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2006-10-31巳今当の三説 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

巳今当の三説

【いこんとうのさんせつ】

釈尊の教説を、法華経を中心軸に捉え、3つの説時に開いたもの。

巳説:法華経が説かれるまでの42年間に説かれた爾前の諸経のこと

今説:同時の経ともいい、法華経を指し、具体的には開経「無量義経」のこと

当説:当来の、法華経を説いた時点から未来をさし、「涅槃経」のこと

「法師品第十」に、「我が所説の経典、無量百千万億にして、巳(すで)に説き、今説き、当(まさ)に説かん。而(しか)も其の中において、此の法華経、最も為(こ)れ難信難解なり」とあり、法師品が説かれている法華経を、「今説き」と表現している。

《一代五時》

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2006-10-30三身 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

三身

【さんじん】

法身・報身・応身(身=じんと読むことも)のこと。各々に「如来」または「仏」をつけて読むこともある。

法身(ほっしん)とは法界の真理の法そのものであり、

報身(ほうしん)とは因行を修して仏果を得たところの智慧であり、

応身(おうじん)とは衆生の機に応じて出現する身をいう。

仏が入滅しても、真理の法や仏の智慧は当然のこと、衆生を救うという応身としての力用は常に存在しているというのが、日蓮仏法の姿勢。


諸法実相抄(1358頁)から一文を抜粋して、三身を説明すると、

10行目「宝塔の中の二仏並座の儀式※(宝塔=本門の御本尊の建立)を作り顕すべき人なし、是れ即本門寿量品の事の一念三千の法門(法本尊)なるが故なり、されば釈迦・多宝(を自由に使っていける)と云うも用(倶体倶用の義)の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座(おわし)候へ、経に云わく「如来秘密(体の三身=本仏)神通之力(用の三身=迹仏)」是なり、如来秘密は体の三身自受用身)にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備え給うと思ひしに、さにては候はず返って仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり」※()部、補足

とあり、この場合、「用の三身」=「神通力」とされているので、

神=法身、通=報身、力=応身となる。

尚、「諸法実相」を大聖人の御立場より拝せば、与えて言えば「法華経方便品」の哲学的解明であり、絶待妙よりこれを論ずれば三大秘法御本尊の異名であり、十界三千の諸法が南無妙法蓮華経に具足されきった御本尊の御相貌の御事となる。

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2006-10-29四悉壇 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

四悉壇

【ししつだん】

大智度論(大論)に説かれる、仏が衆生の成仏を成就させるための4種類の説法。

1.世界悉壇:衆生のさまざまな願い・欲望にしたがって説法し、聞く者を歓喜させ利益(りやく)を与えること

2.(各各)為人悉壇:衆生の性質・能力に応じて、それぞれに適した法を説き、善根を増長させること

3.対治(対悪)悉壇:三悪を対治するため、貪欲の者には不浄観を教え、瞋恚の者には慈心を与え、愚痴の者には因縁を観じさせること

4.第一義悉壇:真理をただちに説き、衆生を悟らせること。第一義悉壇以外の3種は全て仮の化導

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2006-10-28三説超過 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

三説超過

【さんせつちょうか】

法華経を已今当の三説と比較した場合、

天台・伝教大師の釈によると、已今当の三説(爾前・無量義・涅槃経)が全て衆生の機根に応じて個別に説法(対機説法)されたものであるのに対して、仏が仏の境涯(界)のままに自由に説法することを言う。

また法華経は主に釈尊悟り(生命の永遠性や十界互具など)を問わず語りに説法したため、無問自説とも随自意ともいい、上記の釈に基づけば、三説はいずれも九界の範疇出ていないため、法華経はこの範囲で論じられないとして、三説超過ともいう。

いずれにしても、どのような釈尊の教典によっても、法華経に至らなければ成仏は出来ないし、法華経を持っても大聖人の文底の一念三千の南無妙法蓮華経によらなければならないことから、この大聖人の仏法こそが究極の随自意無問自説の法であると言える。

随自意無問自説

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2006-10-27新尼 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

新尼

【にいあま】

当時の権力者であった北条氏と縁戚にあたる名越家の人。またその領地であった長狭郡東条の地名をとって、東条新尼という。姑を大尼といい、嫁を新尼というとされる。この嫁は剃髪した為に尼と呼ばれたともされる。信心は強盛であったとされる。

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2006-10-26言論問題 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

言論問題

【げんろんもんだい】

昭和44年暮れ(1969)から同45年(1970)にかけて吹き荒れた、創価学会弾圧の一連の動き。いわゆる「言論問題」「言論・出版妨害問題」ともいう。

きっかけ

前提として、当時の創価学会公明党の躍進に対する根拠無き恐怖心・警戒心、また敵意が特に政治家権力者に強くあったことは理解する必要がある。少なくとも昭和45年までの世間における創価学会存在意義を考えると、戦後のあらゆる既成権威・概念とそれらの弊害を打破する戦いが創価学会の指針の一つであり、政治分野においての公明党の位置付けであったことが事実の上で明確に窺われる。

それは草創期における猛烈な折伏推進による、世帯数の他宗より群を抜く伸長、「まさかが実現」と世間に認知させた選挙の躍進が、既成勢力に対しては、激しい敵意を抱かせる契機となったことは論をまたない。要するに創価学会の民衆運動は、宗教界にあってはぐんぐんと教勢を拡大する創価学会が嫉ましくもあり、脅威にも映り、下手にちょっかいを出すと教義・教理の上から徹底的に破折を加えられ、また政治家政党から見れば、莫大な(彼等からすれば)票田と組織力を擁する学会を支持母体に持つ公明党に対し、好ましからざる感情を抱くことになったのである。またこの図式は今日根本は変わらない。

さて、この所謂「言論問題」のきっかけは、昭和44年暮れの衆議院選挙最中から、藤原弘達が書いた『創価学会を斬る』(日新報道刊)や、内藤国男が書いた『公明党の素顔』(エール出版社刊)等の出版に対して、創価学会公明党から出版社に圧力がかけられたと、共産党が告発したことに端を発する。この、圧力が、学会の指示を受けた公明党が、国家権力を発動させ、上記書物の出版を妨害したことは、憲法で明確に言論・出版・表現の自由が規定されている日本において、およそ有得ない話であることは明白であるとして、事あるごとに迫害、弾圧に近い批判・中傷・嘲笑を受けてきた学会員が、ましてや選挙期間中に、明らかに躍進を阻む、学会批判の出版が発刊されたことについて、いささか神経過敏に、神経質な反応をし、あるいは出版社に対して抗議をしたとすれば、それは圧力ではなくて抗議である。


このような学会全体を取り巻く当時の社会状況の中で、先生昭和451月2日総本山副会長制を設けること、公明党との関係をはっきりさせていくことを提言された。

1月6日、反逆者の竹入義勝(当時委員長)が、毎日新聞で「出版その他についての取りやめに公明党が関与したり、竹入が自民党の実力者に働きかけて出版させないようにした事実はなく、選挙期間中であったので公明党についての批判、中傷に対する反論は避けた。藤原本については、あの内容では本といえないし、告訴を考えないわけではないが、大学教授政治評論家か知らぬがこのような悪口雑言だけの本の著者を告訴するつもりは当面ない」(趣意)と反論した。同日付けの毎日新聞ではまた自民党田中幹事長(当時)も「藤原とこの問題についてどうにかならないかと、話したことはあったが、公明党が私に(藤原本の)出版を抑えてくれと頼まれた事実はない」(主旨)と語っている。


矢野絢也の失態

そのうち問題は政党関係者だけではなく、民間団体等もこの問題を取り上げ、やがて国会で追及するという動きに進展し、民社、社会党なども加わり、騒ぎは大きくなった。この一連の状況下で、公明党が、社会一般の疑惑を晴らせなかったのは、矢野(当時公明党書記長)が1月16日記者会見で、出版停止の働きかけがあったかのような談話を発表し、竹入発言と異なる印象を国民に与えた為、却って疑惑を持たれる結果となり、公明党に対する批判は日ごとに厳しさをました。18日付けの毎日新聞社説では、「さきの総選挙野党第二党に躍進した公明党責任は重いのである。他から批判はいっさい許さず、これを封殺する、というような態度はとるべきではない。」とまで書かれてしまった。

事態は2月18日に至って、国会で究明されるところまで至った。共産党米原議員が、佐藤栄作首相に答弁を求める段階に発展したのである。以後、国会での追及は、自民党が深入りを避け、また野党各党も、それぞれの思惑があってかトーンに差が出始めたが、公明党の各党の質問内容に対する反論は結局、竹入・矢野の発言の相違がカギとなり、国民を納得させるまでには至らない。


野党の追及

ついに、2月23日衆院予算委員会で、社会党赤松勇が証人喚問を要求した。また民社党麻生良方、塚本三郎、共産党不破哲三等が言論問題を取り上げはじめた。

更に渡辺一郎国対委員長(当時)の1月11日学生部幹部会における発言を共産党は録音テープとして保持していること明かし、この問題を取り上げた某野党議員に脅迫電話がかかったという質疑を、民社党議員が電撃的に行う自体も起きた。※脅迫電話については、事実であったとしても、選挙期間中候補者にかかる場合もあるし、第一それが公明党支持者からの電話か、公明党を貶める目的で支持者以外の誰かが電話したのかという不明点は残るし、どの政党でも起こりうる問題であるにもかかわらず、このときは公明党の支持者が行ったに近い断定がされ、大々的に報道もされた。

確かにかつて、批判的な文章を書いた著者に対し、一部の支持者が激しい抗議をおこなったこともあったので、一種の信憑性も付加されて、批判の鉾先が創価学会の体質に対するものへと変っていき、国会の追及は日増しに激化し、ついには先生予算委員会参考人として喚問しようとの権力魔性が出来す事態となった。そのため、渡辺一郎国会対策委員長(当時)が先の言論問題に関する演説に対し引責辞任をする結果となり、創価学会公明党立場はますます苦渋を強いられるものとなった。また、言論問題をめぐって連日新聞公明党野党の攻防戦で賑わい、ついに民社党2月28日衆院予算委員会先生証人として委員会に呼ぶという究極的な局面にまで発展してしまう。


内部の紛糾から収束へ

このような状況の中で党内部においても、若手党員が幹部の姿勢に不満を抱き詰め寄る者も出た。その後、本会議、委員会でのこの問題についての証人喚問の招請等の事態は実現しなかったが、そかわりに、社会・民社・共産野党3党による「出版妨害問題真相究明議員集会」として、3月17日衆議院第1議員会館藤原本人が発言して、言論問題は一応収束をみた。


大宅壮一氏の藤原批判

この問題で学会は、マスコミ、著名な評論家から主に体質面で厳しい批判を受けたことは事実だが、この問題の火元となった藤原自身にも批判が出ており、大宅壮一氏は、『自民公明共産の三党ならびに藤原弘達氏へのわが直言』という評論の中で、「公明党言論弾圧事件は核心が忘れられている」として、「衆議院選挙の約1ヶ月弱前に発刊日とされたこと自体が、‘タメ’(=選挙戦秘密兵器)のものと思われても仕方ない」と指摘した上で、「藤原自身も言っているように、部下に口述したもので、そのまとめは出版社に一任したという安易なプロセスで書き上げられ、きわめてぞんざいであり、キワモノ出版といわざるをえない」(趣意)と批判し、「時期を弁えず自民党の幹部と合う為に赤阪に出かけること自体、本当の学者政治評論家のとるべき態度ではない。うまくいけばお買い上げ出版が成功したに違いなかったが、失敗した。」(趣意)と厳しい。

これに対し藤原は、『体験的マスコミ批判』で選挙前に2度にわたり赤坂に行き、田中幹事長と会ったからといって、それが即(学会批判の本の)お買い上げ出版の(密約を求める)話=言論買収につながるのか証拠がないではないかというような愚論を吹聴した。


敗北から価値を生む

この一連の流れの中で、学会はさまざまな教訓を得、以後それを発展の跳躍台に生かした。

まずマスコミの批判・中傷が重なれば重なるほど、学会員の順応性は強まり、一時のムキになって反論する姿勢がなくなり、寧ろ静かなる反撃をするようになった。

次に主に体質面で、第33回本部総会で打ち出されたように、時代に迎合するという意味ではなく(教義は教義として)、いつかは解決しなければならない、いわば宿題を、将来轍を踏まないためにも、言論問題を契機として脱却を図ったことである。


第33回本部総会

この期間、先生御自身が、青年幹部と積極的に会い、彼等の提案を聞いたり、時に「会長任期制」を御自身で提案されるなどして、如何にこの時期の先生の格闘、将来の学会の構想に対する思索が深いものであったか、21世紀今日、もう一度考える必要はあるだろう。学会世界宗教としての地歩を踏む前夜といえるこの時代、言論問題を契機として、以後の方向性を総括されたのが昭和455月3日、第三代会長就任十周年を祝し開かれた第33回本部総会である。

会長講演大要:

1.10周年の意義

2.言論・出版問題(法に抵触しないから良いという独善姿勢→道義的に考えていく。一般会員には無関係)

3.正本堂の本義(国立戒壇論の否定の再確認※実際は戸田先生の時に捨ててしまっていた)

4.創価学会公明党の関係(第三党といえば立派な大人。今後は学会の役職から外す)※

5.王仏冥合の原理

6.共産党に対する態度学会への攻撃には反撃しかないが、本来政党と同列次元で戦うものではない)

7.創価学会の体質問題(社会との断絶・軋轢を生まない)

8.70年代及び21世紀の展望

※後に先生は3,000人の議員学会で高位役職を兼任しているものが抜けたおかげで、中堅の若手が補充され、一気に10年若返ったといわれた。

社会蘇生大分化運動》

藤原弘達/第33回本部総会/退転/反逆者/反学会/師敵対/》

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2006-10-25民衆城の章 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

民衆城の章

【みんしゅうじょうのしょう】

2005年6月に掲載された、『新・人間革命』より、先生第一部隊長であられた時の、第2回青年部総会の結集に対する戦いと、檄文「我が親愛なる同志諸君に告ぐ」を配布する場面より。

以下抜粋


民衆城 二十一 

広宣流布のために断じて戦い抜こうとする強き一念の前には、逆境はない。すべての困難や悪条件は、闘魂の炎を燃え上がらせる風となる。

山本伸一は、思うように部員と会うことができないだけに、寸暇を惜しんで、皆に手紙を書き、激励を重ねた。

悩みを抱えたメンバーがいれば、深夜でも自宅に招き、全力で指導にあたった。

彼は、毎日の激闘で、床に入っても寝付けぬほど、心身ともに疲労困憊した。しかし、唱題と執念で、一日一日を乗り越えていった。

“今、戦わなければ、戸田先生の広宣流布の構想を破綻させることになる。そうなれば、終生、悔いを残すことになる。そんなことは、絶対にできない!”

