地より起(た)つが如し」等云云、地にたう(倒)れたる人は・かへりて地よりを(起)く、法華経謗法の人は三悪並びに人天の地には・たうれ候へども・かへりて法華経の御手にかかりて仏になると・ことわられて候。

 しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫・武士の家に生れて悪人とは申すべけれども心は善人なり、其の故は日蓮が法門をば上(かみ)一人より下万民まで信じ給はざる上たまたま信ずる人あれば或は所領・或は田畠等に・わづら(煩)ひをなし結句は命に及ぶ人人もあり信じがたき上・はは(母)故上野は信じまいらせ候いぬ、又此の者敵(嫡)子となりて人もすすめぬに心中より信じまいらせて・上下万人にあるいは・いさ(諫)め或はをどし候いつるに・ついに捨つる心なくて候へば・すでに仏になるべしと見へ候へば・天魔・外道が病をつけてをど(威)さんと心み候か、命はかぎりある事なり・すこしも・をどろく事なかれ、又鬼神め(奴)らめ此の人をなやますは剣をさかさ(逆)まに・のむか又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか、あなかしこ・あなかしこ、此の人のやまい(病)を忽ちになを(治)して・かへりてまほ(守)りとなりて鬼道の大苦をぬくべきか、其の義なくして現在には頭破(ずは)七分の科(とが)に行われ・後生には大無間地獄に堕つべきか、永くとど(止)めよ・とど(止)めよ、日蓮が言をいやしみて後悔あるべし・後悔あるべし。

弘安五年二月廿八日

下伯耆房