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2006-11-13創立75周年記念本部・海外最高協議会 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

創立75周年記念本部・海外最高協議会

【そうりつななじゅうごしゅうねんきねんほんぶさいこうきょうぎかい】

昨年の創立の月に指導された、創立80周年へ向けての万端の準備と、万代の弟子に対する万感の期待を込めた、協議会戸田先生の御指導、古今の偉人の箴言・哲学思想を通し、真の平和世界の構築・実現に向けての甚深の御指導と拝される。

以下、

創立75周年記念本部・海外最高協議会でのSGI会長のスピーチ〔上〕

••• 大勝利の創立の日 ありがとう

••• 共に元気に! 大満足の人生を飾れ

••• 創立80周年へ 不滅の創価城の構築を

─•─ 人材はほめて伸ばせ! ─•─

•• 皆の意見に耳を傾けよ 納得の対話から新たな発展が

【SGI会長のスピーチ】

 1.大勝利の創立75周年、おめでとう! (大拍手

 広宣流布の伸展は、皆さま方の「努力」と「忍耐」と「勇気ある闘争」によって、勝ち得たものである。

 日蓮大聖人が、どれほど賞讃しておられることか。

 また、大聖人の仏法を広宣流布していく私どもを、二祖・日興上人も、三祖・日目上人も、そして十方世界の仏菩薩も、どれほど讃嘆し、強く深い守護をしてくださることか。

 それは、経文に照らし、御書に照らし明確である。

 妙法を弘める我々が、不幸になることは絶対にない。最後は必ず勝つ仏法である。

 それを強く確信していただきたい(大拍手)。

◆ 同志の幸福こそ

 一、恩師の戸田先生はよく言われていた。

 「私は、学会員幸福になればいいのだ。わが同志の幸福こそ、私の願いである」と。

 私も恩師と「同じ心」で生きてきた。

 そしてまた、「死身弘法」の皆さま方に、ただただ頭(こうべ)を垂れ、御本尊に皆さま方のご健康、ご長寿、ご多幸を祈り続けている。

 この一年も、幾多の困難を乗り越えながらの大闘争、本当にご苦労さまでした。

 広宣流布のための労苦は、すべてが、満足の中の大満足と変わる。

 日蓮大聖人は、人間にとっての究極の満足とは、「一生成仏」であると教えておられる。

 我々は「成仏の直道(じきどう)」をまっすぐに進んでいるのである。

 ともあれ、次の目標は、学会創立80周年(2010年)である。

 ともに元気に、ともどもに学会歌を歌いながら、堂々たる不滅の創価城を構築してまいりたい。

 そしてまた、ともどもに「一生成仏」という“最高の所願満足の山”を見事に登攀(とうはん)してまいりましょう! (大拍手

 1.今月2日、本部幹部会の席上、私は、全同志とともに、「プーシキン金メダル」を拝受した。

 うれしいことに、ロシアをはじめ、国内外のプーシキンを愛する方々からも、祝福のお便りを多数いただいている。

 ロシア国民詩人であり、「近代文学の父」「詩歌(しいか)の太陽」と讃えられるプーシキンは謳った。

 「この世を飾るのは、友情のみ。

  友情なくして、喜びはない」

 私たちは、世界に真の友情を結んでいる。

 プーシキンは、こうも語っている。

 「当然、人には、家柄を超える尊厳がある。

  つまり、人格の尊厳である」

 人間の「自由」と「尊厳」を高らかに謳い上げたプーシキンの詩には、人格の光があり、温もりがある。

 それゆえに、今もなお、ロシアの民衆に深く愛されてやまないのであろう。

 1.文豪トルストイは、プーシキンを「我々の教師」と讃えている。

 また、19世紀ロシアの著名な文芸評論家ベリスキーは、プーシキンを「何百万もの人々を潤すボルガ川」にたとえた。

 今回、来日されたシードロフ委員長も、このボルガ川の沿岸で生まれ育った方であった。

 プーシキンをこよなく愛する同委員長は、本部幹部会に集った創価の友の喜々とした姿に触れて、「太陽よ万歳! 闇よ消えよ! 」とのプーシキン言葉を贈ってくださった。

 そして、「偉大な詩人は、あたかも創価運動を予見していたかのようであった」とまで言ってくださったのである。

会館を飾る写真

 一、さらに、同委員長とともに来日されたファトクーリン書記から、一通の書簡をいただいた。

 この書簡には、モスクワの「中央芸術家会館」において、私の「自然との対話」写真展を開催したいとの旨が記されていた(大拍手)。

 同会館は、ロシアの“心臓部”であるクレムリンに向かい合って立つ“芸術の宝城”である。

 同書記によれば、年間300件以上の展示会を開催し、年間約100万人が鑑賞に訪れるという。

 素人である私の写真に対し、まことに、身に余る要請をいただいた。

 私が写真を始めたのは、ある方からカメラをいただき、そのご厚情にお応えして、写真を撮ったことが、きっかけだった。

 また、学会会館の中を飾るのに、絵は高くて、すべての会館に置くわけにはいかない。

 かといって壁に何もないのでは、あまりに殺風景であろう。

 それならば、写真を置いてはどうかと思い、寸暇を見つけては、目にした自然光景などを撮影するようにしてきたのである。

 このようにして始めた私の写真が、海外の皆さんの目に触れて、相互理解や文化の親善につながるならば、これ以上の喜びはない。

•麗(うるわ)しき友情の劇

 1.さてプーシキンは、1799年6月、モスクワの貴族の家に誕生した。

 開設されたばかりの英才教育の学園に、1期生として学んだ。

 彼が、生涯、この母校を愛し、同窓の友情を大切にしたことは、よく知られている。

 若き日、プーシキン圧政を批判する詩を発表したことで、都を追われる。その後、6年間にわたって追放生活を余儀なくされている。

 その追放先に、数人の同窓の友が危険を顧みず、はるばる駆けつけ、プーシキンを励ました麗しき友情の劇は、馥郁(ふくいく)たる薫りを放っている。

 彼は、その深き友情に感謝をこめて、謳った。

 「おお友だちよ」「君のこえはながい眠りのなかから心の火をよびさました。わたしは喜びに胸をみたされ運命をたたえた」(金子幸彦訳『プーシキン詩集岩波文庫