伸一は「此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり」(御書八九二ページ)との御文を胸に刻み、日々、自己の極限に挑んだ。

彼のその真剣さと気迫は、第一部隊の青年たちに、大きな衝撃と共感をもたらしていった。伸一の姿自体が、最高の目標となり、指導となっていったのである。

第一部隊は着々と拡大を遂げ、この年の九月末には、伸一が部隊長に就任した時の二倍近い六百数十人の陣容となった。

その躍進にメンバーは喜んでいたが、七十五万世帯の達成を思えば、まだほんの助走を開始したにすぎなかった。

 十月半ばのことであった。

年末に予定されている第二回男子部総会に、各部隊とも部員千人を結集しようという目標が打ち出された。

それを実現するには、第一部隊としては、総会までの二カ月で、これまでの十カ月分に相当する、三百人以上の部員増加を成し遂げなければならないことになる。

皆に、無理ではないかとの思いが兆した。

その時、伸一から、烈々たる決意のほとばしる葉書が、各班長に届いたのである。

ある班長には、「班員を愛してください。そして、目標達成まで御本尊に祈り抜き、君自身が成長していくことです」とあった。

また、別の班長には、「班会では『青年訓』を徹底し、同志の意気を盛り上げよ」など、具体的な助言がなされていた。

民衆城 二十二 

御聖訓には「文字は是一切衆生の心法の顕れたる質なり」(御書三八〇ページ)と仰せである。

山本伸一は叫ぶような思いで、全精魂を込め、第一部隊の同志に、決起を促す便りを次々と書き送った。

わずかな間に、何通もの激励の手紙をもらったメンバーもいた。

山本隊長は、あれほど多忙ななかで手紙を書き、われわれの弱い心を打ち破ろうとしてくださっている。戦おう!断じて勝利しよう!」

同志は奮い立った。その息吹は、全部員波動し、拡大への燎原の火のごとき、大前進が始まったのである。

さらに、男子部総会の一カ月前にあたる十一月二十日、第一部隊の臨時の決起大会が開かれ、参加者に一枚の印刷物が配られた。

そこには、「我が親愛なる同志諸君に告ぐ」との文字が躍っていた。伸一が自費で作った活版刷りの檄文である。

檄文では、青年部の歴史をたどり、このたびの部隊一千人結集の意義を述べたあと、自らの決意を歌に託し、こう呼びかけている。

 学会

  先駆はくずさじ

    第一部隊

 生死を共に

    怒涛に進まん

そして、広宣流布の使命を果たすうえで、次の四つの心構えが必要であると訴えていた。

「第一に、ただただ御本尊を信じまいらせ、自分は折伏の闘士であると確信することである。

 第二に、教学に励むことである。

 第三に、行動にあたっては、勇気をもち、沈着にして粘り強くあらねばならない。

 第四には、学会精神を会得して自ら広宣流布の人材たらんと自覚することである」

 班長たちは、決起大会に参加できなかった人には、その檄文を配って歩いた。伸一の心を伝え、全員が呼吸を合わせ、同じ一念で進もうと必死であった。そこに、鉄の団結が生まれていった。

皆の闘志は燃え上がり、一千人の結集へ、一段と拍車がかかった。

最前線組織である各分隊にあっては、十人の結集をめざし、皆が一丸となって、メンバーの激励・指導に、また折伏に、奔走したのである。

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2006-10-24若き世代で新しい舞台開こう このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

若き世代で新しい舞台開こう

【わかきせだいであたらしいぶたいひらこう】

注:当時の政治状況、日蓮正宗創価学会としての、教義等、現在とは相違がありますが、ノーカットで聞き取り、可能な限り正確に文章化してみます。いずれ、何らかの形で音声をお聞かせ出来るよう努力致します。

以下本編

会長講演

5月の花曇りの本日、ここにもったいなくも、総本山より日達上人睨下のご来臨を賜り、また多数の御僧侶、ならびに近しい来賓をお招きいたしまして、一騎当千の代表幹部の皆様方と共に、第31回の本部総会を、楽しく、たくましく挙行できましたことを、わたくしは心から感謝申し上げるものであります。ありがとうございました。


本年は、昭和40年より47年の7年間にわたる第6の鐘の、ちょうど4年目に入ったわけであります。従って本年を境として、いよいよ後半戦に入ったことになります。わたくしも更に勉強し、元気で広宣流布の新しい舞台を切り開いてまいりますので、ご支援をよろしくお願いいたします。このときにあたり、私は恩師戸田先生が、立宗700年に詠まれた「恐るるな 仏の力は偉大なり 若き血潮に たぎらせて立て」また、

「信ぜかし 偉大の力は 御仏(みほとけ)ぞ 祈りのかなわぬ事はなきなり」との歌を思い起こすのであります。


今まさに、日本の広宣流布の爛熟期を迎えんとし、私共は、更にこの恩師の歌の通り、青年の若若しい信心、情熱、英知をもって、新しい時代を、新しい勢力で、新しい建設者として、あの、思い上がりと、邪悪な暗い、厚い壁に向かって、断固兆戦してまいろうではありませんか。


まずはじめに、総本山の現況について申し上げます。正本堂建立は、既に昨年10月12日に発願式をとりおこない、更に本年2月16日には、墓地の御遷座法要を行って、現在、新墓地の造成工事を着々を進めております。これは8月一杯で完了し、9月中には納骨堂をはじめ全墓地の移転を終える見通しとなっています。この墓地移転工事と並行して、墓地のすぐ横を流れている※おとうがわの河川付け替え工事も進めてまいります。そして昨年の建立発願式から、1年経た本年の10月12日、整備の完全に終えた正本堂の敷地において、事実上の着工式をおこのうはこびになったことを、ここに皆さん方に、謹んでご報告申し上げます。


この正本堂建設は、ご承知のごとく、ジョイント・ベンチャー方式がとられますが、この工事を行う六つの建設会社には、本年6月末に、最終的な正本堂青写真を渡す予定になっております。それから4年、昭和47年10月の完成を目指して、世界平和の洋々たる黎明を告げる法華本門の大戒壇が、建設されていくわけであります。各人が、どうか、わが身の無量の福運と、わが身の使命を達成せしことを、最大の誇りとして、更に朗らかに、そして威風堂々と、人生を謳歌しながら、新社会建設に前進してまいろうではありませんか!


なおわたくしは、去る昭和405月3日本部総会で、総本山大石寺の土地が、過去5年間に12坪から、64万坪にふえた旨を、ご報告申し上げます。その後、3年を経て、昭和43年度現在では、実に106万6682坪になりましたことを、あわせてご報申し上げるものであります。また寺院の数は、本日までに306々寺に発展いたしましたことを、共にご報告もうしあげるものでございます。私たちは、満66歳の誕生日を迎えられ、ますますご健勝であられる66世日達上人睨下のもと、さらに総本山にご報恩のまことを尽くし、また寺院建立500々寺の目標実現に、全力をあげて歓喜のご奉公をいたすことをお誓い申し上げようではありませんか。


(注)これだけのご奉公に邁進する信者一人一人を、正宗の僧侶は、全力をあげて大事にしていただきたいことも付言しておきます。

(注)昭和43年当時、既に宗門に対しては最低限の釘を刺していた。


次に、すでに聖教新聞にて存知とは思いますが、創価大学の設立を、当初の計画より1年早めて、昭和444月2日の起工、そして昭和45年中に第一期の工事を完了し、昭和46年4月の開校の目標で進めてあいりたいと思いますが、本日、皆さん方の賛成があれば正式にこれを決定させていただきたいと思います。賛成の方は手を上げて下さい。(ハイ)

それではこれで満場一致で可決します。

創価高校は、去る4月8日に第1期生の入学式を行って、輝かしい栄光へのスタートを切りました。この新入生が3年間の高校生活を終えるのが、ちょうど昭和46年3月になります。もちろん、創価大学が出来たからといって、創価高校卒業生が全員、創価大学に進学するとは限りません。総合大学としての構想は、規模も大きいのですが、最初は文科系の学部を設置し、学生数も、少数精鋭でスタートし、そして遠い将来、徐徐に理工科、医学部等を増設し、拡大していきたいと思っております。したがって最初は理工学部、あるいは医学関係を目指す人は、創価大学へ入ることはできないわけであります。いうまでもなく、教育は、次代の日本を、世界の動向を決定していく、最も重要な事業であります。しかし、これまでのわが国においては、政治家指導者達は、あまりにもこの問題に対して無関心であった。のみならず、却って教育を政争の具にしようとして、種々の干渉が強化されていく前兆すら見受けられるのであります。このままでいけば、大学教育はますます権威を失墜し、混乱し、無力化していく以外にないとわたくしは心配しております。


ここに、理想的な教育のあり方を具現し、ひいては、教育界の姿勢を抜本的に正していく資格と使命をもったものこそ、初代牧口会長戸田会長よりの深い思索と実践の伝統に生きた我が創価学会であり、創価大学であると確信せざるをえないのであります。。特に大学は、一国の文化の母体であり、民衆の精神文化の結晶でなければなりません。現在、名実ともに世界的な大学といわれているイギリスオックスフォード大学ケンブリッジ大学フランスパリー大学アメリカハーバード大学などは、いずれもキリスト教神学の研究を中心にして創立されたものであります。


もとより、歴史の経過と共に学問の自由が確立され、自然科学人文科学社会科学等の各方面にわたる学問進歩の結果、現在は神学研究は影がうすらいでおります。だが、こうした宗教精神伝統は、今尚大学構内に教会堂が設けられている事実学生達が食事の時間には、全員で祈りをを捧げるという姿のなかに、厳然と残されているのであります。キリスト教に対する宗教批判の問題は別として、ヨーロッパ大学がいずれもそうした精神的支柱をもち、崇高な理想を追求する使命感に貫かれてきたことは事実であり、そうしたなんらかの精神的支柱があってこそ、真の大学といえると思うのであります。翻って、わが国の大学歴史をみるに、ご承知のごとく、代表的な大学東京大学でありますが、その全身は旧幕府時代の洋学の中心である開成所と医学所でありました。それが維新後、政府直轄の教育機関として復興され、明治10年には合併して、法学文学、医学、理学の4学部で東京大学となったわけであります。その目的は、徳川300年の鎖国による遅れを取り戻すために、西欧文明を急激に吸収し、国家のために働く人間をつくりだすことにあった。したがって、本来の大学の崇高な理想精神とは、はるかに遠いものであったといわざるをえないのであります。この東大創立の後進性の考え方はは、現在東大にも依然として根強く残っているという教育者者もおります。その後、出来た、他の大学にも、同じようなことが、広く、深く浸透していると、またいわれておるのであります。わたくしは、東大、行けなかったもので、(その悔しさから)東大を悪口言っているわけではありませんから、東大生の方、今日だけは勘弁して下さいよ。


現在の、多くの大学教育限界を、わたくしはここに見るのであります。もとより、大学社会貢献し、世界の進歩、発展に役立つ人材を育成することを目指すのは当然であります。大学といえども、社会国家現実から遊離したものであってはならないことは、いうまでもありません。だが、真に役立つ人材とは、単に知識や技術に優れた人間ではない。それだけであっては、国家社会の巨大なメカニズムの一部を構成する部品にすぎない。真に望まれる人材とは、高い理念をもった、優れた人格者であり、豊かな個性を持ち、技術、学術を使いこなしていける想像的な人間であると考えますが、いかがでありましょうか。ここに、日蓮大聖人の立正安国の精神、色心不二の大哲学を根底とした創価大学を、わたくし共の手で設立する事の意義が、如何に大きいかということを、知っていただきたいのであります。


ただ、いかなる大河といえども、源をさかのぼれば小さな流れであります。松下村塾も小さな私塾でありました。しかし、吉田松蔭の教育は、明治維新の動向を決定したのであります。創価大学も最初は少数精鋭で、間口もあまり広げず、着実に、堅実に、基礎を固め、10年、20年、50年先を目指して建設を進め、そして21世紀への学術、知性、理性の開発に貢献できる人材育成の学府をつくりあげることが、最も私は正しい行きかたであると思っております。本年の初めにあたって、総本山でも申し上げましたが、今年は、近代日本黎明を迎えた明治元年、すなわち西暦1868年より、丁度100年にあたっております。この100年間の歩みを、どう評価するかという問題については、さまざまな立場から、種々の論議があると思います。だが、わたくしがここで述べたいことは、この100年という一つの大きい節を迎えて、日本民族はこれから先、いかなる道を歩むべきか、したがって、現在のいわゆる曲がり角に立っているといわれる、現時点というものを、どう捉えるかということであります。


ご承知のように、今、明治100年の論議を表に押し出して、復古調的な、反動的な機運を盛り上げ、右傾化の道をたどろうとしているのが、保守政党であります。それに対し、この呼びかけを、打ち破る論拠が、革新政党にはない。


