k-esuの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-12-31常在寺 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

k-esu20061231

常在寺

【じょうざいじ】

山号、霊鷲山常在寺豊島区池袋にある、日蓮正宗寺院。

大石寺第16世日就 (永禄10(1567)年−寛永9(1632)年)により、慶長10(1605)年、当時の江戸下谷に常在院として創設(開基檀那は細井治良左衛門)。

牧口先生折伏した教育者・三谷素啓氏の講は、常在寺の所属としても知られる。現住職は、大石寺第66世日達の長男の細井珪道。

戦前昭和19年当時、第62世日恭によって、戦勝祈願の唱題会が行われたとされる。

大田大田2010/05/05 23:46先頃に私は常在寺の近辺を歩きながら、この古刹の歴史が日蓮正宗に深く関係している事実を知り、手を合わせる事が多くなりました。

opxazxwwqaopxazxwwqa2014/12/04 02:44kxdtttplbhbllbj, <a href="http://www.vmovdxpsim.com/">qaofkbooii</a> , [url=http://www.gncpgrpyqw.com/]wttunfutvl[/url], http://www.xbwrynvrgb.com/ qaofkbooii

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061231

2006-12-30日達 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

k-esu20061230

日達

【にったつ】

日蓮正宗第66世法主。細井日達(精道)。

1902年明治35)4月15日東京京橋誕生

1910年明治43)8月12日総本山第57世日正を師範として得度し精道と名乗る。

1936年(昭和11大阪堺市の本伝寺住職。

1941年(昭和16東京池袋霊鷲山常在寺の住職。

1946年(昭和21)宗務院庶務部長に就任。

1956年(昭和31)総監。

1959年(昭和3411月15日、第65世日淳より「血脈相承」を受ける。17日、日淳の遷化に伴い、「日達」と名乗り、日蓮正宗管長大石寺住職・法主。

1961年(昭和36)11月、宗祖日蓮大聖人680遠忌法要を執行。大石寺三師塔東大塔建立。同年、大石寺中本種坊を創設。

1962年(昭和374月15日還暦を迎える。

1963年(昭和38)3月、大石寺塔中遠信坊を再興。

1964年(昭和39)3月、大石寺塔中雪山坊を再建新築。4月、本門大客殿を再建新築大石寺塔中妙遠坊を創設。

1967年(昭和42)12月、大石寺中本住坊再建新築9月1日に本尊を書写)。

1972年(昭和47)10月、池田先生の発願により、大石寺正本堂を建立。大石寺常来坊・常灯坊を創設。

1978年(昭和534月15日、76歳の誕生日に第67世日顕に「血脈相承」の内証を付したとされる。

1979年(昭和547月22日早朝5時05分、77歳で遷化。弟子は離脱した僧侶も含めて580名余。建立した寺院は280々寺。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061230

2006-12-29工藤吉隆 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

工藤吉隆

【くどうよしたか】

左近尉吉隆。天津人。文永元年11月11日華房(はなぶさ)蓮華寺より大聖人をご招待した途次、小松原にて東条左衛門に襲撃を受け(小松原の法難)、鏡忍房と共に戦死。身命を捨てて信仰を全うした大信者。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061229

2006-12-28曾谷教信 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

曾谷教信

【そやきょうしん】

二郎兵衛尉教信。旧下総葛飾郡曾谷の産。一時は三位房のように増上慢となるが訓戒され、改心。

富木・大田氏と共に信仰に邁進した。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061228

2006-12-27大田乗明 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

大田乗明

【おおたじょうみょう】

五郎左衛門乗明のこと。三大秘法抄等を賜ったとされる。息子は日高で、日高中山に本妙寺を開創するが、後に若宮の寺と合併し、法華経寺として大謗法の寺となった。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061227

2006-12-26寂日房 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

寂日房

【じゃくにちぼう】

寂日房日家。興津の産。大聖人の生地に、誕生寺を建立。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061226

2006-12-25大正 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

大正

【たいしょう】

大正新脩大蔵経』のこと。全88巻

仏教経典の集積としては、おそらく世界的な業績で、インド中国日本の一切経の経典が編集されており、創価学会版『日蓮大聖人御書講義』各巻の通解等にも多数依用されており、(大正_巻_頁)とある時は、『大正新脩大蔵経』からの出典であることを示している。

