k-esuの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-11-29創価学会の歴史と確信3 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

創価学会の歴史と確信3

【そうかがっかいのれきしとかくしん】

その取調べにたいして、同志が、みな退転しつつあることを知ったのであった。歯をかみ締めるような情けなさ。心のなかからこみ上げてくる大御本尊のありがたさ。私は一生の命を御仏にささげる決意をしたのであった。敗戦末期の様相は牢獄のなかまでひびいてくる。食えないで苦しんでいる妻子の姿が目にうつる。私は、ただ大御本尊様を拝んで聞こえねど聞こえねばならなぬ生命の力を知ったがゆえに、二千遍の唱題のあとには、各々に百遍の題目を回向しつつ、さけんだのである。

「大御本尊様、私と妻と子との命を納受したまえ。妻や子よ、なんじらは国外の兵の銃剣にたおれるかもしれない。国外の兵に屈辱されるかもしれない。しかし、妙法の信者戸田城聖の妻として、また子と名のり、縁ある者として、霊鷲山会に詣でて、大聖人にお目通りせよ。かならず厚くおもてなしをうけるであろう」

毎日、唱題と祈念と法悦の日はつづけられるとともに、不思議や、判事の私の憎むことを山より高く、海よりも深き実情であった。法罰は厳然として、彼は天台の一念三千の法門の取調べになるや、重大な神経衰弱におちいり、十二月十八日より三月八日まで一行の調書もできず、裁判官を廃業してしまったのである。

牧口先生いじめ軽蔑し、私を憎み、あなどり、同志を裏切らせた彼は、裁判官として死刑をうけたのである。阿弥陀教の信者の立場で私ども同志を裁いた彼は、無間地獄まちがいなしと信ずるものである。

不思議は種々につづいたが、結局、七月三日に、私はふたたび娑婆へ開放されたのであった。帰ったときの憤りは、御仏にあらずんば知るあたわざるものがあった。創価学会のすがたはあとかたなく、目にうつる人々は御本尊を疑い、牧口先生を恨み、私を憎んでいるのである。

幹部は、一人となく退転し、強く広宣流布を誓った自分ながら、空爆のあとの焼け野原に立って孤独を感ずるのみであった。

私は、まず大法流布に自重して時を待った。そしてまず、法華経哲学を説いたのであった。これがまた大謗法になることは、後において実証せられたのであるが、自分としては再建の第一歩であったのである。そのとき、まず、創価学会員のうち六名の諸氏が、駆けつけたのであった。それ以後、日蓮正宗の教義および、大御本尊の偉大な法力・仏力を再教育し、いかなる難に出会うとも、退転することなき強き信念を植え付け、信心の正しきありかたを教え、折伏こそ大聖人の御意志であることを知らしめたのである。

昭和二十一年の秋には、創価学会の再建はひとまず諸についたかたちとなったが、いまだ人材はそろわず、信力弱く、学力は低く、とうてい一国広宣流布の大旗は掲げられなかったのである。ゆえに、折伏行を第一義の訓練にはいり、初信者をただお寺へ案内するだけの弱い折伏の姿であった。

第四回の総会に私がいいました如くである。今一度、そのときのことばを引用するが、いまだ大確信のこもったものでないことは、読者にはよくわかることと思う。

日蓮大聖人様から六百年余年、法燈連綿と正しくつづいた宗教日蓮正宗である。もっとも完全無欠な仏法が正宗なのである。

この仏法こそ、私達を真に幸福にみちびいてくれる宗教であることを、私たちは日夜身をもって体験しているのである。世界の文化がいくら発達しても、国と国とのもつ間柄が道徳を無視して、実力と権力闘争の世界では、けっして人類の真の幸福は無い。不幸にして原子爆弾による戦争が起ったならば、世界の民族は崩壊の道をたどる以外ない。このときに日本国に厳然として存在している人類の破滅を阻止しうる偉大な宗教が、日蓮大聖人によって与えられているのであると確信する。

毎朝、御観念文に拝するごとく、主師親の三徳をそなえられていらっしゃる大聖人を、われわれごとき者が拝することのできるのは、真にもったいないしだいである。われわれは大聖人の家来であり、子であり、弟子なのである。そして宇宙の仏様であらせられる大聖人の家来、子、弟子となれることは人生の大因縁なのである。しかも開示悟入の大聖人の因縁である。

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