何故ならば、一つの理由として、社会党にせよ、共産党にせよ、最高幹部は、いずれも明治びとによって、明治人によって、しめられているからであります。歴史の曲がり角にさしかかっているといわれる現代の状況について、私なりの考えの一端を述べるならば、その変貌しつつある実体とは、単に政治面だけでもなければ、単に、教育面だけでもない。日本の文化それ自体であり、その文化の根底をなす思想哲学であります。すなわち、あらゆる文化の担い手が、明治思想によって生きてきた古き人々より、戦後の新しい民主主義によって成長した、新しき人々に移りつつあることを意味していると思うのであります。わたくしは、この実態を世代の交代であると申し上げたわけであります。学会の主流は、昭和生れの青年であります。公明党議員も、大部分が昭和生れ、または大正生れの人々であります。更に学会には、学生部、高等部、中東部と続いております。この若さ、生き生きとした生命力こそ、真の革新であり、未来日本希望あふれるリーダーシップの象徴であると共に、新しき文化のの興隆の、力であるとわたくしは確信したいのであります。およそ文化と人間生命の開花であり、祭典であり、人間の心の中に高まる英知、情熱感動を具現した、価値創造の活動其れ自体であります。かつまた、それによるあらゆる資産意味するものであります。


したがって、文化の本質はあ、人間生命、精神の開発にあることは、当然なことになるのであります。文化を英語カルチャーというのも、耕すという意味であり、人間の心を耕す、その耕された、そしてまた成長した人間精神が、今度は外に向かって働きかけ、未開発の分野を耕して価値を生み出していく。そこに、文化の伝統と意義があることを象徴しているのであります。そして、この人間のの心を耕し、開発する思想哲学を、宗教というのであります。


トインビーが、マルキシズム宗教である、と断定しているのも、善悪は別として、マルキシズム宗教と同じく、マルキシズムなりに人間精神を変革し、作り上げて作用をもっていることをさして、このように言ったと思うのであります。今、明治以降、大正昭和戦前までの日本を考えてみますと、指導者は、民衆の心を国家主義の鋤で耕し、神道の種を植え付けていったということができるのであります。だが、それらの理念は独善であり、利己主義であり、世界に通ずる理念ではなかった故に、遂に敗戦という破局を招いたのであります。戦後日本民主主義国家として、いくら新しく生まれ変わったと叫んでも、その指導的任務につき、リーダーとなったのは、みな明治人であった。これでは、中身はそのままで、外側のレッテルだけ変えたのと同じであったといわれてもやむを得ない。今日は大変に明治の方に申し訳ないけれども、1日だけ勘弁して下さい。


新しき建物は、新しき材料で作らなければならない。わたくしは、新しき日本の文化は、新しき理念をもった、新しい世代が、一切の中枢となって創造し、改革し、担っていく以外に断じてないことを主張するものであります。


しからば、この新しき理念、哲学思想とはなにか、わたくしはこれを結論していうならば、日蓮大聖人の色心不二の大生命哲学であり、独一本門の大仏法哲理なりと主張したいのであります。御書に曰く、法華経は種の如く仏は植えての如く衆生は田の如くなりと。


人間生命の限りなく豊かな活力を発揮し、未曾有の大文化の花を咲かせていく根源は、妙法の種を、民衆の生命に植え、仏界、仏の生命という、本然の力を伸ばしていく以外にない。これは、抽象論でもなく、現実に1000万の人々が如実に証明しておるではありませんか。


よって、偉大なる文化は、偉大なる宗教の土壌があって、初めて芽生え、生育し、豊かに実を結ぶものなのであります。過去にも、釈迦の仏法を根底として、インド中国日本、または東南アジア諸国に、幾多の文化が栄えてまいりました。特に、日本文化の最初の黄金時代を現出した、天平、白鳳、飛鳥文化は、大陸より移入された仏教が、その源泉であったことは、有名な事実であります。くだって、貴族文化の極致を示した平安朝文化もまた、像法の法華経迹門の広宣流布を土壌として開花したものであります。こんにち、世界の大半を風靡している西洋文化も、キリスト教を根底にした文化であり、その他、アジアアフリカにあたがって、イスラム文化圏があり、東南アジアには小乗仏教による文化が根強く残っております。しかし、現在において、キリスト教イスラム教小乗仏教等は、いずれも、もはや青年の心を開発するなにものをももたぬことは、明白になってしまいました。ただ、大乗仏法にのみ心をひかれて、これを求める機運が、欧米青少年の間に高まっていることは、三大秘法広宣流布の時来る感を深くするものであります。


現代は大衆の時代であります。過去小乗迹門の文化は、王侯貴族や僧侶の文化であった。キリスト教を根底とする西洋文化も、所詮はブルジョワ文化に他ならない。マルキシズムは、これをプロレタリアートの手に移そうと意図したが、結果は、党及び官僚の、新たなる特権階級を助長したにすぎないようである。所詮、全民衆の基盤に立った、永遠に崩れざる大文化は、生命を奥底より開発する日蓮大聖人の三大秘法の仏法を根底として、初めて樹立さえるとわたくしは思うのであります。現在ベトナム戦争は、わずかながら和平の気配を見せ初めておりますが、本当の意味での終結にはmまだはるかに遠い感があります。いわんや、戦場はベトナムだけではない。中近東にも、ベルリンにも、朝鮮にも、いつ火をふくかわからない戦争の危機がひそんでおります。ある軍事評論家は、仮にベトナム戦争が今すぐ終ったとしても、おそらく今度は朝鮮で再び戦争が始まるだろうともいっております。


世界は、あまりにも不安定であり、破滅的危険が充満ンしております。こうして、通常兵器による戦争、抗争が行われている最中にも、頭上には恐るべき核兵器が、ダモクレスの剣のようにじっと待機し、全人類の生命を一瞬に奪い去ろうとしているのであります。この点については、小説人間革命』のなかで縷縷書いておきましたが、人類はもはや、戦争と平和の問題について考える場合、何よりもこの核兵器存在を無視することふぁ絶対にできないのであります。したがって私は、平和への提言の第一として、米、英、ソ、仏、中の核保有5カ国は、早急に一堂に会して、核兵器の製造、実験、使用を禁ずること、ならびに現在保持している核兵器を廃棄することについて、真剣に話し合いwpすべきである。そして、この会談実現の為に、最初の被爆国、我が日本は、平和を願う全民衆の総意を結集し、リーダーシップをとっていくべきであると訴えたいのであります。


これまでも、米英ソの、いわゆる核兵器先進国の間では、1963年に部分的核実験停止条約という、核に関する条約が取り決められております。だが、その条約の狙いは、核を、これら先進国の独占物としようとしてものでありました。また、現在国連舞台にして、米ソのリードで、核拡散防止条約という、一部お核兵器保有国に一方的に有利な不平等条約をめぐり、討議が行われております。


しかし、こんな中途半端なものではなく、今度は、全保有国が集まり、更に、そこに世界の原子物理学の権威者等も交えて、平和のために話し合ってもらいたい。わたくしは、これこそどんなに優れた兵器を開発し、装備し、あるいは集団安全保障体制を作るよりも、はるかに抜本的で間違いのない、自国の安全保障に通ずる有意義な仕事であるといいたいのでありますけれども、皆さんいかがでしょうか。


現在でも、戦争については幾つかの取り決めがなされております。例えば、毒ガスや細菌等を使用してはならないとか、捕虜虐待してはならない等は、国際ルールとなっています。これと同じように、なぜ核兵器禁止の申し合せをしないのか、こういいたいのであります。


戦争ほど悲惨なものはないし、しかもたとえ勝ったとしても、決して得をすることはないのであります。このことは、現在ヨーロッパの国々を見れば明瞭であります。欧州において、今、最も繁栄しているのは、第二時大戦で敗れたドイツであるといわれております。最も惨めなのは、戦勝国イギリスであります。また、戦争に直接関係しなかったスイスデンマークスウェーデン、なお一時、ナチに占領されたとはいえ、ノルウェーなどは、ひたすら国内の充実に力を注いで、恵まれた福祉国家をつくっております。イギリスにせよ、フランスにせよ、、第二時大戦では勝ったものの、その後もエジプトや、アルジェリアインドシナなどで、植民地維持のため民族主義弾圧の戦争を行い、莫大な国費を注ぎ込まなければならなかった。それが、大きい疲弊の原因であるともいわれております。


アメリカもまた、ベトナム戦争に膨大な金を注ぎ込み、国際収支の悪化から、ドルの権威の著しい失墜を招いていることは、周知の通りであります。こうした戦争経済性の問題はともかくとしても、我々仏法の立場から、生命の尊厳を守るために、断固、戦争を排除し、真実恒久平和を樹立することを強く訴えきっていこうではありませんか。


ここで、わたくしは生命の尊厳の問題について、その理念を明らかにしておきたい。およそこの世において、生命ほど尊いものはないし、いかなる財宝といえども生命なくしてはなんの価値もない。しかるにお、人類数千年の歴史を顧みるときに、まさに弱肉強食の(注、恐らくこの単語)闘諍(とうじょう)の反復

であり、平和を願い、生命の尊厳を叫ぶ声は、ことごとく無残にもふみにじられてきたのであります。これでは人類の姿は、こんにちなお畜生界の境涯から一歩も出ないといわざるをえないのであります。たしかに人間は緻密で、創造性にとんだ素晴らしい頭脳をもっている。また、幾多の発明、発見をもって、生活のの向上をもたらしてきたことも事実でありましょう。


だが、その反面、優れた頭脳が残虐な殺戮手段を生み出し、遂には人類30数億をいっしゅんにして抹殺する核兵器をつくりだすにいたったのであります。これこそ、土台となる人間精神面が全く貧弱であり、未開発のまま、その上に巨大な建造物を次々と継ぎ足して建てていった悲劇であるといわざるをえなのであります。2度にわたる世界大戦で、ほとんど全世界に及んだ殺戮破壊悪夢は、このゆがんだ文明の一つの現れであったと思います。かくして現代は、かつてないほど広く真摯に、人間生命の尊厳が叫ばれるべき時代となったのであります。もとより、人間性の尊重は、古今、幾多の賢人、聖人によってうたわれてはきました。しかし、それらはごく少数の人々にしか浸透せず、時代を動かす力ある思潮とはなりえなかった。信仰上の対立、民族間の反目、あるいは階級階級憎悪葛藤の嵐の前には、たちまちに吹き飛ばされてしまったのであります。


しかるに、現在は、もはや一部の人々の主張にとどまらず、多くの民衆に悲惨をもたらした大戦という現実を裏付けとした心のそこからの人間生命尊厳の叫びが、全世界のあらゆる階層よりわきおこり、時代を動かす力をもちはじめたのであります。わたくしは人類史の流れから見て、現代の時代的本質は、無知と貪欲に支配された悲惨と残虐の暗黒の世紀から、人間の英知と善意による平和と尊厳の栄光の世紀への偉大なる分岐点であるとみるのであります。否、核兵器の出現した今日、なんとしても我々の力で、仏法の力で人類の理性を呼び起こし、将来の人類幸福平和と安泰を築き、後世の人類から心より感謝されていく先駆の大法戦を遂行しておきたいのであります。そして、生命の尊厳の本源より自覚し、英知を磨いていく道は、おはや過去の観念論やまた観念的宗教や、偏狭な唯物哲学には絶対ありえないと思います。むしろ、これらこそ現代世界の対立と憎悪を招き、ますます危機を深めている根本原因になっておるではありませんか。


しからば、分岐点に立った現代をリードし、生命の尊厳の新しい世紀を築く思想哲学宗教は現代の世界のいずこにもないのかといえば、それは断じて否であります。わたくしはその実体がまさしく東洋、なかんずく日本にあることを全世界の民衆に一生涯叫び続けていきたいのであります。そして、それこそ大乗仏法の真髄たる日蓮大聖人の色心不二の大哲学、大宗教であることは論を待たない。今日にいたるまで日本人は、西洋文明を摂取することにのみ心を奪われてきた。そして、自分自身の内に秘められた偉大な珠玉に対しては振り向こうともしなかった。むしろ欧米の心ある人々が、漠然としてではありますが、この珠玉の存在に密かに心を寄せておったのであります。かのドイツの医学者ハンス ムフは、東洋仏法の中に、歴史を超越した不滅の哲学見出し、それを東洋人が見過ごしてきたことを指摘して、このように言っております。すなわち、大きなものは、それが圧倒的であるがために素通りしたというにすぎない。「大きなものは、それが圧倒的であるがために素通りしたというにすぎない。」と、まさにその通りであります。


名利をむさぼり葛藤に明け暮れた盲目の心にとっては、仏法の真髄は余りにも偉大であるがゆえに、この英知の光明を見ることも、とらえることも出来なかったでありましょう。だが21世紀のこんにち、人々の心の扉は次第に開かれはじめております。また、絶対に開かざるをえなくなってきております。そして、これまでじっと静かに時を待っていた生命の尊厳を説く大乗仏法の真髄は今、時を得て春爛漫の開花を見ようとしておるのであります。わたくしは、今こそ、まさに生命の世紀の夜明けと確信するものであります。