収録されている内容を主に分類すると、

阿含

本縁部

般若部1-4

法華部・華嚴部

寶積部・涅槃

大集部

經集部1 經集部2 經集部3 經集部4

密教部1 密教部2 密教部3 密教部4

律部

釋經論部

毘曇部

中觀部・瑜伽

論集部

經疏部

律疏部・論疏部

諸宗部1-3 諸宗部4-5

史傳部

事彙部・外教部・目録

續經疏部

續律疏部・續論疏部

續諸宗部1-7 續諸宗部8-10 續諸宗部11-13 續諸宗部14-15

悉曇部

古逸部・疑似部

が各巻に収められている。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061225

2006-12-24闘諍言訟・白法隠没 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

闘諍言訟・白法隠没

【とうじょうごんしょう・びゃくほうおんもつ】

仏滅2000年以降の、末法をさす。正法・像法のように、仏教開祖としての釈尊が自身の滅後の予言を具体的に限定していないので、実質万年にわたって闘諍言訟・白法隠没の時代は続くとされる。

この時代は、仏法は名のみで、形骸を残し、釈迦仏法の本懐たる『法華経二十八品』をもってしても衆生の救済は不可能とされる。これは、釈迦仏法では、基本的に「本已有善」というかつて、どこかの国土で釈迦に縁し、そこで下種された因をもって、得脱する衆生を表にたてるが、末法においては「本未有善」という、釈迦過去現在未来に縁する事のない三毒強盛の衆生しか生まれないとするためで、故に釈迦を教主とする仏法の命脈は完全に尽きる時代とされる。

尚、法華経薬王品では、この時代を「広宣流布」とする。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061224

2006-12-23多造塔寺堅固 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

多造塔寺堅固

【たぞうとうじけんご】

像法後半の500年のこと。この時代は玄奘がインドより経典を持ち帰り、これを漢語に訳したものを新訳といい、以後、法相・三論・華厳・真言の各宗が中国で興隆し、多数の仏教寺院が建立したが、実際は仏教堕落が始まった。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061223

2006-12-22読誦多聞堅固 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

読誦多聞堅固

【どくじゅたもんけんご】

釈迦滅後1000年から2000年(以降、末法)の像法年間の最初の500年間をさす。

この時代は仏法がインドから中国に渡った時期で、後漢の明帝期の永平10(A.D.,67年・釈迦滅後1015年※)年に、仏教中国に伝えられたとされている。

中国では経典の翻訳が非常に盛んになされ、羅什三蔵や、天台(538年生)といった漢訳の仏典の基礎を築いた人物が活躍した。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061222

2006-12-21禅定堅固 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

禅定堅固

【ぜんじょうけんご】

正法後半500年をさす。この時代は、権大乗が流布し、衆生は大乗を修し、深く三昧に入り心を鎮める行を行った。論師としては、付法蔵第11の馬鳴から、同第24師子尊者まで、大乗を大いに弘めた。

小乗を破り、大乗を広宣した論師として、馬鳴・竜樹・無著・天親菩薩等が有名。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061221

2006-12-20解脱堅固 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

解脱堅固

【げだつけんご】

大集経第五十五にある、5箇の五百歳の最初。釈迦滅後1000年間を正法期間とし、その最初の500年において、衆生が主に小乗戒を持ち、解脱を求めた時期。付法蔵の摩訶迦葉から、第10富那奢までが、小乗をよく弘通した論師として知られている。又4回にわたる仏典結集(「けつじゅ」とも)も行われ、アソカ・アジャセ・カニシカ王等が外護を尽くした。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061220

2006-12-19澄観 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

澄観

【ちょうかん】

中国・華厳宗第4祖。清涼国師のこと。

会稽山陰(かいけいざんいん)の人で、11歳で応天寺に出家法華経を読誦し、14歳で得度。南山律・三論を学び、妙楽大師に師事し天台止観を学んだ。天台山清涼寺に住して華厳を弘め、9朝のうち7帝の師となり、開成3年没。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061219

2006-12-18三障四魔 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

三障四魔

【さんしょうしま】

名目は、天台の著した『摩訶止観』第五にある。

三障とは、

1.三毒により起る、煩悩

2.妻子等により起る、業障

3.国主・父母等により起る、報障

をいい、

四魔とは、

1.五体により起る陰魔

2.妄惑により起る煩悩魔 

3.修行中の若死等の死魔

4.第六天の魔王による天子魔

がある。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061218

2006-12-17仏法伝来 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

仏法伝来

【ぶっぽうでんらい】

本項では、日本仏教が渡来した点について。

大聖人は『御書』(日蓮大聖人御書全集)で、第30代欽明天皇の代に伝来(以来700年間)とされている。(※日本書紀の説)

