k-esuの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-11-26木絵二像 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

木絵二像

【もくえにぞう】

木像・絵像のこと。木画とすることもある。ネット教学部で特に個別に詳述する必要はないと思われるので、御書『木絵二像開眼之事』にならい、便宜上木絵二像とした。


釈尊滅後、弟子も含めた衆生永遠不滅に存在する釈尊に憧憬の念を抱き、仏の骨(舎利)を釈尊として崇めたが、これは限りがあり、接することが出来る者に限りがあるため、仏の形像を木像にしたり、絵にしてこれを釈尊として扱った。一種の法体である。


しかしながら、この二像と生身(在世)を拝する時、功徳に勝劣があるかといえば、『大瓔珞経』では生身の釈迦には劣ると論じられている。仏の特徴を要略した(いずれも現実にはありえない爾前の応身の姿として)三十二相のうち、梵音声(ぼんのんじょう)、即ち声が木像にも絵にも表現されないからである。


文字によって仏の悟りや威光を表現しなければ成仏出来ない所以である。


大聖人が(方便として)一体仏の仏像造立を門下に認められている御書は、

『善無畏三蔵抄』(881頁)、『真間釈迦仏御供養逐状』(950頁)、『四条金吾釈迦仏供養事』(244頁)、『日眼女造立供養事』(287頁)


また一尊四士(釈迦+四菩薩)二尊四士(釈迦・多宝+四菩薩)の造立を許可されていたとされる御書として、『唱法華題目抄』(1頁)、『四菩薩造立抄』(987頁)があげられ、


伊豆流罪の折りに得られた仏像を所持されたことが拝される御書として、

清澄寺大衆中』(893頁)、『神国王御書』(1516頁)、『忘持経事』(976頁)等があげられる。


日顕が随身仏を所持し、入浴時以外大切に携行していたとの元奥番の証言があるが、これが大聖人の行躰次元を大きく異にし、まして法体の広布完成後の今日、謗法である事は否めない。

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