御書にいわく、「いのちと申すものは一切の財の中に第一の財なり、遍満三千世界無有直身命ととかれて三千大千世界にみてて候財も、いのちには、かへぬことに候なり」

また、可延定業書には「一日の命は三千界の財にもすぎて候なり」と申されております。三千界、三千大千世界とは、古代インド宇宙観の一つであり、現代の天文学の知識をもって考えれば、、銀河系宇宙に相当すると考えられるのであります。地球一個に含まれているあらゆる宝、富でさえ、測り知れないほどである。いわんや三千大千世界全体の宝、富といえば、その何100億、何1000億倍でありましょう。だが、それが、1個の人間生命にはかえられないとの御文なのであります。これほでの人間生命の尊厳を説ききった哲学宗教思想が、他のどこにありましょうか。この大生命哲学に気付かなかったが故に、人間は、過去数世紀にもわたって、生命軽視の風潮に生き、悲惨な流転を続けてきたのであります。今こそ人類は、従来の枝葉末節にとらわれた、本末転倒の考え方をかなぐり捨て、仏法を根幹として、真実の生命の尊厳観に立脚すべき跳躍の時を迎えたと私は叫びたいのであります。それこそ、過去のいかなる革命よりも、数千倍にも優る大変革であると思いますけれどもいかがでしょうか。


よって、妙法蓮華経の前には、身分的、階級的な、貴賎上下の差別も、人種的な差別も全くなく、一人一人が、かけがえのない尊い生命の当体であると申されておるのであります。この偉大なる仏法哲理と、その具現の方途が、実に700年前の日本に、日蓮大聖人の手によって、厳然を樹立されておったのであります。不思議にも大聖人御出現の13世紀といえば、西洋においても神の時代より人間の時代への変革が徐徐に始まった時代であります。十字軍の遠征、モンゴルの侵入等によって、外部の世界に眼を開かれ、それは、やがてルネサンスヒューマニズム胎動(注、大道か?)となったのであります。


今又、化儀の広宣流布の機熟し、日蓮大聖人の大仏法が日本にひろまり、全世界に次第に潮の如く流れ出しているとき、全地球上に、生命の尊厳の、新しきヒューマニズムをつくる声がわきおこってきていることも、不思議な時の一致といえましょう。先ほども、平和の問題で述べましたように、生命の尊厳を脅かす魔物の働きが、人類絶滅原水爆戦争として、私共の頭上に重々しくのしかかっております。だが、その本質は、人々の心の内部にひそんでいることも明らかであります。故に、この魔の生命を断ち切るものは、妙法の利剣以外には絶対にありえない。人間の善意と英知の勝利をもたらすものは、仏法を信ずる私共の努力以外は断じてないとわたくしは言っておきたいのであります。


今の世界は、右に左に激しく動揺を繰り返しながら、古き権威は滅び、、新しき時代を求めて急速に変化を示しております。こんにち、自由主義社会においてみ、共産主義社会においても、その内部に大きな変化が起こりつつあることは、誰の目にも明らかであります。自由主義世界におけるアメリカの威信は、ベトナム戦争、ドルの不信(注、不振か?)等によって急速に低下し、黒人暴動によって内部にはらんだ深刻な矛盾をさらけだしております。共産主義社会においても、かつてのソ連を中心とし、一枚岩を誇っていた国際共産主義は完全に挫折し、中ソ対立は更に激化し、あるいは東欧にも人間性を主張する自由化の波が高まってきております。まさに、時代は混沌としてきました。しかし、何らの理念、思想の基準のない眼からすれば、混沌としているように見えましょうが、この激動の世界も、人間性の哲理に根ざして、その底流を見抜く時、新しい時代への確固たる動きを、はっきり知ることができるのであります。わたくしは、これこそ、新しいヒューマニズムに根ざした中道主義への流れであり、潮が満ちてくるがごとく、第三勢力を待望する時代の推移であり、趨勢であると信じたいのであります。


わたくしは以前から、日本は第三勢力として立ち上がるべきであることを主張してまいりました。一昨年の青年部総会においては、全世界の期待する恒久平和実現の第三勢力となることこそ、我が日本の使命であると訴えてきました。また昨年の席上においても、これからの7年間は激動の時代であり、各国の指導者の交代も必定であり、勢力分布も大きく変動するだろう。だが、これらの激動、変動も、その底流は、ことごとく日本の王仏冥合、世界の広宣流布へむかっての激動であり、変動であることを確信したいと申し上げました。しかして、徐々にその通りの時代の展開が、現実に進行しているようにわたくしは思いますけれども、いかがでしょうか。これひとえに、日蓮大聖人の御予言の通りであり、時のしからしむる所であるといいたいのであります。


かかる観点から、このたびの参議院選挙を意義付けるならば、この戦いこそ、日本に、第三勢力の台頭を決定付ける決戦であり、中道主義を磐石ならしめる、試練の戦でもあります。


昨年の総会の時話したましたように、党執行部では、(全国区候補者の推薦は)11人とか13人ぐらいは出せるかもしれないという考え方があった。しかし、わたくしは、それを抑えて、9人推薦に絞ったわけであります。情勢がいかに厳しいかは、今日になっていよいよ明瞭であります。それゆえにこそわたくしは、この全国区9人、そして地方区5人は、なんとしても勝ってもらいたいし、また、勝たせたい気持ちで一杯であります。そしてまた、そのとき同時に、全国区の得票数を昭和40年の509万票から、3割増しの最低6,50万票前後の獲得を目指して進んでいきたいむねをお話しておきました。その目標実現の為に、更に力強い前進をしてまいりたいと思います。いろいろとご苦労があると思いますが、体を大切に、事故なく、また我が同志のため、法の為、社会の為に勇んで進んで戦って下さるよう、お願い申し上げるものであります。


話は変わりますが、エンタープライズ佐世保寄港問題、倉石発言を頂点とする防衛論議等を通じて、公明党左傾化しているというような観測が、一般になされていますが、それについて、もう一度確認をしておきたい。最近政府自民党が急速に右傾化を強め、再軍備そして戦争への道を進んでいることは周知の通りであります。この露骨な右傾化をくいとめるためには、野党が力をあわせて戦っていく以外にない。公明党はこの決意に立って、野党の結束の要として戦ってきたのであって、公明党の基本路線としての中道主義の本質は、いささかも変わったわけではないのであります。中道主義を端的にいうならば、それは人間主義ということであります。もともと人間は1個の調和の取れた円満なる生命の当体です。すなわち、人間生命それ自体が中道であるといえるのであります。例えば、私共は暑い時には上着を脱ぐ。寒くなれば着る。だが、人間の体自体は変わらない。人間生命それ自体が中道であるからであります。


ある学者資本主義だの、共産主義だのというのは、上着を着るか着ないかというようなものだといっておりmした。寒い冬空のもとでは、上着が必要な場合もある。これを共産主義にたとえている。だが、暑い夏や暖かい部屋の中では、かえって暑苦しくて、脱ぐほうが快適である。これを資本主義にたとえている。しかるに、何が難でも資本主義でなければならないとか、逆に共産主義でなければならない等といっているのは、そうした気候、環境の条件を無視して、根本的には人間性を無視して、暑い夏に上着を着せたり、寒い冬に裸で過させたりするのと同じという意味だと思います。資本主義といい、共産主義といっても、究極は民衆の幸福を如何にして実現するか、どうすれば社会の繁栄をもたらすことができるかということが目的である。社会制度は、所詮、その目的を達成するための手段に他ならない。


我々が中道主義を提唱し、既成勢力に挑戦して、漸次(注、時か?)、革命を進めておりますが、これは決して資本主義共産主義と同次元のものではない。それらの対立を止揚するものであり、政治経済社会、文明の根底に、人間性の尊重、生命意尊厳の確固たる基盤を築いていくためのものであります。既成の勢力は、この根底を忘れ、、資本主義共産主義、あるいは科学文明という、本来は手段に過ぎないものを、究極の目的であるかのごとく錯覚してしまっているのであります。この錯覚によって、人類は知らぬ間に人間生命の軽視、民衆不在の政治人類滅亡の科学という、悲しむべき事態に陥ってしまったのであります。日蓮大聖人の御書には、中道の意義を、「有無に非ずして而も有無に偏して」と説かれております。この有無、あるかないかという言葉を左右という言葉に置き換えて読めば、左右にあらずして、しかも左右に偏してということになります。


この一方にあらずして、しかもどちらかに偏していくという中道意味は、本質においては、どちらにも片寄っていないのであります。具体的には、時に応じ、機い応じて、自在につかいこなしていくことになるのであります。結局、資本主義のために人間があるのでもなければ、共産主義のために人間が使われるものでもない。逆に資本主義共産主義も、人間のため、民衆の幸福のために使われていくということが、最も正しい行き方であると思うのであります。このほか、科学芸術経済法律等も、全て人間生命から出発して、同じく人間生命に帰着していかねばなりません。それが中道主義であり、この中道主義こそ最も根源に立ち戻った、人類不変の願望ではないでしょうか。


したがって、中道主義の政治を、リンカーン言葉をいいかえて一言にしていうならば、「人間の、人間による、人間のための政治」であり、更に、こんにちの日本の政治に約していうならば、国民不在の政治国民の手に取り戻す政治であり、真実民主主義平和を守り抜く政治なのであります。現在、世界において、デンマークスウェーデンが最も社会福祉制度が完備した国とされておりますが、その底に流れる思想は、キリスト教的博愛主義であります。私共は、更に根底的な仏法の生命の尊厳の哲学バックボーンとして、物質的にも、精神的にも、最高に充実した、全世界の規範となる大衆福祉の新社会を、まず日本の国に建設しようではありませんか。


この理念、思想の裏付けを究明しようとせずして、ただ平面的に眺め、ちょっとした現象のみをとらえて、右によったとか、左に傾いたとか批判しているのは、あまりにも浅薄であり、無認識な評価といわざるを得ないのであります。戦前昭和の初頭に、左翼勢力が非常に勃興したことがあります。しかし、それがかえって国家権力と結んだ極右勢力に口実を与え、大規模なる左翼弾圧が行われて、いわゆる極右軍国主義の暴走を招き、日本は亡国の悲運を味わっておりmす。こうした姿は、日本ばかりではなく第1次世界大戦終了時に、ドイツあの有名なキール軍港の水兵の反乱に始まり、ベルリンにも革命が勃発し、あわや社会主義革命が成就するかに見えた。これは極右から極左への動きであった。それが再びナチスの出現によって、極右へと向かい、結局、亡国への道を歩んでしまったのであります。


同じような動きは、イタリアにもみられた。1920年労働者の大規模なストライキが行われた。もしも、当時のイタリアに、ロシアにおけるボルシェビキのような、革命的な政党があったならば、そしてまた、レーニンのような指導者がいたならば、社会主義革命は成就したであろうといわれている。だが、わずかの間に、ムッソリーニの率いるファシズムが天下をとり、同じく亡国へと向かったのであります。このように、極右から極左へ、極左から極右へ揺り動いていく不安定な政情が、どれほど危険な要素を含んでいるか、歴史は、まざまざと、私共に明示してくれているのであります。これに対し、イギリスアメリカでは、チャーチルあるいはルーズベルトの指揮のもと、比較的、穏健な中道的な基盤ができあがっており、そのために、安定した力を発揮し、遂にファシズムの毒牙を打ち砕くことができたと考えられるのであります。


これを歴史的教訓として、戦後日本を見る時、同じく左翼の勃興があり、それに対する右翼勢力の台頭がおきております。あたかも時計の振り子のように揺れ動いて遂に破局に陥った戦前のあの苦い経験を、再び繰り返してはならない。そのためには、我々は民衆の総意、すなわちナショナルコンセンサスに立脚した、しかも左右の対立を止揚する中道主義の政治を、日本の将来のために、厳然と確立していかなければならないと思うのであります。時代は、まさに三国志の様相を呈してまいりました。保守政党曹操率いる魏とするならば、革新政党孫権の呉であり、公明党王道を樹立せんとして立った劉備玄徳の蜀といえましょう。今、右傾化を強めている政府自民党に対し、日本民族を誤った方向へ暴走させないためにも、社共と連係していくことは大局からみてやむをえない。あたかも、蜀が魏の横暴に対抗するために、呉と組んだようなものであります。だが、劉備玄徳、諸葛孔明らの心は、どこまでも正道を確信した王道を樹立にあったごとく、我が公明党は、一時的には左よりになったように見えても、根底的にはあくまでも中道の大道を歩んでいるのであります。そうして、歴史の進展のなかにおいて、中道主義の公明党こそ、真に全国民に安泰を導き、また、全国を正しくリードする政党であることが、全民衆より、一日も早く理解されていかんことを、わたくしは心より祈るものであります。


減劫御書に曰く、「大悪は大善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」云々と。こんにち、大悪とはまさしく全人類を滅亡においやる核兵器の出現であります。これこそ、大悪のなかの大悪であります。「閻浮提内広令流布はよも疑い候はじ」とは、日蓮大聖人の世界広布への偉大な予言であり、絶対の確信であります。大聖人ご在世当時は、交通も不便であり、また物情騒然たる時代であり、人々の心も、虎狼の如き、殺伐たる状態であった。日本一国のことを考える人はおろか、少しでも人のために尽くすような人、そしてまた指導者も皆無であった。この時代に、日本の安泰のみならず、かくも雄大なスケールで、全世界の安泰と平和を訴え、予言された大聖人の御本仏の大境涯は、ただただ驚嘆する以外にないのであります。しかも、その世界広宣流布の偉大な予言は、今や時代の鏡となり、うしおとなって、時と共に燦然たる光彩を放っているではありませんか。


総本山第26世、中興の祖、日寛上人は、立正安国論をはじめとする3度の国諌について、大聖人の御予言が、ことごとく的中したことに対し、暫時筆をおいて紅涙白紙を点ずと感涙されております。今、妙法流布に生きるわたくし共の胸にも、日蓮大聖人の大慈悲、大確信の念念がひしひしと伝わってくる。しかもこの偉大な予言を実証するわたくし共使命と福運を思う時に、紅涙したたる思いなのであります。