本邦に伝来した時期については種々の説があるが、代表的なものを挙げると、

1.継体天皇16年2月に司馬達等(たっと)の来日。(出典『法華験記』『水鏡』等)

2.宣化天皇3年12月 (出典『三国仏法伝通縁起』、審祥の説)

3.欽明天皇3年10月 (出典『一代要記』)

4.欽明天皇6年9月  (出典『帝王編年記』『八宗網要』)

5.欽明天皇7年 近年の学者研究

6.欽明天皇13年10月 (出典『日本書紀』)

があり、欽明天皇の御代周辺であり、6の説をとれば、欽明天皇13年(552年)であれば、大聖人御誕生の1222年から遡る事670年前となる。

※「是の法は諸法の中に於いて最も殊に優れて為(いま)す解(しり)難し。周公孔子も尚知ること能わず。此の法能く無量無辺・福徳果報を生(なし)て、乃至(すなわち)我無上菩提を成ず。譬えば人、随意宝を懐き用うべき所に逐(したが)いて情の依(まま)なるが如し。此の妙法の宝も亦復(またまた)然(しか)なり。祈願(もとめねが)うことを情に依(したが)い乏しき所無し。且つ夫れ遠く天竺よりここ三の韓に泊(いた)る。教(みのり)の依(まま)に奉持(うらたもち)尊敬(そんぎょう)せざること無し。是より百済王、臣明謹、陪臣怒唎斯到契(ぬりしちけい)を遣わし帝(みかど)国に伝え奉ず。畿内(うちつくに)に流通(あまねくかよわ)すること、仏所記(のたもう)我法東に流(つたえん)ということを果たすなり」と、百済・聖明王欽明天皇13年10月13日、西部(せいほう)の姫氏、達卒怒唎斯到契等に、金銅製の釈迦仏像、幡蓋(ばんがい)、経論等を欽明天皇に献上したとある。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061217

2006-12-16先判・後判 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

先判・後判

【せんぱん こうはん】

釈尊一代の経々の中で、爾前経の中で、各々の勝劣を判じたものを「先判」とし、法華経において勝劣を論じたものを後判という。

≪絶待妙≫

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061216

2006-12-15山左 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

山左

やまかつ

御書に出る言葉。山賤(やまがつ)ともいう。卑しい身分の者の意味

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061215

2006-12-14六相 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

六相

【りくそう】

『華厳経十地品』にとかれる、華厳の円理を説く法相

総・別・同・異・成・壊の6つの相が一切の法に具足しているものの、凡夫(衆生)には各々別々に見えるとされている。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061214

2006-12-13原書 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

原書

【はらしょ】

古来、興門で『原殿御返事 』を呼ぶときの呼称の一つ。『原殿御返事 』のこと。

以下、

原殿御返事

 

 御札委細拝見仕り候い畢んぬ。抑此の事の根源は、去ぬる十一月の頃南部弥三郎殿此の御経を聴かんが為入堂候の処に、此の殿入道の仰せと候いて、念仏無間地獄の由聴かしめ奉り給うべく候、此の国に守護の善神無しと云う事云わる可らずと承り候いし。是こそ存外の次第に覚え候え、入堂殿御心替わらせ給い候かとはつど推せられ候。

 

 殊にいたく此の国をば念仏真言禅律の大謗法の故大小守護の善神捨て去る間、その後の祠(ほくち)には大鬼神入り替わりて、国土に飢饉、疫病、蒙古国の三災連連として国土滅亡の由、故に日蓮聖人の勘文関東の三代に仰せ含ませられ候い畢んぬ、此の旨こそ日蓮阿闍梨の所存の法門にて候え、国の為世の為一切衆生の為の故に、日蓮阿闍梨仏の御使として大慈悲を以つて身命を惜しまず申され候いきと談じて候いしかば、弥三郎殿念仏無間の事は深く信仰し候い畢んぬ、守護の善神此の国を捨去すと云う事は不審未だ晴れず候。

 

 其の故は鎌倉に御坐し候御弟子は諸神此の国を守り給う尤も参詣すべく候、身延山の御弟子は堅固に守護神此の国に無き由を仰せ立てらるるの条、日蓮阿闍梨は入滅候誰に値てか実否を決すべく候と、委細に不審せられ候の間、二人の弟子の相違を定め給うべき事候。師匠は入滅候と申せども其の遺状候なり、立正安国論是れなり。