 その後もプーシキンは、権力による検閲や周囲の誹謗中傷などと戦い続けた。

 その闘争のなかで、世界文学に輝く不滅の傑作を残していったのである。

 主な作品に、韻文(いんぶん)形式の小説『エヴゲーニー・オネーギン』、歴史小説『大尉の娘』、史劇『ボリス・ゴドゥノフ』などがある。詩作は800編以上にのぼる。

 プーシキンの心は、毅然としていた。

 彼は、「よこしまの力のゆえにこの世に高い地位をたもつ悪者やうつけ者(=愚か者)の運命をうらやむことなく」(同)とも綴っている。

 悪党どもの運命の行く末は、惨(みじ)めな敗北に決まっているからだ。

 さらに、プーシキンは言った。

 「思想がなければきらびやかな表現も何の役にも立たない」(川端香男里訳「評論」、『プーシキン全集5』所収、河出書房新社

 同じように、思想のない、哲学のない、信念のない人間は、どんなにきらびやかに身を飾ろうとも空しいものだ。

 私たちは、妙法という最高の思想、最高の哲学に基づいた、最高に尊い人生を歩んでいる。そのことを誇りとしてまいりたい。

ブラジル広布45周年を讃嘆

 一、きょうは、遠くブラジルGIの首脳も出席してくださっている。

 ブラジル広宣流布の栄光の45周年、まことに、おめでとう! (大拍手

 本当に、よく頑張ってくださった。

 ブラジルGIは今、あらゆる面で大発展している。

 すべてはブラジルの同志のおかげである。

 サンパウロ近郊に広がるブラジルGI自然文化センターも、皆さまの真心で素晴らしく整備されているとうかがっている。うれしいことである。

 また、アマゾン中流域のマナウス市近郊に開設されているアマゾン自然環境研究センターにも、各界から高い評価が寄せられている。

 <本年7月には、同センター環境保全の取り組みなどを讃えて、マナウス市に、SGI会長の名前を冠した州立「池田大作高校」が設立されることが発表された>

 アマゾン ── 世界の憧(あこが)れの地である。私も、いつの日か訪問できることを、楽しみにしている。

••≪ブラジル文学の巨星≫

    ── 海よりも強いもの それは民衆

    ── 人民の叫びはどんな声よりも強力

◆ 勝利の大叙事詩

 一、ブラジル文学界の巨星で、私たちSGIの深い理解者であられたジョルジェ・アマード氏は、誇り高く「民衆」を讃え、「人民」を謳い上げた。

 「海よりも強いもの、それは民衆である」

 「民衆は毎日 詩の新しい奇跡を、英雄心の新しい奇跡をつくり出す」(神代修訳『希望の騎士 革命プレステス』弘文堂新社。以下同じ)

 さらにアマード氏は綴っている。

 「われわれは人民がいつも真実を求め、真実を旗じるしにしようとするのを知っている。

 また人民の真の指導者人民によって鍛えられた人たちは、圧制者の仮面にだまされはしない」

 「人民の叫び声はどんな叫び声よりも強力である」

 その通りである。

 ブラジルGIの45年、そしてわが創価学会の75年の歴史は、最も気高く、最も強き民衆の勝利の大叙事詩であると宣言したい(大拍手)。

 偉大な存在 ── それはひとえに、広宣流布に邁進する学会員である。

 ブラジルにおいても、わが尊き同志の貢献に賞讃が絶えない。

 今月も、サンパウロ州など各地で、11・18「創価学会創立記念日」の意義を刻む「慶祝議会」が盛大に開催される予定である。

 また、このほど、ブラジルの名門バイア・カトリック経済大学から、光栄にも私に対して、同大学の第1号となる「名誉博士号」の決定通知が届けられた(大拍手)。

 すべては、尊き社会貢献の活動を広げゆくブラジルの同志への絶大なる信頼の賜(たまもの)であり、賞讃の証(あかし)にほかならない。

 貴国の皆さま方に重ねて心から感謝申し上げたい(大拍手)。

 1.ブラジルの文豪アマード氏はまた、こうも綴っている。

 「いつわり仮面をかぶった者たちは、苦しめられ、卑劣な甘言の手がさしのべられると、すぐに脱落してしまうことだろう」

 広宣流布の途上にあっても、仮面をかぶった卑劣な輩が、退転し、弓を引いていったことは、ご存じの通りだ。

 そしてアマード氏は、「幸福とは正義を理解すること」であり、「(幸福とは)勇気や品格のある生活のなかにある」と洞察している。

 まさに、たゆみなく学会活動に勇み舞いゆかれる皆さま方の人生の英姿であるといってよい。

 アマード氏が、ひときわ讃えたのは、苦悩にも毅然として立ち向かい、冷静に、そして妥協を許さず進んでいく“庶民の母”であった。

 “この母の喜びこそが民衆の喜びである” ── こうアマード氏は結論している。

 母は偉大である。

 母は勇敢である。

 母は聡明である。

 母は正義である。

 その母たちが幸福に輝いていってこそ、平和希望の園が広がるのだ。

••• 婦人部の皆様ありて広宣流布は盤石!

••• 創価の女性幸福あれ

   ── 11・12「部の日」を祝福 ──

   ── 女子部は“希望太陽”と輝け ──

•••信心の志高く!

 1.日蓮大聖人は、懸命に信心を貫く女性門下たちを、こよなく大切になされた。

 大聖人は、乙御前(おとごぜん)の母に対して、鎌倉からはるばる大聖人のもとへ訪れたことについて、こう書き送られている。

 「日蓮が流されたのは、わけあってのことですが、(女性の身で、これまで足を運んでくださったあなたの姿にふれると、私が流されたのは)“あなたの厚い御志があらわれるためであったのか”と、ただありがたく思うばかりです」(御書1222ページ、通解)

 乙御前の母は、女手一つで娘を育てながら、勇気ある信心を貫いた。

 その健気(けなげ)な母の求道に対して、大聖人は、あなたの尊い信心が現れるために、私は流されたのだろうか、とまで言われ、最大に讃えられたのである。

 わが創価学会が、この75年間、あらゆる「三障四魔」を勝ち越えて、大勝利の前進を重ねることができたのも、すべて、難に怯(ひる)まず、真剣に戦い抜いた婦人部の皆さまのおかげである。

 崇高なる広宣流布の母たちに、あらためて心からの感謝を捧げたい(大拍手)。

◆ 会合の運営は絶対無事故で!