今、新世紀の水門は、音を立てて開かれつつあります。その主体、そしてその本流こそわたくし共、学会員宿命であり、今世の唯一の使命なりと決意していただきたい。すなわちわたくし共の強気一念が、個人をを変え、社会を変え、更に世界までも見事に変えていくことを強く自覚して、再び苦難の道を、先駆の道を、雄雄しく、わたくしと共に、前進していただきたいことをお願いし、最後に皆様方のご健康とご一家のご繁栄を心よりお祈り申し上げます。長時間、有難うございました。


以上、約1時間弱









※資料によって、御塔川と判明

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2006-10-23二十四文字の法華経 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

二十四文字の法華経

【にじゅうよんもじのほけきょう】

法華経常不軽品第十九にある、「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏」の計二十四字の経文の事。

様々の分類法があるが、所謂、法華経には、この経文の二十四文字の法華経釈尊出世の本懐法華経二十八品の法華経三大秘法の南無妙法蓮華教たる大聖人の法華経等に大別される。


『御義口伝』(764頁に)、「御義口伝に云く此の廿四字と妙法五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり。」とある。

三因仏性

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2006-10-22小樽問答 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

小樽問答

【おたるもんどう】

昭和30年 03月11日北海道小樽市にて日蓮宗身延)と創価学会で行われた法論。

経緯は小説人間革命』に詳しいが、当時日蓮正宗信徒を守る立場から、また法門の正邪を糾す上からも、本来ならば受けて立つべきところを回避した歴史事実は時が経つにつれて明白となっている。

登壇者は、身延側の司会者は分からないが、身延側は長谷川R某、室住I某

学会側は、司会は池田先生、論者は、小平芳平教学部長、辻武寿氏

身延側は陰陰たる題目から始まり、時間が進む程に司会・論者共に学会側に破折されつくされた。

学会側はまず先生に司会からして度肝を抜くような進行で、冒頭まず、先生が破折。この時点で勝負は決した観があった。終了の弁は、「以上、解散!」で見事に終了。

今、その先生の司会の弁を紹介すると、

身延側の開会の辞が終り、開会5分頃先生が司会開始)

(大拍手

「エー、学会の、司会を致します、池田と申します。」

(大拍手

「全国にわたりまして※、※1日蓮正宗の、仏法の正しい、所以によって、全国にわたる、間違った、邪教と、言い切れる、日蓮宗身延派の信者が、何千、何万と、創価学会日蓮正宗の信者になったということは、実に、日蓮正宗が正しいという証拠であります。」

(大拍手

「従って、今、身延派では、その、身延信仰が、あくまで、日蓮大聖人様に対する敵であり、仏敵であり、それに続き、日蓮正宗の仏法のみが、経文の上でも、哲学の上でも、事実の現象の上でも、正しいという証拠の故に、身延をやめて、日蓮正宗信徒になったのであります。」

(大拍手

「故に、故に、その状態にやっきとなって、今、身延派は、あの手、この手を使って、大衆を誑かせ、日蓮正宗の誹謗を、なしておる状態が、こんにちの結果になったと思うものであります。」

(大拍手

「されば、されば、わたくしも、身延本山に行って参りました。あくまでも日蓮大聖人様が、日蓮が魂をすみに染め流して書きて候ぞ、信じさせ給え。そう申された、ご意志に背き、身延本山そのものが、全体が、稲荷を拝み、蛇を拝み、或は小乗の丈六の釈迦を拝み、その、雑乱ぶりたるや、※2狂態どうそである観を覚えたのであります。」

(大拍手

「世間では、身延山が、あくまでも、祖山であるというふうに考えておりますが、身延と、日蓮正宗との、法の勝劣は、厳然たるものであり、未だかつて、大聖人様の真髄たる、日蓮正宗の仏法が、身延などの、邪宗邪義に負けておるわけが絶対ないのであります。」

(大拍手

本日、ここに、日蓮宗、また、わが、日蓮正宗創価学会教学部の、小平芳平氏、それから、辻武寿氏が、身延の、権威者であられられような、お方と、対決、だが、(実際は)法論をする状態によって、皆様は明らかに、如何に、日蓮正宗が正しく、如何に、日蓮宗身延派が、邪道であるかということが、はっきりなされることを、思う次第でございます。」

(大拍手

学会教学部の先生方の、ご紹介を、わたくしから致します。」

拍手

「こちらに、おられるのが、創価学会、教学部、小平芳平先生でございます。」

(大拍手

「こちらに、おられのが、やはり、教学部、辻武寿先生でございます。」

(大拍手

「どうか、先ほど、身延派の司会者が申されましたが、司会者の、間におきましても、絶対に、審判は司会者の権限にあり、また、法論の、しっかりした正邪というものを、あくまでも、おとりしたいと考えておりますし、また、場合によっては、皆さん方の、賛否の状態も伺いたいと、存じております。」

「どうか、これから、両講師の、お話に入りますけれども、よくよく、お聞き願いたいと思います。簡単でございますが、ご挨拶(以下聞き取り不能)」

《付記》※文中の「、」部は基本的に、先生が師子吼された、気迫の込もった言い切られた部分を「、」で表した。

※1日蓮正宗創価学会として、外護の時代に行われた法論であった為、厳密には現在学会の教義と違う表現があるが、内容を削除すると流れが掴めない為、そのまま文章化した。

※2実際の記録には違う表記である可能性も考えられる。

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2006-10-21三因仏性 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

三因仏性

【さんいんぶっしょう】

正因・了因・縁因の三因仏性をさす。

自行の辺からこれを解釈すると、

「正因」とは、御本尊であり、

「了因」とは御本尊に対する信のことであり、学会活動といえる。

「縁因」とは、発心下種であり、折伏をさす。


“働き”という観点で見れば、

「正因」とは、宇宙の一切がもともと備える仏界の生命をいい、

「了因」とは、その仏界を覚知する智慧の働きをいい、

「縁因」とは、正しい対境に縁することにより、了因仏性の智慧の働きを助け、正因仏性を開発する働きをいう。或は信心せざるを得ないような、動機を作ることをいい、御本尊の事を思い出さざるを得ない自覚を促す作用といえる。

不軽菩薩

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2006-10-20青年部第2回総会 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

青年部第2回総会

【せいねんぶだいにかいそうかい】

草創期の青年部の会合(男子部総会)のしおりから



男子青年部第二回総会

昭和二十八年十二月二十日(日)

午前十一時集合(厳守)

会場 星薬科大学


式次第

一、青年部歌合唱 指揮 森田隊長

一、部隊旗入場

一、開会の辞   第三部隊 小峰班長

一、青年

一、男子青年部闘争経過報告 森田隊長

一、分隊長代表決意     第一部隊

一、隊長代表確信      第二部隊

一、研究発表

(イ)第一部隊 日本民族の伸びゆく道

(ロ)第二部隊 一昨日御書を拝読して

(ハ)第三部隊 邪宗教の行方

一、部隊長訓諭 北条隊長

一、昭和二九年度闘争命令 竜作戦参謀

一、昭和二九年度闘争方針 北条隊長

一、研究発表

(イ)第四部隊 唯物論と唯心論の矛盾性について

(ロ)第一部隊 真の文化国家は正法によって確立せん

(ハ)第二部隊 今は小僧たりとも必ずや

一、幹部紹介 幹部長幹部全部班長壇上 牛田部長

一、幹部の心得について        牛田部長

一、班長代表決意 創価学会青年部無かりせば 第三部隊

一、幹部室代表 第四部

一、青年部の自覚 池田隊長(※注、池田先生

一、地方部隊代表確信 第五部隊

一、研究発表

(イ)第三部隊 資本主義経済共産主義経済をかく指導せん

(ロ)第四部隊 御遺戒を命として進まん

一、第五・第七両部隊長の挨拶

一、男子青年部長訓示

一、青年部長訓話

一、来賓祝詞

(イ)石田部長

(ロ)小平教学部長

(ハ)柏原指導部長

(二)小泉筆頭理事

一、会長訓話 戸田先生

一、宣誓  池田隊長(※注、池田先生

一、閉会の辞 原田幹事長

一、学会合唱

(イ)桜花 竜部隊長

(ロ)同志の桜 池田隊長(※注、池田先生

(ハ)同志の歌 北条隊長

(二)学会歌  牛田部長

(ホ)五丈原の歌 辻部長

一、退場式

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2006-10-19我が親愛なる同志諸君に告ぐ このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

我が親愛なる同志諸君に告ぐ

【わがしんあいなるどうししょくんにつぐ】

池田先生第一部隊長であった時に烈々たる気迫で青年部第二回総会に戸田先生のもとへ結集しようと師子吼された檄文。「憂国の志士総結集せよ」とセットで配布された。

※当時の自体は古字体であるので現代漢字に訳し、また原文の内容を文意にそぐわない限りにおいて一部略します。


本文

我が親愛なる同志諸君に告ぐ

生ける歴史が積り来(きたり)齢は高し三千年、遠くは印度に仏法始まり、日本には欽明天皇の御代に始めて仏法が渡ったのである。そして七百一年にして日蓮大聖人、建長五年三大秘法の題目を唱えられ、今に七百一年を過ぎんとしている。今や日本は如何なる状態にあり、我等は何をなすべきか。此(ここ)に奇しくも創価学会が末法大折伏師匠として戸田先生を頂き、決然をして広宣流布の大闘争に起(た)ったのである。我等は先生親衛隊としてこの大偉業に参加出来たことは何たる名誉であり、果報者であろうか。唯々歓喜の涙で一杯である。

顧みれば昭和二十六年七月、青年部は辻部長を先頭に、牛田男子部長と部隊組織を以って発足し、我が第一部隊は石田隊長中心に部隊員僅か四、五十名で出発したのである。次いで九月二十六日には戸田先生より青年訓を賜り、我等は使命の重大なるを感じ、決意を新たにしたのである。そして十二月三十日、元旦にかけて七百年祭をひかえて男子青年部二百名が本山に登山し、大御本尊様に広宣流布大願成就の誓言をし、二十七年を迎え、四月七日学会総会において第一部隊旗が授与されたのである。第一部隊の名こそ、この記念祭をひかえての大闘争に勝ち得た名誉と誇るものであり、七百年祭には我が第一部隊百五十名部隊旗を先頭に大願の決意を胸に大御本尊様に御目通りしたのである。そして記念祭において獅子身中の虫である小笠原慈聞追放の狸祭事件を起し、ここに男子青年部の存在新たにしたのである。五月には中西部長中心に教育、作戦、内務の幹部室出来、七百年を期して青年部は闘争態勢を整えたのである。

二十七年を通観するに一大闘争を展開したのは狸祭である。事件後問題が波及して、法律問題にまでなったが、最後には青年部の勝利に終り、青年部なくしては広宣流布成し難しの感を深くしたのである。部隊員も三百名に増え、種々なる闘争の歴史を創って一年間を終った。

二十八年初頭、突如として石田隊長小岩部長に就任し、不肖私が第一部隊長として就任し、以来一年にならんとしている。五月には第一回の青年部総会を行い、部隊百傑組織態勢の充実を計り、対邪宗※R会B宗闘争と青年部は七百一年の足跡を残しつつある。そして本年初頭に戸田先生より部隊一千名同志獲得の命令下(お)り、その命令んじ応えて、第一部隊は前進に前進をして来たのである。現在にして十班二十五隊百分隊九百余名であり、闘争は余すところ一ヶ月有余である。同士諸君よ、青年部の歴史をふりかえってみれば第一部隊の存在と意義を知るであろう。目標完遂も諸君一人一人の闘争に懸(かか)っているのである。第一部隊員諸君闘おうではないか。そして七百一年の花を美事に咲かせようではないか。

(筆者注、和歌

学会の先駆はくずさじ第一部隊

       生死を共に怒涛に進まん

同志諸君、我等が使命こそ重且大である。我等が何をなすべきかは青年訓に明示されている如く三つの戦である。

第一は本尊流布の戦である。第二は邪宗撲滅の戦である。第三には自分自身の人間革命である。斯くしてこの戦を完遂するためには次の如き四つの心構えを必要をするのである。第一には唯々御本尊を信じ参らせ、自分は折伏の闘士であることを確信することである。第二に教学に励むことである。第三に行動にあたっては沈着にして強く、第四には学会精神を会得して自ら広宣流布の人材たらんと自覚することである。

隊長として諸君に望むことは青年訓を熟読玩味し、我等の使命を認識し、我れ立たずんば広宣流布成し難しと完爾と獅子王の如き強盛なる信心をもたれきことである。我等青年これ新らしき世界の創造者である。

我々は偉大なる革命児としての資格をもっているのである。この資格を絶対捨ててはならない。

大聖人様の御弟子として、又戸田先生旗本として、第一部隊諸君の棟梁として、もったいなくも大御本尊様にこの身命を捨つる決意である。

(筆者注、和歌

東洋今救出に起つ第一部隊

       我が同志(はらから=ルビ原文ママ)よ完爾と進まん

時はすでに七百二年を迎えんとしている。この時にあたって男子青年部は十二月二十日星薬科大学講堂において大総会を開催するのである。これこそ部隊一千名結集の日である。久遠の姿そのままに妙法流布の若武者の勢揃いである。諸君この総会には全員参加しようではないか。何故ならばこの日こそ七百二年の大闘争の革命児としての名誉を荷(にな)える日なのである。そいて七百二年の折伏大行進の出発の日でもある。

第一部隊同志諸君よ、我々は唯々前進あるのみである。光輝ある第一部隊旗の下一千名結集しようではないか。

昭和二十八年十一月二十日

第一部隊長  池 田 大 作

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2006-10-18伝教大師 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

伝教大師

【でんきょうたいし】【でんぎょうだいし】

日本天台宗の開祖(767-822)。諱(いみな)は最澄

幼少期から出家まで

もと大陸系の出自で、父・三津首百枝(みつのふひとももえ)の先祖後漢の孝献帝の子孫、登万貴(とまき)王であるが日本を慕って帰化

幼少より聡明で12歳で出家し、19歳の時比叡山に登山。20歳にして具足戒を受戒。以後法華経・金光明経、一切経を学び、思索、その後天台三大部に巡り合い、その奥義を極める。