 

 私にても候わず、三代披露し給い候と申して候いしかども、尚お心中不明に候いて御帰り候い畢んぬ、是と申し候は、此の殿三島の社に参詣渡らせ給うべしと承り候いし間、夜半に出で候いて、越後房を以つて、いかに此の法門安国論の正意日蓮聖人の大願をば破し給うべき、御存知ばし渡らせおわしまさず候かと申して、永く留め進らせし事を入道殿聞こし食され候いて、民部阿闍梨に問わせ給い候いける程に、御返事申され候ける事は、守護の善神此の国を去ると申す事は、安国論の一遍にて候えども、白蓮阿闍梨外典読みに片方を読みて至極を知らざる者にて候、法華の持者参詣せば諸神も彼の社壇に来会すべし、尤も参詣すべしと申され候いけるに依つて入道殿深く此の旨を御信仰の間、日興参入して問答申すの処に、案の如く少しも違わず、民部阿闍梨の教えなりと仰せ候いしを、白蓮此の事は、はや天魔の所為なりと存知候いて少しも恐れ進らせず、いかに謗法の国を捨てて還らずとあそばして候守護神の、御弟子の民部阿闍梨参詣する毎に来会すべしと候は、師敵対七逆罪に候わずや、加様にだに候に、彼の阿闍梨を日興帰依し奉り候わば其の科日興遁れ難く覚え候。

 

 今より以後かかる不法の学頭をば擯出すべく候と申す。やがて其の次に南部郷の内福士の塔供養の奉加に入らせおわしまし候、以つての他の僻事に候。総じて此の二十年の間、持斎の法師影をだ指さざりつるに、御信心如何様にも弱く成らせ給いたる事の候にこそ候いぬれ。是れと申すは彼の民部阿闍梨世間の欲心深くしてへつらい諂曲したる僧、聖人の御法門を立つるまでは思いも寄らず大いに破らんずる仁よと、此の二三年見つめ候いて、さりながら折折は法門説法の曲がりける事を言われ無き由を申し候いつれども敢えて用いず候、今年の大師講にも、敬白の所願に天長地久御願円満左右大臣文部百官各願成就との給い候いしを、此の祈は当時は致すべからずと再三申し候いしに、争でか国恩を知り給わず候べきとて制止を破り給い候いし間、日興は今年問答講仕らず候いき。

 

 此れのみならず、日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来画像は一二人書き奉り候えども、未だ木像は誰も造り奉らず候に、入道御微力を以つて形の如く造立し奉らんと思し召し立ち候に、御用途も候わざるに、大国阿闍梨の奪い取り奉り候仏の代わりに其れ程の仏を造らせ給えと教訓し参らせ給いて、固く其の旨を御存知候を、日興が申す様には、せめて故聖人安置の仏にて候わさばさも候いなん。

 

 それも其の仏は上行等の脇士も無く始成の仏に候いき、其の上其れは大国阿闍梨の取り奉り候いぬ、なにのほしなさに第二転の始成無常の仏のほしく渡らせ給うべき。御力契い給わずば、御子孫の御中に作らせ給う人出来し給うまでは、聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし。いかに聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主の木像をば、最前には破し給うべきと強いて申して候いしを、軽しめたりと思し食しけるやらん、日興はかく申し候こそ聖人の御弟子として、其の跡に帰依し進らせて候甲斐に重んじ進らせたる高名と存知候は、聖人や入り替わらせ給いて候いけん、いやしくも諂曲せず、只経文の如く聖人の仰せの様に諫め進らせる者かなと自讃してこそ存知候え。

 

 総じて此の事は三の子細にて候。一には安国論の正意を破りぬ、二には久遠実成の釈迦如来の木像最前に破れ候、三には謗法の施初めて施され候いぬ、此の事共は入道殿の遠失にては渡らせ給い候わず、?えに諂曲したる法師の過りにて候えば、思し召しなおらせ候いて、今より已後安国論の御存知在世二十年の様に信じ進らせ候べしと、改心の御状をあそばして御影の御宝前に進らせ給えと申し候を御信用候わぬ上、軽しめたりとや思し食し候いつらん、我は民部阿闍梨師匠にしてる也と仰せの由承り候いし間、さては法華経の御信心逆に成り候いぬ日蓮聖人の御法門は、三界の衆生の為には釈迦如来こそ初発心の本師にておわしまし候を捨てて、阿弥陀を憑み奉るによつて五逆罪の人と成りて、無間地獄に堕すべきなりと申す法門にて候わずや、何を以つて聖人を信仰し進らせたりとは知るべく候。