 1.11月12日は「女子部の日」である。

 女子部の皆さんは、創価の希望太陽である。

 女性が輝き、伸び伸びと進んでいる組織は強い。勢いがある。

 聡明に、楽しみながら、希望幸福スクラムを広げていっていただきたい。

 女子部の皆さん、いつも本当にご苦労さま。尊い青春の日々を、どうか健康で、無事故で! と申し上げたい。

 1.13日には、わが先駆の九州青年部が、「青年・躍進の年」に先駆けて、アジア青年平和友情総会を行う。

 恩師・戸田先生から「東洋広布」を託された全九州の誉れの友が、沖縄青年部と手を携(たずさ)え、アジアの友と心を通わせて、ベートーベンの「歓喜の歌」を歌い上げる。

 晴れやかな大成功を、皆で祈りたい。

 <13日、九州沖縄の各中継会場を結んで、10万人による「歓喜の歌」が高らかに響きわたった>

 一、壮年、婦人の皆さんは、真剣に戦う青年をほめ讃えていただきたい。次の時代を担うのは青年である。

 また、会合の責任者には、ともかく「絶対無事故」をお願いしたい。全員で心を合わせて祈ることだ。

 「絶対無事故」が、当然である。事故を起こせば、だれも得をしない。同志も皆、悲しむ。

 特に、大きな会合の場合は、細心にも細心の注意を重ねて、完壁な運営をお願いしたい。

•祈り抜いて最高の手を打て

 1.どうしたら、理想の組織をつくり上げることができるか。

 その急所は何か。

 それは、リーダーが成長することだ。手を打つ人間が、人の何十倍も苦しみ、題目をあげて、考え抜くことである。

 会合でいい話をすることも大事だ。だが、それだけでは人は動かない。

 一対一で語り、心がつながってこそ、徐々に大回転が始まっていく。

 改革は必要である。しかし、安直に進めれば、かえって、混乱をもたらす場合もある。

 だからこそ、現場の声を聞くことだ。皆が納得して進んでいけるよう、よく打ち合わせ、対話を重ねることである。

 とくに、若くしてリーダーになったならば、皆の意見に謙虚に耳を傾けねばならない。

 苦労しなければ、人の心はわからないものだ。

 また、挑戦の心を失えば、硬直した官僚主義に陥(おちい)ってしまう。

 格好はいいが、血が通わない。慈愛がない。思いやりがない ── そういうリーダーであったならば、皆がバラバラになってしまう。

 「皆、大変ななか、本当によく戦ってくださっている」 ── そう感謝する心があるか。ともに戦い、同苦する心があるかどうかである。

 どうしたら、皆が安心して広布へ進み、勝利と幸福をつかんでいけるか ── その一点を、私は祈り、全魂を注いできた。

 そこに呼吸を合わせなければ、師弟は「不二」でなくなる。

 決して上から押しつけるのではなく、皆から「よくやってくれた」と言われる名指揮を、よろしくお願いしたい。

 何でも言える雰囲気が大事である。そういう組織が伸びる。

 立場が上であるほど、自分から皆の話を聞いて、一つ一つ応えていかねばならない。疲れるかもしれないが、それが指導者責任であるからだ。

 何も言えないような雰囲気では、最低の組織である。

 そうならないために、まずリーダーが真剣に、一生懸命、戦う。たゆみなく人間革命していくのだ。これを心に刻んでいただきたい。

••≪米ハーバード大教授

   ── 学会の開かれた対話の精神21世紀世界宗教規範

   ── 対話を閉ざした日顕宗には重大な誤りが

宗教は「社会的使命」を果たせ

 1.私は現在中国思想研究第一人者であるハーバード大学教授のドゥ・ウェイミン博士と、連載対談を続けている。<月刊誌「第三文明」に『対話の文明』を連載>

 ドゥ・ウェイミン博士は、「儒教文明」を代表する知性として、世界を舞台に活躍されている。

 私との対談で博士は、地球社会平和を築くうえで、宗教が極めて重要な役割を担うと展望されている。

 それでは、21世紀の「世界宗教」の要件とは、いったい何か。

 博士がその一つとして挙げられたのは、「地球共同体幸福に対する責任を担っていく」努力の有無である。

 宗教者は、自身の教団をめぐる関心にとどまらず、文化的な見識を備え、社会のあり方に関心を持たねばならない。

 そして、社会に積極的に関わっていく「公的知識人」として行動することが求められる、というのである。

 この観点から博士は、私たちの「平和・文化・教育」の運動を高く評価してくださっている。

 学会は、「個人幸福」を勝ちとるとともに、「社会的使命」を誠実に、そして厳然と果たしてきた。ゆえに、世界から信頼を勝ち得てきたのである。

•結びつける言葉

 1.さらに博士は、これからの宗教リーダーは、「二つの言葉」に通じていなければならないと指摘されている。

 この「二つの言葉」とは何か。

 一つは、「同じ信仰を持つ人々を結びつける言葉」である。

 つまり、内部の連帯と交流に必要な言葉であり、信仰上の指導や励ましなどが、これに当たるといえよう。

 幹部である皆さま方は、接する一人ひとりに安心と確信、そして希望を贈る「指導の達人」「激励の名人」であっていただきたい。

 御書を拝しても、日蓮大聖人は、どれほど門下を讃嘆しておられることか。真剣に戦う女性、年配者、青年を、それはそれは、こまやかに賞讃し、激励されている。

 たとえば、佐渡に流罪された大聖人のもとへ、危険を顧みず供養を届けられた千日尼に対しては、「いつの世にか忘れることができましょう。(日蓮の)母が佐渡の国に生まれ変わっておられるのでしょうか」(御書1313ページ、通解)と、感謝と讃嘆の心を伝えておられる。

 真心と誠意のこもる「ほめ言葉」をかけていくところに、喜びの波動が広がる。

 あの厳格な戸田先生も、広宣流布に戦う最前線の同志を、最敬礼して讃えられた。

 「皆さまの信心のおかげです」「ごとごとく皆さんのおかげだ」「あなたがたへのご褒美は、御本尊が、きちんとくださいますよ」等々、声を惜しむということがなかった。

 ある時には、教学部の友に「実によくやってくれた。何よりも誇りに思います」と声をかけておられた。

 きょう一日、何人の人に温かな声をかけ、ほめることができるか。

 ここに、指導者重要な使命がある、と強調しておきたい。

世界市民言葉

 1,さて、ドゥ博士が訴える、宗教指導者が持つべき「二つの言葉」のもう一つは何か。

 それは、「世界市民としての言葉」である。

 信仰組織内部に閉ざされるのではなく、開かれた心で、社会へ、世界へ、あらゆる人々と対話を交わしていくことである。外にどんどん打って出て、勇敢に対話を広げ、理解と共感を深めていくことだ。

 広宣流布は、外交戦であり、渉外戦である。

 この点でもドゥ博士は、創価学会の「開かれた対話」の精神を讃えてくださっている。

 一方、日顕宗は「対話を閉ざした」ところに重大な誤りがあったとも分析されている。

 「創価学会が行われている、普遍性に根ざす宗教の実践と、人類の存続を脅かす諸問題への真剣な取り組みとの往復作業は、非常に貴重です」

 これが、博士の深く温かな理解である。

•自らの大地を深く掘り下げよ

 1.さらにドゥ博士は「地涌の菩薩」の生命観に深く共感され、こうも語られている。

 「『地涌』とは、自らの生きる大地を拒絶してはいけない、自らの大地を深く掘り下げよ、そこに新たな意義を見いだせ、と教えているのではないでしょうか」

 「どのように社会が乱れていようとも、自らに内在する仏性を信じ、自らの努力によって、人間は、より良く生きることができるのだ、ということを示唆していると言えましょう」