31歳の時、桓武天皇によって、内供奉に列せられる。延暦21年(802)36歳の時に和気弘世(わきのひろよ)の懇請で、彼の氏寺である高雄山寺において、天台三大部の講演会を行った。この講演会には当時の南都六宗の代表的な学匠十余人も参加し、天台教学に対する考えを発表したが、ここに伝教との優劣が明白となって、桓武天皇は講演の成果を評価し、一方において南都六宗を責めたという。またこの事が天台宗独立の契機となったという。

留学

延暦23年、還学生{(げんかくしょう)=現在の国費留学生}として当時の唐に赴き、妙楽大師の門下にあった、道邃(どうずい)、行満(ぎょうまん)から天台法門である、一心三観・一念三千の奥義を授けられた。特に、道邃からは大乗の菩薩戒を授けられるなどして、この度の入唐は多大な影響を伝教に与えた。

帰朝と迹門戒壇建立

帰朝した翌延暦25年(806)、天台宗開創の公許を得たが、旧勢力の南都派との対立が強まったが『照権実鏡』を著して法相の得一を論破し法華最勝の義を高揚。更には迹門円頓の戒壇の建立を上奏するも、またしても南都側の強烈な反発にあい、破折のために『顕戒論』で反論した。しかしながら、それでも大乗戒壇の建立は生前には許可されなかった。

相承と入滅

その後、一切を義真に相承し、弘仁13年6月4日(822)、56歳で入滅。仏法上は天台大師の後身(化身)ともいわれ、生涯、桓武・平城(へいぜい)・嵯峨天皇の帰依を受け、大乗戒壇(迹門戒壇)は入滅後7日後に許可された。

著書

『註法華経』『守護国界抄』『法華秀句』

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2006-10-17有漏 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

有漏

【うろ】

「無漏」に対する語。「漏」は排泄の意で、煩悩のこと。仏法上では煩悩のあるものを「有漏」、ないものを「有漏」という。

《対:無漏》

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2006-10-16礼楽 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

礼楽

【れいがく】

礼・楽・射・御(馬車を駆ること)・書・数を六芸(りくげい)というが、儒家では理想の政治をする不可欠な条件として、特に礼楽を扱っている。

この場合、礼によって道徳的に社会の秩序を維持せしめ、楽によって人間の情操を養い、感情の融和を図れると考えた。従って、音楽といっても、芸術的な立場によるものではなく、礼儀の形式的補助作用として用いられたに過ぎない。

儒教

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2006-10-15維摩経 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

維摩経

【ゆいまきょう】

方等部の経。羅什三蔵訳の『維摩詰所説経』が有名。大乗を持つ非常に裕福な在家の弟子である維摩詰が声聞の小乗観を破すところに主眼がおかれる。

【付記】読み:方等(ほうどう)とも

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2006-10-14第31回創価学会本部総会 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

第31回本部総会

【だいさんじゅういっかいほんぶそうかい】

昭和435月3日東京の旧日大講堂で行われた第31回本部総会

当時は各部の総会、定例の本部幹部会、そして年に1回、5月3日本部総会が行われた。そこで行われる会長講演は、全世界の会員のその年の指針であるだけでなく、社会においても創価学会の年間の動向を知る機会を得る会合であった。


所謂「言論問題」までの昭和40年代前半の池田先生会長講演は、正本堂建立、創価大学設立、公明党の躍進、そして、750万世帯完遂に向けての時期であった為、今を大河とするなら、激流のような、凄まじい一念で全学会、会員を指導せんとの烈々たる息吹に溢れたものであり、まさにこの時期の構想と指導(講演)と行動で広宣流布の時を作られたと思われ、今日から見れば、その後の一連の学会を取り巻く事件の数々はその先生の構想を理解出来ず、且つ付いて行くことが出来なかった敗残者の怨嫉から惹起したものと言えよう。


当日の会長講演「若き世代で新しい舞台開こう」では、第6の7つの鐘の闘争過程で必ず魔が出来することを、「あの、思いあがりの、邪悪な既成勢力の厚いカベに断固挑戦して参ろうではありませんかー!」と暗に(一往自民党と一部の民社と思われる)宗門の高僧に対して、民衆を守る立場から獅子吼され、実際に、「これだけの外護の誠を尽くす学会員を、正宗の僧侶は、全力をあげ大事にしていただきたい」と言及されている。戸田先生晩年は御書講義の中で、坊主は生意気だ!と平気で言われておられるので、悪しき権威・権力との決別は、歴代会長の避けては通れないものであった事は決して忘れてはならない事である。


さて、式次第は以下の通り

会長就任8周年を迎えて

正本堂建立と世界平和

日本の進路と公明党

王仏冥合の大勝利

代表抱負

特別御講演(66世日達

理事長挨拶

会長講演(若き世代で新しい舞台開こう

《第32回本部総会-輝ける未来社会建設折伏こそ人間回復の大思想運動)》

質問です質問です2009/01/06 19:54三月に初孫が生まれますが、「お宮参り」はどのようにすればいいでしょうか?

久保田久保田2010/04/30 13:05私は人として許されない事をしてしまいました。そんな時は如何したら縛りから逃れ開放されるのでしょうか、教えて下さい。私は創価大学の人間です。

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2006-10-13報恩抄 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

報恩抄

【ほうおんしょう】

「五大部」の一つ。建治2年7月22日身延において御述作。

建治2年3月16日、初期の修行期を過ごされた清澄寺における旧師、道善房が逝去した。その報せを大聖人に入ったのが6月であった。『報恩抄』は、この道善房にたいする報恩謝徳の意を込めて著された書。

この人物は不甲斐なく臆病であったが、一度師恩を受けた師僧である。本文に「浅はかな師匠であるけれども、死去の報を受けた時は、火にも入り、水にも沈み、走って墓に参って読経したい」(趣意)と述べられ、旧師の死を悼む、一人の人間としての大聖人の姿が浮き彫りにされている。

本来ならば、御自身が直接回向したいところであるが、世間には自分は遁世の身に移っている故、不本意ながらも差し控え、代りに認められたのが本抄である。

本抄は弟子の日向に託し、兄弟子であった義淨房、淨顕房のもとに届けさせたのである。この日向は、小松原の法難の後、房総方面の弘教につとめていた折、得度したと伝えられている。また同年2月正月清澄の同志の人達を教誨するために著された『清澄寺大衆中』を読み聞かせよと託された人物でもあることから、日向が自分の出身地の安房方面の指導的役割を担っていたと窺われる。

義淨房、淨顕房は、まず本抄を日向を読み手として、嵩が森の頂上で2、3遍読み、次いで墓前で1遍読み、以降日向に預けて常に本抄を聴聞学問することを指示だれている。二人はこの言い付けを忠実に実行し、故人の為に本抄を読み、回向を行い、この事を大聖人は大変喜ばれ、後年礼状を送られたのが、『華果成就御書』である。曰く「さては建治の此(ころ)・故道善房聖人のために二礼かきつかはし奉り候を嵩(かさ)が森にてよませ給いて候よし悦び入って候」(900頁)と。

尚、古来他門においてこの場所を、「山高き森」と読む向きもあるが、これは甚だしき誤読であり、「嵩が森」と解釈するのが正しい。

大意

長文の御書となるため大意を要約すると、

1.報恩は人間として当然であり、

2.『開目抄(上巻)』に「父母の家を出(い)でて出家の身となるは必ず父母をすくはんがためなり」(192頁)とあるように、真実の報恩は、寧ろ世間の恩を捨てて仏道に入る事であり

3.大聖人御自身の修学の旅のありさまが縷縷述べられ

4.三時を洞察し、釈尊→天台→伝教t仏教の正統が受け継がれてきた事を明かされ

5.御自身における受難の歴史をかえりみ、これを妙法根本立場より、真言密教が他国侵逼、亡国の原因であると主張に帰因すると説かれる

破折の順序としては、

浄土宗→禅宗→律宗→真言宗となるが別しては真言を責破されている。特に真言密教(真密)を導入して日本天台宗の正統を破壊した慈覚・智証を厳しく論破された。

上記の論理佐渡以降顕著にあらわれており、本抄にも『法華経勧持品』の如説修行とその結果を示され、佐渡赦免直後の第3次国諌後の、文永11年5月に身延入山の経緯を記述されている。

これらの御難わもとより御覚悟の上であったが、これらの難を顧みず弘通をされたのは、父母・師匠・三宝・国の恩に報いる為であり、身口意で弘通した功徳によって、父母も道善房も救われたであろうと、末法の御本仏としての報恩をあかされたのである。

三大秘法の開顕

撰時抄』で明かされた「時」とは、末法における弘通の時期の到来であり、いわば三大秘法広布の序分の役割であったが、部分的にではなく『御書五大部』で三大秘法義が整足されきった姿で説き顕せられたのは、本『報恩抄』以外にはなく、これは画期的な出来事である。『報恩抄送状』に「此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ」(330頁)とあるのがこれである。

妙楽が「脱は現に在りといえども具(つぶさ)に本種を騰(とう)す」と釈したように、およそ釈尊、その他の仏菩薩悟りの核心には必ず南無妙法蓮華経が存在している。

ここでは延山入り直後に著された『法華取要抄』に「本門の本尊と題目の五字となり」(336頁)と三大秘法の名言があるが省く。また、三大秘法の個々の義についての説明、受持即の観心についても省く。

一閻浮堤に未曾有の、三大秘法の南無妙法蓮華経を弘めるにあたっての大難はひとえに末法の一切衆生の様々の苦を全て我が一人の苦とされる大聖人の大慈大悲の故に他ならず、末文の「日蓮が慈悲日廣大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし日本国の一切衆生盲目をひらける功徳あり無間地獄の道をふさぎぬ此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか」(329頁)と、妙法弘通の功徳が烈々たる思いを込めて明かされている。一往は、この功徳は道善房に帰せられてはいるが、再往、元意の辺においては末法の衆生、万機万縁であることはいうまでもない。

総結

主題の報恩の、「恩」については、仏法上の恩に対する考え(菩薩の実践規範である慈悲の精神が基本)が

本抄を読む上で肝要である事は明白であるが、『四恩抄』(937/938頁等)や経典では『心地観経』により詳細なので省略するが、代表的な恩の概念についてまとめると、

即ち、縁起観を基とする他者との関りのなかで生れる恩。

三徳との関連から生ずる恩。

或は三宝に対する恩。

が基準となるが、ここでは、報恩の本質は、『華果成就御書』の「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり」(900頁)との、「法」そのものに絶対性をおいてのともどもに「法」に向かって進んでいく同行の関係に着目する。即ち、弟子が師匠の理想、指導原理を後継し。師匠よりさらにその目的に近ずき、目標を達成し、結果として、法による功徳を師に及ぼすことが、師への最大の報恩となる意が、本抄の主眼と思われる。但し勿論、人間が平等にこうむっている四恩を知り、報恩の術を知る事が前提で、その上で正しい師匠をいただき、恩を報じていく中に通じては父母・民衆・社会への恩を還元していく事につながることはいうまでもない。この実現こそが、現代世界のあらゆる危機的状況から人々を救うという最高の価値創造が含まれていると確信することが、『報恩抄』の核心である。

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2006-10-12撰時抄 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

撰時抄

【せんじしょう】

「五大部」の一つ。建治元年6月、身延において御述作。

文永の役(文永11年、第1回蒙古襲来)の翌年、当時の不安定な社会状況、時代背景のもと、御述作された。

大聖人の御弘通の基本原理は、「立正安国論」であった。更に、「開目抄」において、御自身が末法永遠救世主たることを明かされ、「観心本尊抄」において、末法に弘まるべき法体「一閻浮堤第一の本尊」を示されたが、本抄は、その三大秘法広宣流布の流通分への確信をとる為に、弟子に託した未来記といえる。

冒頭に、「仏法を学せん法は、先ず時をならうべし」とあるように、およそ仏法を行ずる者は、まず「時」を習わねばならないと根本姿勢の標榜が、本抄の主題である。

仏教において、流布する上で勘案すべきことを示したものに、「宗教五綱」があり、それぞれ大事ではあるが、撰時抄においては、「時」をもっとの重視している。

何故ならば「機」というのは民衆のそれぞれおかれた環境、、条件に推移して変化するものであり、それに対し「時」は「機」よりも更に深く、生命の本質に脈打っているものであるからである。

「時」の仏法的概念

「時」の本質は、民衆の機の深層に流れる生命のリズムであり、意識するとしないとに関らず、生命が厳然と感知そている宇宙自然の運行も含めた偉大なるリズムと言い得、この上から時を知ることが全てを知ることになる。故に、「聖人知三世時」に「聖人と申すは委細に三世を知るを聖人という」(974頁)と仏の特質として挙げられている。

「時」は一切の事象を包含してしまうので、一面時代の力ほど恐ろしいものはないし、一個の人間の力では抵抗しようもないことも事実であるが、時の流れをこのように運命的なものとのみ把握するのであれば、人々は絶望し、無常の人生を歩むだけとなるが、「時」の実体を知れば、ただ時の流れに恐れおののき、拱手することはないはずであり、「時」に迷うことはなくなる。

また釈尊は「大集経」で、滅後未来の時を5つの500歳に区分して、それぞれの時代の特徴を定めた。この原理は釈尊の説いた仏法の力が時代を経るにしたがって、いきおい衰微していく過程をといた仏教史観であり、実際の歴史にも符合している。本抄では、各々の時代の民衆の機に応じた智者が出現し、その時々の正法が流布した事実が述べられている。

