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2006-10-07立正安国論 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

立正安国論

【りっしょうあんこくろん】

「五大部」の一つ。文応元年七月に北条時頼に宛てられた書。

権実相対の含理が強く、主に法然の念仏の邪義を破折なされ、他国侵逼難と自界叛逆難を予見された。これは、護国三部経等に説かれる七難のうち、既に星・風・土・日・水(順不同)の災難は出尽くし、残るニ難は一国(一往鎌倉幕府)が法華経に帰依しなければ必ず起こるとの法華経に則った法理を明かされたものであった。

正嘉元年の地震をきっかけに正嘉二年、(a.d.1258)駿河岩本実相寺にて一切経(大蔵経)を閲覧遊ばされ、法華経の絶対性を御確信され、本抄の執筆にとりかかられた。この実相寺においては、「一大聖教(しょうぎょう)大意」、「一念三千理事」、「十如是事」等が御述作されたとされている。

甚深の御高察と思われるが、第一回国主諌暁の書である本抄ではまず以て幕府の念仏への盲信を絶つ為、主に観経への破折に重点がおかれているためか、正法が何であるかを具体的には明かされておらず、代りにほぼ同時期に著された「十方界明因果抄」において法華経が即正法であることを別してお残しになられたと推察される。

勿論竜口の御法難以前における大聖人は地涌の菩薩の指導的立場にあたる上行菩薩の再誕として、未来に陸続と出現する後継の地涌の菩薩に対して、その実践のあり方を御示されている事は明白であり、その意味で本抄が伊豆流罪以前の諸御抄における法理の強弱ではなく、また佐前佐後期通じて古来「御一代の御化導は立正安国論にはじまり立正安国論に終る」というのは「立正安国論」が、大聖人が身を以て仏教者としての現実社会に対する姿勢のあり方を示されているからにほかならない。

立正安国論」の特質すべき点として、

1、宗教の分野で、現実政治を含んだ社会論を本格的にアプローチしたのが、「立正安国論」のみしかないということであり、とりもなおさず勿体なくも大聖人の御法門が僧侶という閉ざされた、特権的な(当時は阿練若といった)階級成分ではなく、現実に生きる民衆にとって不可欠の哲理を説いた宗教であることを示しており、仏法の役割を明確にしめされた書であるということである。尚、関連事項として、池田先生昭和51年10月24日の第39回本部総会(札幌文化会館)の歴史的な会長講演での、「創価学会永遠に民衆の側に立つ」、「創価学会の実践は、人間革命の運動である」、「創価学会は、仏法中道の大道を歩む」、「創価学会社会的意義は、平和を守り、人間文化の興隆にある」、「創価学会は、人間精神の自由、なかんずく信教の自由を死守する」の5項目に学会が立正安国の精神を正統に受け継ぐ団体であることをあの暗雲ひしめく時代に日達始め高僧等の眼前で明言された。

2、その社会論、政治論を、単なる機構・技術面ではなく、人間に原点をおき、人間変革によって社会的矛盾を克服していくことを末法万年の社会変革の根本原理として説いている。

3、自然環境の安穏までも含めた上で、絶対平和主義に立脚した社会の繁栄・安泰を説いているのは、「立正安国論」をおいて他にない。

等があげられる。


 

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