 さらに博士は述べている。

 「地涌の菩薩は、自ら悟ればそれでよし、とはしません。自らの悟り思想を人びとと分かち合い、広めていくのです」

 「ここに、自己実現社会への奉仕という、一見、異なる生き方を融合した、中道生き方があります」

 私たちの「地涌の菩薩」の生き方に、断じて行き詰まりはない。

 見た目や格好ではない。わが内なる仏の生命を、燃えあがらせ、戦うことである。

 どうか、世界の最高峰の知性も讃えてやまない、この「地涌の菩薩」の誇りも高く、創価の世界から離れることなく、威風堂々と使命の連帯を拡大していっていただきたい。

 1.きょうはアメリカ創価大学ハブ学長も同席されているが、ドゥ博士は、アメリカ創価大学に大きな期待を寄せてくださっている。

 私との対談のなかでも、「学問の専門化や細分化が顕著な現代にあって、『全体性』と『専門性』を兼ね備えた教育を行うアメリカ創価大学の試みは、非常に意義深く、重要であると思います」と語っておられる。

 これからも私は、創価教育の総仕上げとして、アメリカ創価大学の発展に全魂を注いでいく決心である(大拍手)。

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創立75周年記念本部・海外最高協議会でのSGI会長のスピーチ〔下〕

••• さあ前進! 青年の心で!「行学の二道」を生き生きと

••• 先頭を走れ! ともの心に理想の炎を 若き力で時代を開け

••≪ナポレオン≫「私は仕事限界を知らない」

【SGI会長のスピーチ】

 一、学会創立75周年を祝福し、全国の同志が、連日のように信濃町学会本部を訪れてくださっている。

 私は本当にうれしい。

 「遠いところ、大変にご苦労さま! 」「いつもありがとう! 」と、最大に感謝申し上げます。

 この75周年を一つの節目(ふしめ)として、学会本部周辺をはじめ、各地の会館の整備を順次、進めていく予定である。すべて、未来のためである。

 待望の創価女子会館も明年、完成する。

 学会会館は「幸福の城」であり、「人間性のオアシス」である。

 ここに来ると、ほっとする。希望がわく。勇気がみなぎる ── 皆さまに、そう思っていただけるような、立派な「創価の宝城(ほうじょう)」としてまいりたい(大拍手)。

 また、学会本部をはじめ、各地の会館等では、多くの方々が、昼夜を分かたず、運営や警備に尽力してくださっている。

 この席をお借りして、最大の敬意と感謝をお伝えしたい。

 これから、ますます寒くなってくる。どうか風邪などをひかれないように、十分に注意していただきたい。

•世界最高の教学が学会の誇り

 1.今月の20日には「教学部任用試験」が行われる予定である。

 「求道の心」輝く受験者の皆さまには、「真剣な教学への取り組み、本当にご苦労さま! 」と申し上げたい。

 また、ともに学び合い、受験者の激励に当たってくださっている先輩の方々にも、心から感謝いたします。

 日蓮大聖人は「法華行者逢難事(ほっけぎょうじゃほうなんじ)」で、弟子たちに、こう仰せである。

 「おのおの互いに、(この法門について)読み、聞いていきなさい。

このような末法の濁った世にあっては、互いに常に語り合って、いつも後世(ごせ)を願っていきなさい」(御書965ページ、通解)

 この御聖訓の通りの実践が、学会の教学運動である。

 戸田先生は、高らかに叫ばれた。

 「創価学会の一つの誇りとするところは、世界最高の教学を持っていることだ」

 「学会がここまできたのも、真剣な御書講義と研鑚があったからだ。教学が広布の根源である。だからこそ、全魂を教学に傾けてきたのだ」

 「創価学会の使命は、広宣流布の推進にある。

 そのためには、教学の振興が大事である」

 先生は、幹部にも常々、こう語られていた。

 「疲れ切った時にこそ、御書を拝読していけ! たとえ一行でも、二行でもよい。御書を拝して、自らの境涯を、もう一歩、開くのだ」

 私は、創立75周年の意義深き任用試験の無事故と大成功を、真剣に祈っている。

 どうか、今回の任用試験を契機として、全リーダーが「行学の二道」に、いよいよ励んでいただきたい(大拍手)。

◆大難を越えて

 1.きょう11月11日は、日蓮大聖人が「四度の大難」の一つである「小松原(こまつばら)の法難」に遭(あ)われた日である。

 文永元年(1264年)のこの日、大聖人は、10人ほどの弟子たちとともに、安房天津(あわ・あまつ)の領主であった門下の工藤吉隆(くどうよしたか)の屋敷に向かっておられた。

 夕刻、大聖人の一行が東条郷(とうじょうのごう)の松原大路(まつばらおおじ=現在千葉県鴨川市)にさしかかった時のことである。

 地頭の東条景信(とうじょうかげのぶ)が率いる、武装した多数の暴徒が襲いかかってきた。

 その数は、御書に「数百人」(1498ページ)と記されている。

 当時、念仏の強信者であった東条景信は、念仏を徹底して破折する大聖人に対して、深い怨嫉(おんしつ)を抱(いだ)いていた。

 また景信は、この地の荘園の領主の妻である大尼と領地を巡って争った際、大聖人が大尼に味方をしたことで、敗北を喫したことがあった。景信は、このことでも大聖人を恨んでいたのである。

 この襲撃で、大聖人は、左手骨折され、額に大きな刀傷を負われた。

 弟子の鏡忍房(きょうにんぼう)は打ち殺され、駆けつけた工藤吉隆も重傷を負って殉難したといわれている。

 壮絶な大難であった。

 「小松原の法難」から1カ月後、大聖人は、門下の南条兵衛七郎(なんじょうひょうえしちろう=南条時光の父)に、こう書き送っておられる。

 「(敵が)射る矢は降る雨のようであり、打つ太刀は稲妻のようであった。

 弟子一人は即座に討ち取られ、二人は深手を負った。私も斬られ、打たれ、もはやこれまでというありさまであったが、どうしたことであろうか、討ちもらされて、今まで生きている。

 いよいよ法華経の信心を増すばかりである。

 法華経第四の巻には『しかもこの経は仏の在世でさえ、なお怨嫉が多い。ましてや仏の滅度の後においては、なおさらである』とあり、第五の巻には『一切世間に怨嫉が多くて信じがたい』と説かれている」

 「(日本国に)法華経のために傷つけられる人は一人もいない。だから日本国の持経者は、いまだこの経文には符合していない。

 ただ日蓮一人こそ、この経文を身で読んだのである。『我身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ』とは、このことである。

 ゆえに、日蓮日本第一の法華経の行者である」(同ページ、通解)

 生命におよぶ大難を乗り越えられた大聖人の大宣言であられた。

 一、私は、若き日に、大聖人の「不借身命(ふしゃくしんみょう)」「忍難弘通(にんなんぐつう)」の大闘争を学び、わが生命に刻みつけた。

 そして、広宣流布の大願に生涯を捧げ、師匠である戸田先生を守り抜くことを心に誓ったのである。

 「一切の魔の働きから、どうすれば師匠を守ることができるか」「どうすれば学会を守れるか」。そして、「どうすれば広宣流布を進めることができるか」 ── 私は、ここに一念を定めた。そして真剣に、具体的に祈った。