「大集経」によれば、

1.第1の500年を解脱堅固

2.第2の500年を禅定堅固

3.第3の500年を読誦多聞堅固

4.第4の500年を多造塔寺堅固

5.第5の500年とそれ以降を白法隠没、闘諍言訟と区別し、

1,2の1000年間を正法といい、この時代には、迦葉・阿難によって小乗教が、また竜樹・天親等の人師によって権大乗教がひろまった。

3,4の1000年間を像法といった。この時代は像、すなわち形・形式・様相が主体となる時代で、中国天台、日本伝教が出現して、文上法華経が広宣流布したが、中国では唐末、武宗の代に外道道教)が用いられた為に中国の文明は衰退し、日本では一時平安文化が栄えるも、以後日本天台宗内部の腐敗・堕落によって、貴族・形骸化し、並行して社会自体も終末の様相を呈し始め、平安末期から鎌倉時代へ流れ込んでいく。

5.以降を末法という。五濁が強盛で悪世という時代相を形成していく。その内容は、「立正安国論」にくわしく述べられている。

立正安国論」と本抄との相違点

「五大部」の中でも「立正安国論」では、当時の三災七難の原因は思想宗教の濁乱にあることを指摘され、その根本解決の方途を随自意立場から強く「立正」を叫ばれた。

曰く「汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰えんや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊(やぶ)れんや国に衰微無く土(ど)に破壊(はえ)無くんば身は是れ安全にして心は是れ禅定ならん」と、時の権力者に対して謗法を断ち、妙法の信仰をすることによってはじめて社会平和文化を打ち立てられることが出来るという原理を教えられたものであったが、「撰時抄」では、そもそもこの末法という時代こそ南無妙法蓮華経が興隆し広宣流布する時であり、それが時代の流れであると定めておられるとし、その大法を弘め、民衆、社会に覚醒の力与えていく大聖人は一切衆生に対する三徳具備の教主である、という「時」と「三徳」の2点を明かす事が、「撰時抄」の元意であった。

また「立正安国論」では社会の悪化の一凶を念仏と定められたが、本抄においては、念仏の流布を権教の題目の流布とされ、権教の題目が流布された以上は、実教の題目たる南無妙法蓮華経が流布することは間違いないと言い切っておられる。これは五綱の「教法流布の先後」に約して、妙法流布の歴史的必然性を示された。

「佐前・佐中・佐後」

御書五大部」を、1.御流罪以前「立正安国論」 2.御流罪中「開目抄」「観心本尊抄」 3.御流罪後「撰時抄」「報恩抄」で枠組むと、御弘通の在り方と破折の対象に明確な立て分けがあること分かる。これを、師弟と順逆の広布に約せば、大聖人の慈悲の行動に対して、時の社会・民衆・幕府が報いたのは死罪・流罪といった王難であった。これは師の戦いであり、逆縁広布とみなすと、すでに御在世においてすでに広宣流布は実現したといえるし、以後の弟子の戦い、順縁広布を弟子に託されとのが佐渡流罪以後の御弘通のありかたであった。

次に破折の対象であるが、「撰時抄」前半において、正像末における印・中・日に及ぶ克明な仏教史のインセンティブをつけている。その次に当時の日本に充満している災に3あるとし、念仏、禅、真言宗の3宗を破しておられる。前述のように「立正安国論」では一凶を念仏としたが、「撰時抄」では特に別して真言宗を、念仏、禅とは似るべくもない大僻見と定義されている。

流罪以前、大聖人の破折の鉾先は専ら念仏・禅に向けられ、以後は主として真言へと変化してきているが、では始めから真言に対する破折については全くお考えになられておられなかったのか。確かに、「立正安国論」とほぼ同時期に著された「唱法華題目抄」(1頁)、「守護国家論」(36頁)を見ると、寧ろ真言宗天台宗を同等に扱われているような趣さえある。が、既に建長5年(1253年)の立宗時点で「真言亡国」と明確に言及されていることからも、ここには「所破・所顕」の二義があり、大聖人の「時を選取しての所破の次第」であったと拝される。「三沢抄」に、「此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時あことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ(内内)申すならばひろう(披露)してかれら(彼等)し(知)りなんず、さらば・よもあ(合)わじと・をもひて各各にも申さざりしなり」(1489頁)と、実際には以前から真言を社会民族の滅亡の元凶として、公場対決のよって理論闘争の決着をつけようと考えられていたことが伺われる。真言破折こそ御一生の他宗破折の完結であり、従って佐渡以降、もっぱら真言を破折し、三大秘法の仏法を顕したのである。さらには一念三千の実体である大御本尊の建立にあたって、台家から一念三千の義を盗み取って自宗の教義であるかのように宣揚し、騙った真言の誤りをただし、真実の一念三千の法門を世に知らしめんがために、本抄において、真言を「極邪宗」と痛烈に破折を加えられたのである。

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2006-10-11開目抄 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

開目抄

【かいもくしょう】

「五大部」の一つ。文永9年2月、佐渡塚原にて四条金吾並門下一同に与えられた。

上下巻にわたる大著で、特に本抄を「人本尊開顕の書」、「観心本尊抄」を「法本尊開顕の書」と称し、古来宗門の二大柱石とされてきた。

開目の義

主師親の三徳具備の末法の御本仏を正視出来ない原因は一切衆生が低劣な権教に執着することにあり、その盲目を破ることが主眼であったことから題号を「開目」とされたと拝される。いうまでもなく、今日、九界即仏界の原理から、また地涌の菩薩責任と自覚から三徳を備えた全体人間現実の生活の中で、三徳を反映させる(仏知見を開く)為には、御本尊に対する”信”が絶対の要件である。

本抄の位置 

「五大部」でも「立正安国論」は時の最高権力者に与えられた国諌の建白書であるため、論理構成、文書表現上からも、時間をかけられ、最大の努力をはらわれ、二年有余の歳月をかけて完璧を期されたが、本抄ではわずか数ヶ月のうちに一気呵成に書き上げられ、自身が末法の御本仏としての「主師親の三徳具備の救済者」という烈々たる御内証を自由闊達に外面上は流罪の身で、佐渡という極限の状況でいわば仏法を弁えぬ他者からすれば最低の地獄界の中で文章として表現されておられる。

碩学、日亨上人は、「筆舌に尽くせぬ大法難の最中、深縁の門下に、筆紙に窮乏になかから、遺言的にしたためられた重書であるから、信読、身読にあらざれば、奥旨に達することができぬ」と述べられている。

竜の口の法難

また御振舞いの上においては、佐渡流罪以前の御立場上行菩薩の再誕であるのに対し、竜の口以降、自受用報身の再誕としての立場を明らかにされた大聖人のお姿こそ、まさに本地であり、末法随一の南無妙法蓮華経を御所持された、最も根本の御仏(御本仏)としての御振る舞いは、御所持の三大秘法の妙法を説ききって、法体を確立し、一切衆生根本的救済への道へと導く佐渡以降の御活動の主体となった。

三沢抄に「法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」、(1489)とあるように、まず上行菩薩として鎌倉において厳しい現実社会を直視し、苦悩にあえぐ民衆を救い、社会を変革するという、地涌の菩薩としての主体的・能動的な御振舞いをされきって、全民衆に希望を与えるという今日の我々の行動原理を自らの死をかけて、当時の鎌倉社会、民衆、幕府に示され、結果松葉々谷の法難、伊豆流罪、小松原の東条景信による迫害、竜の口、そして佐渡流罪と言語に絶する難を受け切られて後、上行菩薩としてのご自身の使命を全うして法華経金言を証明し、そして佐渡の地において実際に人・法本尊を開顕されて、以降は三大秘法御本尊の開顕と確立、後継の弟子の育成に入られたのである。

建立本尊と退転の恐れのある弟子への警告

上述のように三大秘法の大御本尊の御建立に先駆けて、取り分けてまず御自身が末法下種の人本尊であることを鮮明にする事が、必要不可欠の要請となっていた事が伺われる。更には鎌倉在の弟子中には、法華経行者であるはずの大聖人に、何故、諸天の加護なく、難が出来するかという門下にとっての最大の疑問に対し、法華経「勧持品」「安楽行品」「常不軽品」等の経釈を挙げ、逢難と謗者無現罰の理由を明かされる。本文にも、「此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば、処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」とあり、ついには諸天の加護を求めない、広布、令法久住への非常に厳しく、且つ強靭な御自覚と御決意を披瀝される。

対告衆

竜の口の法難の際、自ら不惜身命の精神で大聖人につき、また顕本を遂げられた一部始終を直に見たのは四条金吾の他になく、「開目抄」の精神を理解することは他の門下には困難であったからと思われる。又それらの者の大聖人に対する疑惑・動揺は大きく、信徒の代表格で中心者的存在であった四条金吾に一切の疑いを解明した本抄を与え、疑いを晴らし、結束を固めさせる目的と考えられ、この事は本抄末部の補完を目的に著されたとされる、「佐渡御書」にも同様の理論があてはめられる。最後に、当時の仏教一般の慣習で、僧俗の役割分担の上から、在家信徒によって実際の社会に仏法思想が広まる方程式があり、特に大聖人は民衆の救済・蘇生に眼目をおかれたので在家の代表として、御配慮されたものと思われる。

《報中論三/正在報身/事顕本》 

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2006-10-10五綱 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

五綱

【ごこう】

教・機・時・国・序、(教法流布の先後)の宗教五綱(又は五教・五義とも)のこと。大聖人が用いられた正法を選択するための教相判釈。個々の教判については竜樹・天親、天台・伝教等の論師が正法弘教の条件として経典の位置付けを示されてはきたが、それを総合して五網として論じられたのは大聖人が始めてである。

大聖人の御立場より五綱を配せば、

“教”とは、南無妙法蓮華経であり、教を知る為の基準としての「文・理・現の三証」、「五重の相対の法門」である。

“機”とは末法の衆生の機根であり(教を受け容れて修行し証得する衆生の能力)、

“時”とはその衆生を救わん為に報身顕本された末法という御出現の時をさし、

“国”とは御出現された日本国であり、

“序”とはこの日本で、如何なる仏教流布の過程を辿ったかという歴史観の上より、三大秘法の南無妙法蓮華経の大法以外の正法・正義はないとのお立場となる。

三大秘法に次ぐ重要な法門として大聖人独自の三証・五重相対を浮かび上がらせる為、教から順を追ったが、円融三諦の妙法であるので、五綱いずれの観点からアプローチして判じても、全ての条件に叶い、唯一合致しうる法が南無妙法蓮華経であることは、立宗以来の御弘通に照らし明らかである。

このことを日寛上人は六巻抄において、「此の五義を以て宜しく三箇を弘むべし」(依義判文抄/富要/三/130頁)と述べられておられる。

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2006-10-09阿羅漢果 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

阿羅漢果

【あらかんか】

小乗の極意であり、煩悩を全て断じ尽くした無余涅槃という境地であり、煩悩の拠所となる肉体も、苦しみの果も、余すところ無くなった状態をさし、灰身滅智ともいう。

大聖人は「十法界明因果抄」において、小乗戒の功徳は一生の寿命が終るとともに失われ、色心を焼いて灰とし、心智を滅する故、再び六道に生れることがない為、絶対に成仏できない旨を釈を用いられ明かされておられる。(432-433頁/文段大意;声聞界の因縁を明かす)   

《反:金剛宝器戒/受持即持戒/等覚一転名字妙覚/名字即》 

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2006-10-08御書五大部 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

御書五大部

【ごしょごだいぶ】

ニ祖日興上人が大聖人滅後、御書中特に重要な教義・法門が含まれる御抄を別して十大部、取り分けて「唱法華題目抄」、「法華取要抄」、「四信五品抄」、「下山御消息」、「本尊問答抄」を除く、「立正安国論」、「開目抄(上)(下)」、「観心本尊抄」、「撰時抄」、「報恩抄」を五大部と選定された。

学会においては戸田先生の「日蓮大聖人御書十大部講義」が、また池田先生会長在任中にも「日蓮大聖人御書十大部講義」が聖教新聞社より発刊され、会長講義として大著「日蓮大聖人御書十大部第一巻立正安国論講義」が刊行(昭和41年7月3日)されたが、現在戸田池田会長の御書講義を含めた五大部は最近の大白の「開目抄講義」以外発刊されていない。

尚、かつて池田大作監修、創価学会教学部編として、「日蓮大聖人御書五大部」という五大部のみの御書が刊行されたことがある(昭和50年5月3日発行)。

 

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2006-10-07立正安国論 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

立正安国論

【りっしょうあんこくろん】

「五大部」の一つ。文応元年七月に北条時頼に宛てられた書。

権実相対の含理が強く、主に法然の念仏の邪義を破折なされ、他国侵逼難と自界叛逆難を予見された。これは、護国三部経等に説かれる七難のうち、既に星・風・土・日・水(順不同)の災難は出尽くし、残るニ難は一国(一往鎌倉幕府)が法華経に帰依しなければ必ず起こるとの法華経に則った法理を明かされたものであった。

正嘉元年の地震をきっかけに正嘉二年、(a.d.1258)駿河岩本実相寺にて一切経(大蔵経)を閲覧遊ばされ、法華経の絶対性を御確信され、本抄の執筆にとりかかられた。この実相寺においては、「一大聖教(しょうぎょう)大意」、「一念三千理事」、「十如是事」等が御述作されたとされている。

甚深の御高察と思われるが、第一回国主諌暁の書である本抄ではまず以て幕府の念仏への盲信を絶つ為、主に観経への破折に重点がおかれているためか、正法が何であるかを具体的には明かされておらず、代りにほぼ同時期に著された「十方界明因果抄」において法華経が即正法であることを別してお残しになられたと推察される。