 

 

 日興が波木井の上下の御為には初発心の御師にて候事は、二代三代の末は知らず、未だ上にも下にも誰か御忘れ候べきことこそ存じ候え。

 

 身延沢を罷り出で候事面目なさ本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し打ち還し案じ候えばいずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ、詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子悉く師敵対せられ候いぬ、日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り候べき仁に相当つて覚え候えば、本意忘るること無くて候。また君達は何れも正義も御存知候えば悦び入り候、殊更御渡り候えば入道殿不宜に落ちはてさせ給い候わじと覚え候。尚お民部阿闍梨の邪険奇異に覚え候、安房へ下向の時も入道殿に参り候いて、外典の僻事なる事再三申しける由承り候、聖人の安国論も外典にてかからせ渡らせ給い候、文永八年の申状も外典にて書かれて候ぞかし、其の上法華経と申すは漢土第一の外典の達者が書きて候間、一切経の中に文詞の次第目出度くとこそ申し候え。

 

 今此の法門を立て候わんにも、構えて外筆の仁を一人出し進らせんとこそ思し進する事にて候いつれ。内外の才覚無くしては、国も安からず法も立ち難しとこそ有りげに候。総じて民部阿闍梨の存知自然と御覧じ顕わさるべく、殊に去ぬる卯月朔日より諸岡入道の門下に候小家に籠居して、画工を招き寄せ曼陀羅を書きて、同八日仏生日と号して、民部、入道の室内にて一日一夜説法して布施を抱え出すのみならず、酒を興ずる間入道其の心中を知りて、妻子を喚び出して酒を勧むるの間、酔狂の余り一声を挙げたること、所従眷属の嘲弄口惜しとも申す計りなし、日蓮の御恥何事か之に過ぎんや。

 

 此の事は世に以つて隠れ無し、人皆知る所なり、此の事をば且く入道殿には隠し進らせて候えども、此くの如き等の事出来候えば、彼の阿闍梨の聖人の御法門継ぎ候まじき子細顕然の事に候えば、日興彼の阿闍梨を捨て候事を知らせ進らせんに申し候なり、童形に憚りていかでか聖人の御義を隠し候べき。彼の阿闍梨の説法には、定めて一字も問いたる児共の日向を破するはとの給い候わんずらん。元より日蓮聖人に背き進する師共をば捨てぬが還つて失にて候と申す法門なりと御存知渡らせ給うべきか。何よりも御影の此の程の御照覧如何か。見参に非ざれば心中尽くし難く候。  恐恐謹言

正応元年戊子 十二月十六日

                            日興  判

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061213

2006-12-12原殿御返事 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

原殿御返事

【はらどのごへんじ】

二祖日興上人が身延離山の経緯と悲痛な心境を述べられたもの。謗法厳戒の御精神の何たるかが窺われる。如何に正義を叫ぼうと、そこに大聖人の御精神に反する魔が出来すれば、謗法与同を恐れなければならない。

小樽法論で、小平教学部長(当時)が、身延に正当門家を名乗る資格のない事を明証するための文証として、用いられた。

iwivofipieiwivofipie2019/09/12 02:40http://mewkid.net/order-amoxicillin/ - Amoxicillin Without Prescription <a href="http://mewkid.net/order-amoxicillin/">Amoxicillin</a> rkd.iwnf.sokagakkai.g.hatena.ne.jp.ycr.nn http://mewkid.net/order-amoxicillin/

ujaxionusujaxionus2019/09/12 03:16http://mewkid.net/order-amoxicillin/ - Amoxicillin <a href="http://mewkid.net/order-amoxicillin/">Buy Amoxicillin</a> sgy.utpo.sokagakkai.g.hatena.ne.jp.siu.qo http://mewkid.net/order-amoxicillin/

oidiqomoidiqom2019/09/12 03:47http://mewkid.net/order-amoxicillin/ - Amoxicillin Online <a href="http://mewkid.net/order-amoxicillin/">Amoxicillin No Prescription</a> ptw.jytk.sokagakkai.g.hatena.ne.jp.kzp.gf http://mewkid.net/order-amoxicillin/

inunadivogainunadivoga2019/09/12 04:26http://mewkid.net/order-amoxicillin/ - Amoxicillin Online <a href="http://mewkid.net/order-amoxicillin/">Buy Amoxicillin</a> xhs.xsqp.sokagakkai.g.hatena.ne.jp.gtf.ry http://mewkid.net/order-amoxicillin/