 祈りは具体的でなければならない。現実をどう変えるかという「具体性」がなければ、祈りは空転してしまうからだ。

•すべてをなげうって師を守った

 1.戸田先生の事業が苦境に陥った時も、私は先生を厳然とお守りした。これは、私の永遠の誇りである。

 あの時、先生のもとでお世話になっていた多くの人が「戸田馬鹿野郎! 」「タヌキ野郎! 」などと、口汚く罵(ののし)って去っていった。

 借金は膨大な額だった。剛毅な先生も、さすがに憔悴(しょうすい)しておられる時があった。

 私は、その先生を支えに支え、阿修羅のごとく働いた。事業の再建のために、昼夜の別なく奔走した。だれに対しても、誠実の行動を貫いた。

 私は当時、肺病を患っていた。体もつらかった。しかし、すべてをなげうって師のために戦い抜いた。

 師匠である先生を守ることが、学会を守ることであり、会員を守ることであると深く自覚していたからだ。

 そうしたなか、事業の交渉相手の中から「あなたは素晴らしい人だ」「あなたのためなら協力しよう」と言ってくれる人も現れた。言葉では言い尽くせない深いドラマがあった。

 また、あの「大阪事件」の際も、私は先生を徹して守り抜いた。

 事実無根の容疑で逮捕された私に、検事は“おまえが罪を認めなければ、戸田逮捕するぞ”と卑劣極まる恫喝(どうかつ)を加えてきた。

 当時、戸田先生は、かなり衰弱しておられた。万が一、逮捕されたなら命にもかかわる。

 私は、先生だけは絶対にお守りしなければならないと決意していた。そのために、いったんは自分が無実の罪を被ることを決めたのである。苦渋の決断であった。

 <後に、裁判でSGI会長無罪が確定した>

 戸田先生は、そうした私を深く深く信頼してくださった。“だれよりも信頼できるのは大作である” ── これが先生の思いであった。

••リーダーは苦労を求めよ

      ── 激闘の嵐が「真の人間」をつくる

•あらゆる苦難に打ち勝ってこそ

 一、私は、先生が構想し、言い残されたことは、すべて実現してきた。

 先生は勝った。先生幸福であった。弟子の戦いを心から喜んでおられる先生の姿が目に浮かぶ。

 師弟というものが、どれほど深く、尊い、永遠人間の道であるか。

 私は、戸田先生のもとで苦労し抜いた。「師弟不二」で戦い抜いた。だからこそ、今の私がある。

 当時の状況に比べれば、今は本当に恵まれている。

 もちろん、時代や環境は大きく違うかもしれない。しかし、自ら求めて苦労をしていかなければ、本当の指導者になることはできない。

 私は第三代の会長に就任してからも、あらゆる誹謗や中傷を一身に浴び、全同志の盾となり、学会の屋根となってきた。

 それこそ全身に槍傷(やりきず)、刀傷(かたなきず)を負うような時もあった。ふつうでは耐えられないほどの迫害、また迫害連続であった。

 それでも一歩も引かずに戦い抜いてきた。勝ち抜いてきた。だからこそ、今日の世界的な学会の発展がある。

 学会の一切を担い立つ人間には、あらゆる苦難や迫害に耐え抜く覚悟がなければならない。決して簡単に考えてはならない。

 厳しいようであるが、学会永遠の発展のために、あえて言い残しておきたい。

•広布の人生に「勝利の宝冠」

 1.私は現在、「ヨーロッパ科学芸術アカデミー」の会長であり、著名な心臓外科医であるウンガー博士と対談を進めている。

 博士との語らいでは、19世紀のオーストリアを代表する劇作家グリルパルツァーのことも話題になった。楽聖ベートーベンとも親交のあった人物である。

 グリルパルツァーは、戯曲のなかで、こう綴っている。「わたしは一つの罪を知っている。その罪の黒さにくらべれば、ほかの罪なぞはすべて百合花のように白く見えるほどだ。忘恩というのがその名だ」(実吉捷郎訳『ザッフォオ』岩波文庫

 どんな罪よりも重い罪 ── それが「忘恩」だというのである。

 戸田先生も、「恩知らずが、組織の中にのさばると、妙法の功徳は、毒に汚される。功徳が消えるだけでなくして、魔物が動き始める」と厳しく言われていた。

 グリルパルツァーは別の戯曲で、登場人物に語らせている。

 「高慢ちきというものは、ばったり落ちてしまうのじゃ」(中島清訳「オットーカール王の幸福と最期」、『世界戯曲全集』所収、近代社。

現代表記に改めた)

 学会のお世話になりながら、同志を見下し、反逆した「高慢ちき」な連中 ── そうした輩(やから)が皆、「ばったり落ちて」悲惨な末路を遂げていることは、皆さまもよくご存じであろう。

 グリルパルツァーは、戯曲で綴った。

 「この世では犯した罪が屹度(きっと)報いられる」

 「この世の中で、悪事が罰をうけずに済むものか! 」(相良守峯訳三部劇詩 金羊皮』岩波書店

 いわんや仏法においては、因果の理法は厳然である。

 ギリシャの著名な教育者であり、弁論家であったイソクラテスは、こう断じている。

 「死はすべてのものに運命の定めるところのものであるが、美しい死は高貴な人にのみ与えられる」(小池澄夫訳『イソクラテスス弁論集1』京都大学学術出版会)

 ともあれ、高貴な魂をもって、偉大な使命に生き抜いた人は、素晴らしい死を迎えることができる。

 広宣流布という大願に生き、人類幸福平和に尽くしゆく学会員の皆さまこそ、生命の永遠の「勝利の宝冠」を勝ち取る方々なのである(大拍手)。

•創立75周年を世界の識者が祝賀

 1.大聖人は、流罪された佐渡の地で、厳然と仰せになられた。

 「法華経の行者は、信心において退転することなく、身において詐(いつわ)り親しむことなく、一切、法華経にその身を任せて、仏の金言の通りに修行するならば、たしかに、来世はいうまでもなく、今世においても無事で寿命を延ばし、最高に勝れた大果報を得て、広宣流布の大願をも成就できるであろう」(御書1357ページ、通解)

 信心に退転なく ── 学会は、この御聖訓の通りに戦いきってきた。

 だからこそ、これほどの大果報を得、世界広宣流布の大願を成就してこられたのである。

 1.世界の識者も、学会の創立75周年を祝賀してくださっている。

 私が、ともに対談集を発刊した一人に、フランスの「行動する文化人」アンドレ・マルロー氏がいる。

 その良き伴侶であり、同志であられるマドレーヌ・マルロー夫人から、学会の創立の日を記念して、氏の直筆である貴重な手稿(しゅこう)をいただいた。珠玉の文化の至宝である。