勿論竜口の御法難以前における大聖人は地涌の菩薩の指導的立場にあたる上行菩薩の再誕として、未来に陸続と出現する後継の地涌の菩薩に対して、その実践のあり方を御示されている事は明白であり、その意味で本抄が伊豆流罪以前の諸御抄における法理の強弱ではなく、また佐前佐後期通じて古来「御一代の御化導は立正安国論にはじまり立正安国論に終る」というのは「立正安国論」が、大聖人が身を以て仏教者としての現実社会に対する姿勢のあり方を示されているからにほかならない。

立正安国論」の特質すべき点として、

1、宗教の分野で、現実政治を含んだ社会論を本格的にアプローチしたのが、「立正安国論」のみしかないということであり、とりもなおさず勿体なくも大聖人の御法門が僧侶という閉ざされた、特権的な(当時は阿練若といった)階級成分ではなく、現実に生きる民衆にとって不可欠の哲理を説いた宗教であることを示しており、仏法の役割を明確にしめされた書であるということである。尚、関連事項として、池田先生昭和51年10月24日の第39回本部総会(札幌文化会館)の歴史的な会長講演での、「創価学会永遠に民衆の側に立つ」、「創価学会の実践は、人間革命の運動である」、「創価学会は、仏法中道の大道を歩む」、「創価学会社会的意義は、平和を守り、人間文化の興隆にある」、「創価学会は、人間精神の自由、なかんずく信教の自由を死守する」の5項目に学会が立正安国の精神を正統に受け継ぐ団体であることをあの暗雲ひしめく時代に日達始め高僧等の眼前で明言された。

2、その社会論、政治論を、単なる機構・技術面ではなく、人間に原点をおき、人間変革によって社会的矛盾を克服していくことを末法万年の社会変革の根本原理として説いている。

3、自然環境の安穏までも含めた上で、絶対平和主義に立脚した社会の繁栄・安泰を説いているのは、「立正安国論」をおいて他にない。

等があげられる。


 

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2006-10-06経・律・論 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

経・律・論

【きょう りつ ろん】

経とは、釈尊釈迦如来)在世の一切の所説(言葉で説かれたもの)。 

律とは、釈尊の所説以外の、行動・振る舞い。

論とは、釈尊滅後に付法蔵等の論師(’ろんじ’とも)たちの著した経・律を分かり易くまとめた著作。

これらは一般に「八万法蔵」と呼ばれ、非常な量であるが、一切経に通ずる事は、それは最早過去小乗等のように、王侯貴族や僧侶の文化であり、経・律・論全てに通暁する必要はなく、大聖人の御立場では三大秘法広宣流布の時来る現在となっては仮に全てに知悉したとしても、「大小」「権実」*「顕密」の勝劣を厳密に分別することが出来なくては、ならないと仰せられている。逆に、所詮は釈尊が悟った究極の「一大事」はただひとつであるのだから、その「一大事」が三大秘法の南無妙法蓮華経にほかならないとされている。

その上で、この「一大事」の法を説く為に、前提として、足掛りとして、種種の法を設け、説いたのであるのだから、そこには上記のような勝劣・浅深の差別が本来あるのであり、それを弁えねば釈尊の教えを正しく知る事にはならない。

更に、三重秘伝の義に約せば、*「顕密」の「顕経」は釈尊所立の「法華経」であり、「密経」とはまさしく本門寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経となる。

《修多羅/経・論・釈/一切経》

《反:文上

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2006-10-05宿谷入道 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

宿谷入道

【やどやにゅうどう】

左衛門入道光則。幕府御家人で、「立正安国論」を北条氏に献上した人物。当初極楽寺良観門下であったが、後に大聖人に帰依した。

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2006-10-04弥源太入道 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

弥源太入道

【やげんたにゅうどう】

名刀、「宗近」は、弥源太入道の献上によるものとされる。

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2006-10-03智人 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

智人

【ちじん】

智慧をもった優れた人物。日蓮大聖人の御書においては「智人」とはとくに大聖人の御事をさす。

智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」(『撰時抄』284頁):天台の『法華文句』を釈した妙楽の『法華文句記』巻九中の文。智人は物事の起こりを知り、蛇は自らの通る道を知っているいるとの意(古来、蛇は吉凶を知る賢いもの、時を知る動物であるともいわれる)。

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2006-10-02富那奢 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

納衣

【のうい】【のうえ】

通常、僧衣、袈裟をさす。他人の廃棄した衣服を拾って着る、十二頭陀行の一つ。

《十二頭陀行》



富那奢

【ふなしゃ】

付法蔵の第10祖、釈迦滅後500年頃出現。インド華氏城の人。脇比丘(きょうびく)から法を受け、波羅奈(はらない)国に行化して、馬鳴尊者を化導し、これに法を付嘱した。

付法蔵の二十四人》

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2006-10-01多宝如来 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

馬鳴

【めみょう】

付法蔵といわれる弟子中第11番目の者。釈迦滅後600年頃出現した大乗の論師。

その過去世に白馬を集め鳴かせて仏法を弘めた為にこの名がついたとも。

智慧に優れていたため、大驕慢を起し小乗に執着したものの富那奢に論破され屈服し、弟子となる。マガダ国華氏城に遊化していた時に、月支国のケイニタ王に攻略され、九億(貨幣単位・価値共に不明)の金を要求された。そのとき国王は馬鳴を賠償として差し出したといわれる。後、馬鳴はケイニタ王の保護のもと、多いに正法を弘通した。

著書

『大乗起信論』『大宗地玄文本論』『仏所行讃』

【付記】読み:論師(ろんじ)、富那奢(ふなしゃ)、月支=月氏(がっし)

付法蔵




多宝如来

【たほうにょらい】

法華経真実であることを証明する仏。東方の宝浄世界に住むといわれ、法華経「見宝塔品第十一」には、虚空会儀式が始まり、大地より涌出した宝塔に乗って、多宝如来が、「善い哉善い哉、釈迦牟尼世尊、能(よ)く平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法蓮華経を以て、大衆(〈だいしゅ〉とも)の為に説きたもう。是(かく)の如し。釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」と述べたとある。

《見宝塔品/分身証明》

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2006-10-00観心本尊抄 2 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

観心本尊抄 2?

【かんじんのほんぞんしょう】

観心本尊抄1の続き

解題

日寛上人の文段を拝すと、大要、「如来滅後五五百歳」を「時」に約し、「始」を「応」に約し、「観心」を「機」に約し、「本尊」を「法」に約すと、時機応法の四義具足の上から読むべきことを指摘されている。

仏の所説を記録した「経」には、必ず、いつ(時)、如何なる衆生(機)に、如何なる法(法)を、仏は説いた(応)のかが記されている。

特に「応」とは、仏の振る舞いの事であるが、これは衆生の仏に対する渇仰する心(機)に応ずるところに仏の説法の本義があり、この衆生側の「機」と応ずる仏の「応」が一致してはじめて「時」が到来するのであり、ここでは衆生の機根の調熟度をさす事ではない。釈尊法華経を説いた時でさえ、衆生の機根は爾前の機根より劣悪であったとされ、法華経を理解できる者はごくわずかであったとされ、釈尊はただ「時」を感じたから説法を始めたのもその為であったとされる。「撰時抄」に、「されば機に随って法を説くと申すは大いなる僻見なり」とあるのもこのためで、従って仏法において「時」ほど大事なものはなく、正・像・末の中で上行再誕の後五百歳という「時」が如何に重大であることは論を待たない。

大聖人の御立場法華経を見れば、時機応法は、「方便品」では「爾時(時)世尊、従三昧、安祥而起、告(応)舎利弗(機)、諸仏智慧、甚深無量(法)」となり、寿量品では「爾時(時)仏告(応)、*諸菩薩及、一切大衆(機)、○如来秘密神通之力(法)」となっており、いずれも爾の時(時)、仏告げたまわく(応)が記されているが、特に本門寿量品では、対告衆が舎利弗等の声聞階級ではなく、菩薩も含めた九界の一切衆生といったあらゆる衆生の機もかまわず成仏させる力を持っている事が特筆される。

いずれにせよ、「時」を誤ったり「機」と「応」が一致せず「法」の実態が不明瞭であった場合、説法自体が成立しない事になる。

再解題

その上で、再び当抄にこの四義を配せば、四義が完璧に具足しきっていることが明らかであり、この一点、更に「開目抄」における人本尊開顕を見たとき、大聖人が正しく仏の方軌に一致しきった末法の御本仏であることは完全に証明されたといえる。

さて、文証として実際に本文を挙げれば、

「此の時(時)地涌の菩薩始めて世に出現し(応)、但妙法蓮華経の五字を以て(法)幼稚に(機)服せしむ」(253)

更に総結文の、

「一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起し(応)、五字の内に此珠を裏(つつ)み(法)、末代(時)幼稚の頚に(機)懸けさしめ給う」(254末)

とあり、正像2000年に未曾有の大御本尊を、末法の初めに久遠の本仏が出現して、弘通されたのである。勿論方程式の上からは上行であるが、実質的にこれだけの偉業は仏にしか出来ないし、仏である以上は、随自意であることから、大聖人の御事を、御本仏と呼ばざるをえない事は上記の文証からも明白となる。

文底顕本の上から佐渡以降が御本仏としての振る舞いが本格的に開始される事を1で述べたが、より明確にするために、いつ本尊の建立を開始されたかについて言えば、一機一縁ではあるが、本抄完成直後の文永10年8月、四条金吾夫妻の愛娘である経王御前の病気平癒のために顕し、授与された御本尊であることは「経王殿御返事」の、「日蓮守護たる処の御本尊をしたため参らせ候事も師子王にをと(劣)るべからず。経に云く「「師子奮迅之力」」」とは是なり。又此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし」との文に歴然であり、弘通の時が到来したという角度でいえば、「本尊問答抄」の、「此の御本尊は世尊おかせ給いて後に二千二百三十余年が間・一閻浮堤の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ」(373)にもある通り、大聖人が痛切に「時」を感じられ、一切衆生に本尊を授与されんとの熱意があられた事が窺われる。本当の意味での「時」を感じられたのはやはり弘安2年の熱原における弟子の戦いと殉教を見られてからであるがそちらは省略する。

本尊

さて、本抄において末法下種の御本尊を開顕するにあたり、文段を敷くと大要以下4段となる

第1段、一念三千の出処を示し、観心の本尊を明かす序分とされる

第2段、観心の本尊の「観心」について論ず

第3段、末法に建立される三大秘法の大御本尊を明かす

第4段、大慈大悲を起され、大御本尊を顕されて、末代幼稚の民衆に信受せしめる

とし、対境としての本尊を、実践していく上で、疑いを起さぬよう、無理なく一切の森羅万法を覚知出来るよう、その徳用を明かされた。理由としては、一つには大小の釈尊、具体的な人格を持った諸仏、大日如来等の如是相がない、実体の存在しない法身仏を信仰の対象としたそれまでの様々な仏教の残滓が残っており、また正・像の所謂六波羅蜜(六度万行)の具体的実践を通じた妙法への帰命、また天台の、そうした煩雑な修行法を否定し観念観法という専ら自身の生命の内奥を見つめ仏を覚知せんとした修行を止揚する意味においても、究極の対境をまず「法」と定め、御本尊として定めた。

受持即観心

本抄の二大骨格となる本尊論と並び、一方の骨格となっているのが「観心」である。

主体となる信仰者が客体たる本尊に向かう修行を本抄で大聖人は定義されている。

1で比較をしたように、天台の観心の域を脱却した、言いかえれば、当時の中国南北朝期の教相派と観心派

を止揚した天台の教観相依(教相・観心修行両面の実践のバランスをとる)の立場、「四種三昧」(論旨が複雑になるため説明は略)、法華懺法、そして「止観」を大聖人は与える立場で、「天台の観心」に心具の一念三千を「不可思議境を観ずる」具体的実践法のなかに、御自身の悟りを内包されていると解釈され、奪っての立場では、「摩訶止観」といえせいぜい仏教史上最大の禅の指南書という程度で、目に見えない一念三千の理が御本尊をして具体的に、完璧に顕現された今、まして教のみで行・証のない迷いの衆生に万行の修行が出来るはずがないと本文中で(一応)自問され、その結果、

釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば、自然(じねん)に彼(か)の因果の功徳を譲り与え給う」(246)と結論され、末法における唯一の観心修行は、ただ妙法を唱えることのみと断定されたのである。上の文を借りて受持即観心を説明すれば、「受持」は信力・行力であり、信力とは、強盛に妙法五字の本尊を信じ、行力とは、今述べてきたことから、末法においては余経も、法華経ですら栓無しとして南無妙法蓮華経の題目を生涯唱えきっていくこと以外にない。「此の五字」は法力のことであって、本尊の力用の広大深遠を示している。そして、仏力とは、上の「自然に彼の因果の功徳を譲り給う」のことであり、大聖人、即ち久遠元初自受用身の自行化他の因果の功徳が具足している妙法を、御本尊として顕され、末法の幼稚(この場合年齢ではなく仏法に対して通じていない)の凡夫に与えられたという事になる。

故に、末法においては過去修行は関係なく、現時点での御本尊に対する信と行への確信の深さと御本尊の本有の法力と仏力が、境智冥合しきったとき、仏の生命という「証」を会得することが出来、成仏が成立すると大聖人は本抄で述べられておられる。受持「即」観心の即とは随って、御本尊を受持し(本尊)、南無妙法蓮華経を唱えることことが(観心)、末法の修行であることを明かされ、完璧な仏法を確立をみたのである。

総括

本抄によって、それまでの漠然たる妙法覚知への模索から、自身が妙法の当体と立場を定められ、誰もが仏界を顕現できる法理を示し、仏法を民衆の手に戻され、九界即仏界、無一不成仏の原理が、事実上地球に顕されたのである。

《受持即観心/文段/一念三千/摩訶止観/本因初住の文底/有漏・無漏/五種の妙行/経行抄/三説超過》 

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