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061212

2006-12-11三大秘法の名目 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

三大秘法の名目

 【さんだいひほうのみょうもく】

 

大聖人の御書の中で、本門の本尊と戒壇と題目という三大秘法の名前がそろって初めて説き明かされたのは、佐渡配流赦免以後の『法華取要抄』に、

如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」

と説かれている。

 

その所以(ゆえん)は、この三大秘法日蓮大聖人が竜の口の発迹顕本、また三類(さんるい)の強敵扣発・数々見擯出等の法華経身読を完結あそばされた後、末法の御本仏としての御境界において初めて顕された法門だからである。

この三大秘法中、

「本門の本尊」とは、大聖人があらわされた信仰の対象である本尊を指す。

「本門の戒壇」とは、本門の本尊を安置する場所をいう。

「本門の題目」とは、本門の本尊を信じて唱える題目のこと。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061211

2006-12-10開元の録 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

開元の録

【かいげんのろく】


大聖人がしばしば依用される経典集。『開元釈教録』のこと。

唐代・智昇の撰。全20巻。開元18(730)年に作成された一切経の目録

総録七千巻は、後漢の明帝の永平10(67)年から730年までの170余人による伝訳並びに訳者不明の聖典2575部、7046巻を後漢から唐代までの19代を時代順にまとめている。

別録五千巻(19・20巻は欠本)は、1076部、5048巻が記載されている。

大正

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061210

2006-12-09法華取要抄 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

法華取要抄

【ほっけしゅようしょう】

法華取要抄(御書331頁)      

文永十11年5月  53歳御作   

与富木常忍   於身延

扶桑沙門日蓮之を述ぶ

 夫れ以れば月支西天より漢土日本に渡来する所の経論五千七千余巻なり、其中の諸経論の勝劣浅深難易先後自見に任せて之を弁うことは其の分に及ばず、人に随い宗に依つて之を知る者は其の義紛紕す、所謂華厳宗の云く「一切経の中に此の経第一」と、法相宗の云く「一切経の中に深密経第一」と、三論宗の云く「一切経の中に般若経第一」と、真言宗の云く「一切経の中に大日の三部経第一」と、禅宗の云く或は云く「教内には楞伽経第一」と、或は云く「首楞厳経第一」と或は云く「教外別伝の宗なり」と、浄土宗の云く「一切経の中に浄土の三部経末法に入りては機教相応して第一なり」と、倶舎宗成実宗律宗云く「四阿含並に律論は仏説なり華厳経法華経等は仏説に非ず外道の経なり」或は云く或は云く、而に彼れ彼れ宗宗の元祖等杜順智儼法蔵澄観玄奘慈恩嘉祥道朗善無畏金剛智不空道宣鑒真曇鸞道綽善導達磨慧可等なり、此等の三蔵大師等は皆聖人なり賢人なり智は日月に斉く徳は四海に弥れり、其の上各各に経律論に依り更互に証拠有り随つて王臣国を傾け土民之を仰ぐ末世の偏学設い是非を加うとも人信用を致さじ、爾りと雖も宝山に来り登つて瓦石を採取し栴檀に歩み入つて伊蘭を懐き取らば悔恨有らん、故に万人の謗りを捨て猥りに取捨を加う我が門弟委細に之を尋討せよ。

 夫れ諸宗の人師等或は旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず或は新訳の経論を見て旧訳を捨置き或は自宗の曲に執著して己義に随い愚見を注し止めて後代に之を加添す、株杭に驚き騒ぎて兎獣を尋ね求め智円扇に発して仰いで天月を見る非を捨て理を取るは智人なり、今末の論師本の人師の邪義を捨て置いて専ら本経本論を引き見るに