 これは、フランス歴史に残る雄弁家であったマルロー氏が、第2次世界大戦後の激動の時代に行った演説のためのメモである。

 当時、氏は、ド・ゴールが結成した「フランス国民連合」の広報責任者として活躍していた。

 その氏が“フランスのより良き未来を開こう”と、烈々たる雄弁で、精神エスプリ)の結合を訴えたのが、この不滅の演説である。

 1948年(昭和23年)の4月26日パリの庶民の公会堂として有名なジャピー講堂で行ったものと推定される。

•マルローの叫び

 1.この手稿には、マルロー氏の叫びが凝縮されている。

 「いかなる偉大な業績も、ごくわずかな不撓(ふとう)の人々によって打ち立てられるものである。他の者たちは、なんとかなるだろうと考えている」

 胸を揺さぶらずにはおかない師子吼である。

 さらに、氏は、こう続ける。

 「我々は、変革を成し遂げなければならない。希望と不屈の意志によって。

 民衆の連合には、多くの人々を結合せねばならぬ。成功するためには、なおさらである」

 そして、氏は、同志たちに感謝をこめて、次のように呼びかける。

 「あなた方は、大変なときに、母国の正義を守り抜いた」

 「フランスの再建が実現した暁には、きょう、この場 ── ジャピー講堂に集った、あなた方のおかげであると讃えられるであろう。

 雪の中でも、(我々の主張を訴える)新聞を売っていった、あなた方のおかげであると」

 この氏の言々句々は、そのまま、平和正義と人道の「精神エスプリ)の戦い」を貫く創価の同志を絶讃する言葉となって、私の胸に響いてならない。

 とりわけ、聖教新聞の拡大に尽力してくださっている皆さま方、そして毎日また毎朝、聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」の皆さま方に、重ねて御礼を申し上げたい。

 北海道も、東北も、雪が降り始めた。

 どうか、体に気をつけて、「健康第一」「無事故第一」の使命の完走をお願いします!

••≪戸田先生≫ 滅びゆく人生になるな 伸びゆく人生であれ!

••≪アンドレ・マルロー氏は呼びかけた≫ 変革を成し遂げよ 希望と不屈の意志で

真実は雲を貫き太陽の如く輝く

 1.今年は、私がマルロー氏と最後に対談を行ってから30年になる。

 <語らいは、対談集『人間革命人間の条件』に結実(聖教ワイド文庫に所収)>

 氏は、ナポレオンに魅了されていた。

 私との対談でも、ナポレオンの話題になると、あの鋭い眼光をひときわ輝かせておられたのを思い出す。

 現在八王子東京富士美術館で行われている「栄光の大ナポレオン展」では、氏が編纂(へんさん)した『ナポレオン自伝』(小宮正弘訳、朝日新聞社)の中の言葉が、いくつも紹介されている。

 文化の業績に焦点を当てた、この展示の模様を知られたら、今は亡き氏が、どれほど喜んでくださることであろうか。

 ナポレオンは言う。

 「仕事こそ私の本領とするところだ。私は仕事をするように生まれついているのだ。私は自分の足の限界は知っていた。眼の限界も知っていた。しかし仕事となるとその限界はまるで知らなかった」(『ナポレオン自伝』から)

 この言葉を、私は、広宣流布の英雄の皆さまに謹んで捧げたい。

 あわせて、ナポレオンが、数々の誹謗に対して昂然(こうぜん)と言い放った言葉を、わが青年部に贈りたい。

 「真実は雲を貫き、太陽のように輝く。太陽のように、真実は不滅なのだ! 」(ラス・力ーズ編、小宮正弘訳『セント・ヘレナ日記抄』潮出版社から)

 1.御書には「日蓮の弟子の中に異体異心の者があれば、それはたとえば、城の内部の者が城を破るようなものである」(1337ページ、通解)と厳しく戒められている。

 広布の城を永遠ならしめるため、戸田先生は、昭和33年のご逝去の直前 ── 「3・16」の記念式典を終えられた直後に、肺腑(はいふ)をえぐるように強く言われた。

 「今後の学会は、くさった幹部を切らねばならない」

 正義のために戦わない。それどころか、私欲に狂い、尊き同志を苦しめる。こうした増上慢人間が出たことは、皆さんがご存じの通りである。

 広宣流布を破壊する「師子身中の虫」は、将来のために断じて打ち破らねばならない。

 仏法は勝負であるからだ。仏と魔との間断なき戦いである。

 また、先生は、よく、こう言われていた。

 「滅びるか、それとも伸びゆくか。人間も、団体も、二通りにわかれている。滅びゆく人生には絶対になるな! 伸びゆく人生であれ! 」

 信心は、無限に向上していくエンジンである。

 どこまでも「伸びゆく人生」のドラマを、晴れ晴れと綴ってまいりたい(大拍手)。

◆「ナポレオンならどうするか」と

 1.若きナポレオン世界史の表舞台彗星のごとく登場した時、彼の行くところ、「前進、また前進! 」の、みずみずしい息吹があった。

 戦いが窮地(きゅうち)に陥ると、自ら先頭に立って、皆を鼓舞し、勝利を切り開いた。

 「私とともに進め! 私の後に続け! 」と。

 戦いを終えると、彼は陣地を回って兵士たちをねぎらい、負傷兵をいたわり、皆と一緒に休んだ。

 皆と食事も一緒に分かち合った。

 兵士たちは、そんな彼を「小伍長(しょうごちょう)」のあだ名で呼び親しんだ。

 そこには上下という意識はなかった。古い権威や、虚栄とも、無縁だった。

 愛する祖国を守り、フランス革命の理想を確立しよう。そういう思いに、皆が燃えていた。

 第1次イタリア遠征では、兵士たちの「ラ・マルセイエーズ」(フランス国歌)の晴れやかな歌声が、アルプスの山々に響きわたったという。

 しかし、やがて、ナポレオンの隊列から、こうしたみずみずしい息吹も、一体感も、失われていく。

 ナポレオン自身が戦場を駆けめぐり、すべてを自分で判断して、細かく指令を出していた時は、まだよかったが、軍隊の規模が大きくなると、ナポレオンの目も全軍に行き届かない。

 だからこそ、「ナポレオンなら、どうするか」「ナポレオンの考えは、こうである」と自分の頭で考え、行動する「不二」の人間が必要だったのである。

 しかし、ナポレオンの命令通りに動けば勝利が手に入った将軍たちは、いつしか“自分で判断することができない”“指示を待って動く”という官僚主義に陥ってしまった。組織が硬直化していった。