五十余年の諸経の中に法華経第四法師品の中の已今当の三字最も第一なり、諸の論師諸の人師定めて此経文を見けるか、然りと雖も或は相似の経文に狂い或は本師の邪会に執し或は王臣等の帰依を恐るるか、所謂金光明経の「是諸経之王」密厳経の「一切経中勝」六波羅蜜経の「総持第一」大日経の「云何菩提」華厳経の「能信是経最為難」般若経の「会入法性不見一事」大智度論の「般若波羅蜜最第一」涅槃論の「今者涅槃理」等なり、此等の諸文は法華経の已今当の三字に相似せる文なり然りと雖も或は梵帝四天等の諸経に対当すれば是れ諸経の王なり或は小乗経に相対すれば諸経の中の王なり或は華厳勝鬘等の経に相対すれば一切経の中に勝れたり全く五十余年の大小権実顕密の諸経に相対して是れ諸経の王の大王なるに非ず所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり、強敵を臥伏するに始て大力を知見する是なり、其の上諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深なり全く多宝分身の助言を加うるに非ず私説を以て公事に混ずる事勿れ、諸経は或は二乗凡夫に対揚して小乗経を演説し、或は文殊解脱金剛薩・等の弘伝の菩薩に対向して全く地涌千界の上行等には非ず、今法華経と諸経とを相対するに一代に超過すること二十種之有り、其の中最要二有り所謂三五の二法なり三とは三千塵点劫なり諸経は或は釈尊の因位を明すこと或は三祇或は動逾塵劫或は無量劫なり、梵王云く此の土には二十九劫より已来知行の主なり第六天帝釈四天王等も以て是くの如し、釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり、又諸仏の因位と釈尊の因位と之を糾明するに諸仏の因位は或は三祇或は五劫等なり釈尊の因位は既に三千塵点劫より已来娑婆世界の一切衆生の結縁の大士なり、此の世界の六道の一切衆生は他土の他の菩薩に有縁の者一人も之無し、法華経に云く「爾の時に法を聞く者は各諸仏の所に在り」等云云、天台云く「西方は仏別に縁異り故に子父の義成せず」等云云、妙楽云く「弥陀釈迦二仏既に殊なり況や宿昔の縁別にして化導同じからざるをや結縁は生の如く成熟は養の如し生養縁異れば父子成ぜず」等云云、

当世日本国の一切衆生弥陀の来迎を待つは譬えば牛の子に馬の乳を含め瓦の鏡に天月を浮ぶるが如し、又果位を以て之を論ずれば諸仏如来或は十劫百劫千劫已来の過去の仏なり、教主釈尊は既に五百塵点劫より已来妙覚果満の仏なり大日如来阿弥陀如来薬師如来等の尽十方の諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり、天月の万水に浮ぶ是なり、華厳経の十方台上の毘盧遮那大日金剛頂経両界の大日如来宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり、例せば世の王の両臣の如し此の多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり、此の土の我等衆生五百塵点劫より已来教主釈尊愛子なり不孝の失に依つて今に覚知せずと雖も他方の衆生には似る可からず、有縁の仏と結縁の衆生とは譬えば天月の清水に浮ぶが如く無縁の仏と衆生とは譬えば聾者の雷の声を聞き盲者の日月に向うが如し、而るに或る人師は釈尊を下して大日如来を仰崇し或る人師は世尊は無縁なり阿弥陀は有縁なり、或る人師の云く小乗釈尊と或は華厳経の釈尊と或は法華経迹門の釈尊と此等の諸師並びに檀那等釈尊を忘れて諸仏を取ることは例せば阿闍世太子の頻婆沙羅王を殺し釈尊に背いて提婆達多に付きしが如し、二月十五日は釈尊御入滅の日乃至十二月十五日も三界慈父の御遠忌なり、善導法然永観等の提婆達多に誑されて阿弥陀仏の日と定め畢んぬ、四月八日は世尊御誕生の日なり薬師仏に取り畢んぬ、我が慈父の忌日を他仏に替るは孝養の者なるか如何、寿量品に云く「我も亦為れ世の父狂子を治する為の故に」等云云、天台大師云く「本此の仏に従つて初めて道心を発す亦此の仏に従つて不退地に住す乃至猶百川の海に潮すべきが如く縁に牽かれて応生すること亦復是くの如し」等云云。

 問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩第二は二乗第三は凡夫なり、安楽行より勧持提婆宝塔法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、