 これが、ナポレオンの行き詰まりの大きな要因となった。

•••抑える」のではなく「育てよ」

 一、ナポレオンの栄光は、わずか20年であった。

 100年、200年と栄えていく組織をつくることが、いかに至難の事業であるか。

 いわんや、「末法万年尽未来際(まっぽうまんねんじんみらいさい)」の広宣流布に挑(いど)んでいるのが、創価学会である。

 戸田先生は強く訴えられた。

 「組織を陳腐化(ちんぷか)させてはならない。官僚主義で機械的に上がっていくような、また、そつなくやっていればいいというような、退嬰的(たいえいてき)、保守的な組織になってはいけない。

 人材が、どんどん抜擢(ばってき)されるような、生き生きとした組織でなければならぬ。

 学会は、人材で築かれた城なのだ。

 広宣流布を唯一の目的とする一つの生命体だ。

 そして日進月歩、つねに生々(せいせい)発展する生命そのものなのだ」

 今、各地で新しい人材が躍り出てきた。私は、本当にうれしい。

 次の世代がどうなるか ── これは、今のリーダー責任である。その決心の深さで決まる。

 絶対に、若い人を、上から抑えつけてはいけない。それでは、人は伸びない。この一点を、間違えたら怖い。

 「抑える」のではなく「育てる」のだ。

 後輩たちが「本当にお世話になった」「厳しかったけど、楽しかった」 ── そう思えるような良き先輩であっていただきたい。皆が「張りあい」をもって進めるよう、励まして励まし抜いていただきたい。

 今、人材を育てておかなければ、間に合わない。「次の50年」を担う青年の陣列を築き上げたい。どうか、よろしく頼みます!

 ともあれ、年配になっても、心まで老いてはならない。牧口先生戸田先生がそうであられたように、心は生涯、青年でなければいけない。

 いくら年を重ねても、「さあ、やろう! 」と気迫をもって進むのだ。

 命ある限り、「月月・日日」に、“広宣流布の生命体”である学会とともに、同志とともに、前進、また前進し続けていくことである。

 明年の「青年・躍進の年」とは、年配者も青年も一体になって、皆が青年の息吹で躍進していく一年であることを、朗らかに決議しあって、記念のスピーチとしたい。

 どうか、各方面、そして各国の偉大な同志に、創立75周年の大勝利の祝賀と感謝の心を、くれぐれも、よろしくお伝えください。

 きょうは、本当にありがとう! (大拍手

             


創立75周年記念本部・海外最高協議会

【そうりつななじゅうごしゅうねんきねんほんぶさいこうきょうぎかい】

昨年の創立の月に指導された、創立80周年へ向けての万端の準備と、万代の弟子に対する万感の期待を込めた、協議会戸田先生の御指導、古今の偉人の箴言・哲学思想を通し、真の平和世界の構築・実現に向けての甚深の御指導と拝される。

以下、

創立75周年記念本部・海外最高協議会でのSGI会長のスピーチ〔上〕

••• 大勝利の創立の日 ありがとう

••• 共に元気に! 大満足の人生を飾れ

••• 創立80周年へ 不滅の創価城の構築を

─•─ 人材はほめて伸ばせ! ─•─

•• 皆の意見に耳を傾けよ 納得の対話から新たな発展が

【SGI会長のスピーチ】

 1.大勝利の創立75周年、おめでとう! (大拍手

 広宣流布の伸展は、皆さま方の「努力」と「忍耐」と「勇気ある闘争」によって、勝ち得たものである。

 日蓮大聖人が、どれほど賞讃しておられることか。

 また、大聖人の仏法を広宣流布していく私どもを、二祖・日興上人も、三祖・日目上人も、そして十方世界の仏菩薩も、どれほど讃嘆し、強く深い守護をしてくださることか。

 それは、経文に照らし、御書に照らし明確である。

 妙法を弘める我々が、不幸になることは絶対にない。最後は必ず勝つ仏法である。

 それを強く確信していただきたい(大拍手)。

◆ 同志の幸福こそ

 一、恩師の戸田先生はよく言われていた。

 「私は、学会員幸福になればいいのだ。わが同志の幸福こそ、私の願いである」と。

 私も恩師と「同じ心」で生きてきた。

 そしてまた、「死身弘法」の皆さま方に、ただただ頭(こうべ)を垂れ、御本尊に皆さま方のご健康、ご長寿、ご多幸を祈り続けている。

 この一年も、幾多の困難を乗り越えながらの大闘争、本当にご苦労さまでした。

 広宣流布のための労苦は、すべてが、満足の中の大満足と変わる。

 日蓮大聖人は、人間にとっての究極の満足とは、「一生成仏」であると教えておられる。

 我々は「成仏の直道(じきどう)」をまっすぐに進んでいるのである。

 ともあれ、次の目標は、学会創立80周年(2010年)である。

 ともに元気に、ともどもに学会歌を歌いながら、堂々たる不滅の創価城を構築してまいりたい。

 そしてまた、ともどもに「一生成仏」という“最高の所願満足の山”を見事に登攀(とうはん)してまいりましょう! (大拍手

 1.今月2日、本部幹部会の席上、私は、全同志とともに、「プーシキン金メダル」を拝受した。

 うれしいことに、ロシアをはじめ、国内外のプーシキンを愛する方々からも、祝福のお便りを多数いただいている。

 ロシア国民詩人であり、「近代文学の父」「詩歌(しいか)の太陽」と讃えられるプーシキンは謳った。

 「この世を飾るのは、友情のみ。

  友情なくして、喜びはない」

 私たちは、世界に真の友情を結んでいる。

 プーシキンは、こうも語っている。

 「当然、人には、家柄を超える尊厳がある。

  つまり、人格の尊厳である」

 人間の「自由」と「尊厳」を高らかに謳い上げたプーシキンの詩には、人格の光があり、温もりがある。

 それゆえに、今もなお、ロシアの民衆に深く愛されてやまないのであろう。

 1.文豪トルストイは、プーシキンを「我々の教師」と讃えている。

 また、19世紀ロシアの著名な文芸評論家ベリスキーは、プーシキンを「何百万もの人々を潤すボルガ川」にたとえた。

 今回、来日されたシードロフ委員長も、このボルガ川の沿岸で生まれ育った方であった。

 プーシキンをこよなく愛する同委員長は、本部幹部会に集った創価の友の喜々とした姿に触れて、「太陽よ万歳! 闇よ消えよ! 」とのプーシキン言葉を贈ってくださった。

 そして、「偉大な詩人は、あたかも創価運動を予見していたかのようであった」とまで言ってくださったのである。

会館を飾る写真

 一、さらに、同委員長とともに来日されたファトクーリン書記から、一通の書簡をいただいた。

 この書簡には、モスクワの「中央芸術家会館」において、私の「自然との対話」写真展を開催したいとの旨が記されていた(大拍手)。

 同会館は、ロシアの“心臓部”であるクレムリンに向かい合って立つ“芸術の宝城”である。

 同書記によれば、年間300件以上の展示会を開催し、年間約100万人が鑑賞に訪れるという。

 素人である私の写真に対し、まことに、身に余る要請をいただいた。

 私が写真を始めたのは、ある方からカメラをいただき、そのご厚情にお応えして、写真を撮ったことが、きっかけだった。

 また、学会会館の中を飾るのに、絵は高くて、すべての会館に置くわけにはいかない。

 かといって壁に何もないのでは、あまりに殺風景であろう。

 それならば、写真を置いてはどうかと思い、寸暇を見つけては、目にした自然光景などを撮影するようにしてきたのである。

 このようにして始めた私の写真が、海外の皆さんの目に触れて、相互理解や文化の親善につながるならば、これ以上の喜びはない。

•麗(うるわ)しき友情の劇

 1.さてプーシキンは、1799年6月、モスクワの貴族の家に誕生した。

 開設されたばかりの英才教育の学園に、1期生として学んだ。

 彼が、生涯、この母校を愛し、同窓の友情を大切にしたことは、よく知られている。

 若き日、プーシキン圧政を批判する詩を発表したことで、都を追われる。その後、6年間にわたって追放生活を余儀なくされている。

 その追放先に、数人の同窓の友が危険を顧みず、はるばる駆けつけ、プーシキンを励ました麗しき友情の劇は、馥郁(ふくいく)たる薫りを放っている。

 彼は、その深き友情に感謝をこめて、謳った。

 「おお友だちよ」「君のこえはながい眠りのなかから心の火をよびさました。わたしは喜びに胸をみたされ運命をたたえた」(金子幸彦訳『プーシキン詩集岩波文庫

 その後もプーシキンは、権力による検閲や周囲の誹謗中傷などと戦い続けた。

 その闘争のなかで、世界文学に輝く不滅の傑作を残していったのである。

 主な作品に、韻文(いんぶん)形式の小説『エヴゲーニー・オネーギン』、歴史小説『大尉の娘』、史劇『ボリス・ゴドゥノフ』などがある。詩作は800編以上にのぼる。

 プーシキンの心は、毅然としていた。

 彼は、「よこしまの力のゆえにこの世に高い地位をたもつ悪者やうつけ者(=愚か者)の運命をうらやむことなく」(同)とも綴っている。

 悪党どもの運命の行く末は、惨(みじ)めな敗北に決まっているからだ。

 さらに、プーシキンは言った。

 「思想がなければきらびやかな表現も何の役にも立たない」(川端香男里訳「評論」、『プーシキン全集5』所収、河出書房新社

 同じように、思想のない、哲学のない、信念のない人間は、どんなにきらびやかに身を飾ろうとも空しいものだ。

 私たちは、妙法という最高の思想、最高の哲学に基づいた、最高に尊い人生を歩んでいる。そのことを誇りとしてまいりたい。

ブラジル広布45周年を讃嘆

 一、きょうは、遠くブラジルGIの首脳も出席してくださっている。

 ブラジル広宣流布の栄光の45周年、まことに、おめでとう! (大拍手

 本当に、よく頑張ってくださった。

 ブラジルGIは今、あらゆる面で大発展している。

 すべてはブラジルの同志のおかげである。

 サンパウロ近郊に広がるブラジルGI自然文化センターも、皆さまの真心で素晴らしく整備されているとうかがっている。うれしいことである。

 また、アマゾン中流域のマナウス市近郊に開設されているアマゾン自然環境研究センターにも、各界から高い評価が寄せられている。

 <本年7月には、同センター環境保全の取り組みなどを讃えて、マナウス市に、SGI会長の名前を冠した州立「池田大作高校」が設立されることが発表された>

 アマゾン ── 世界の憧(あこが)れの地である。私も、いつの日か訪問できることを、楽しみにしている。

••≪ブラジル文学の巨星≫

    ── 海よりも強いもの それは民衆

    ── 人民の叫びはどんな声よりも強力

◆ 勝利の大叙事詩

 一、ブラジル文学界の巨星で、私たちSGIの深い理解者であられたジョルジェ・アマード氏は、誇り高く「民衆」を讃え、「人民」を謳い上げた。

 「海よりも強いもの、それは民衆である」

 「民衆は毎日 詩の新しい奇跡を、英雄心の新しい奇跡をつくり出す」(神代修訳『希望の騎士 革命プレステス』弘文堂新社。以下同じ)

 さらにアマード氏は綴っている。

 「われわれは人民がいつも真実を求め、真実を旗じるしにしようとするのを知っている。

 また人民の真の指導者人民によって鍛えられた人たちは、圧制者の仮面にだまされはしない」

 「人民の叫び声はどんな叫び声よりも強力である」

 その通りである。

 ブラジルGIの45年、そしてわが創価学会の75年の歴史は、最も気高く、最も強き民衆の勝利の大叙事詩であると宣言したい(大拍手)。

 偉大な存在 ── それはひとえに、広宣流布に邁進する学会員である。

 ブラジルにおいても、わが尊き同志の貢献に賞讃が絶えない。

 今月も、サンパウロ州など各地で、11・18「創価学会創立記念日」の意義を刻む「慶祝議会」が盛大に開催される予定である。

 また、このほど、ブラジルの名門バイア・カトリック経済大学から、光栄にも私に対して、同大学の第1号となる「名誉博士号」の決定通知が届けられた(大拍手)。

 すべては、尊き社会貢献の活動を広げゆくブラジルの同志への絶大なる信頼の賜(たまもの)であり、賞讃の証(あかし)にほかならない。

 貴国の皆さま方に重ねて心から感謝申し上げたい(大拍手)。

 1.ブラジルの文豪アマード氏はまた、こうも綴っている。

 「いつわり仮面をかぶった者たちは、苦しめられ、卑劣な甘言の手がさしのべられると、すぐに脱落してしまうことだろう」

 広宣流布の途上にあっても、仮面をかぶった卑劣な輩が、退転し、弓を引いていったことは、ご存じの通りだ。

 そしてアマード氏は、「幸福とは正義を理解すること」であり、「(幸福とは)勇気や品格のある生活のなかにある」と洞察している。

 まさに、たゆみなく学会活動に勇み舞いゆかれる皆さま方の人生の英姿であるといってよい。

 アマード氏が、ひときわ讃えたのは、苦悩にも毅然として立ち向かい、冷静に、そして妥協を許さず進んでいく“庶民の母”であった。

 “この母の喜びこそが民衆の喜びである” ── こうアマード氏は結論している。

 母は偉大である。

 母は勇敢である。

 母は聡明である。

 母は正義である。

 その母たちが幸福に輝いていってこそ、平和希望の園が広がるのだ。

••• 婦人部の皆様ありて広宣流布は盤石!

邪宗邪宗2006/12/09 11:35バイアカトリック経済大学って、邪宗・不幸の源としているキリスト教系ではないですか。称号や名誉がもらえれば、そんなことはどうでも良いことなのですね。矛盾だらけ、ご都合主義。宗教とは名ばかりのマルチ団体ですね

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