末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり、疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者」等云云、問うて曰く自讃は如何、答えて曰く喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり、問うて曰く本門の心如何、答えて曰く本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり、問うて曰く略開近顕遠の心如何、答えて曰く文殊弥勒等の諸大菩薩梵天帝釈日月衆星竜王等初成道の時より般若経に至る已来は一人も釈尊の御弟子に非ず此等の菩薩天人は初成道の時仏未だ説法したまわざる已前に不思議解脱に住して我と別円二教を演説す釈尊其の後に阿含方等般若を宣説し給う然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず、既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり勝は劣を兼ぬる是なり委細に之を論ぜば或は釈尊師匠なるか善知識とは是なり釈尊に随うに非ず、法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人人は弟子と成りぬ舎利弗目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり、然りと雖も権法のみを許せり、今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩二乗梵天帝釈日月四天竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向つて之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり。

 問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり、疑つて云く此の法門前代に未だ之を聞かず経文に之れ有りや、答えて曰く予が智前賢に超えず設い経文を引くと雖も誰人か之を信ぜん卞和が啼泣伍子胥が悲傷是なり、然りと雖も略開近顕遠動執生疑の文に云く「然も諸の新発意の菩薩仏の滅後に於て若し是の語を聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん」等云云、文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり、寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く」等云云、文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども此の文を以て之れを案ずるに滅後を以て本と為す先ず先例を引くなり、分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云、神力品に云く「仏滅度の後に能く是の経を持たんを以つての故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現じ給う」等云云、薬王品に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云、又云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」等云云、涅槃経に云く「譬えば七子の如し父母平等ならざるに非ざれども然も病者に於て心則ち偏に重し」等云云、七子の中の第一第二は一闡提謗法の衆生なり諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり、諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり、此の一閻浮提は縦広七千由善那八万の国之れ有り正像二千年の間未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずん釈尊は大妄語の仏多宝仏の証明は泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。

 疑つて云く多宝の証明十方の助舌地涌の涌出此等は誰人の為ぞや、答えて曰く世間の情に云く在世の為と、日蓮云く舎利弗目・等は現在を以て之を論ずれば智慧第一神通第一の大聖なり、過去を以て之を論ずれば金竜陀仏青竜陀仏なり、未来を以て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を以て之を論ずれば内秘外現の古菩薩なり、文殊弥勒等の大菩薩過去の古仏現在の応生なり、梵帝日月四天等は初成已前の大聖なり、其の上前四味四教一言に之を覚りぬ仏の在世には一人に於ても無智の者之れ無し誰人の疑を晴さんが為に多宝仏の証明を借り諸仏舌を出し地涌の菩薩を召さんや方方以て謂れ無き事なり、経文に随つて「況滅度後令法久住」等云云、此等の経文を以て之を案ずるに偏に我等が為なり、随つて天台大師当世を指して云く「後の五百歳遠く妙道に沾わん」伝教大師当世を記して云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云、

「末法太有近」の五字は我が世は法華経流布の世に非ずと云う釈なり。

 問うて云く如来滅後二千余年竜樹天親天台伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり、問うて曰く正像等に何ぞ弘通せざるや、答えて曰く正像に之を弘通せば小乗権大乗迹門の法門一時に滅尽す可きなり、問うて曰く仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや、答えて曰く末法に於ては大小権実顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり、疑つて云く何ぞ広略を捨て要を取るや、答えて曰く玄奘三蔵は略を捨てて広を好み四十巻の大品経を六百巻と成す羅什三蔵は広を捨て略を好む千巻の大論を百巻と成せり、日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり、九包淵が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取る支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る等云云、仏既に宝塔に入つて二仏座を並べ分身来集し地涌を召し出し肝要を取つて末代に当てて五字を授与せんこと当世異義有る可からず。

 疑つて云く今世に此の法を流布せば先相之れ有りや、答えて曰く法華経に「如是相乃至本末究竟等」云云、天台云く「蜘虫掛りて喜び事来たり・鵲鳴いて客人来る小事猶以て是くの如し何に況や大事をや」取意、問うて曰く若し爾れば其の相之れ有りや、答えて曰く去ぬる正嘉年中の大地震文永の大彗星其より已後今に種種の大なる天変地夭此等は此先相なり、仁王経の七難二十九難無量の難、金光明経大集経守護経薬師経等の諸経に挙ぐる所の諸難皆之有り但し無き所は二三四五の日出る大難なり、而るを今年佐渡の国の土民は口口に云う今年正月廿三日の申の時西の方に二の日出現す或は云く三の日出現す等云云、二月五日には東方に明星二つ並び出ず其の中間は三寸計り等云云、此の大難は日本国先代にも未だ之有らざるか、最勝王経の王法正論品に云く「変化の流星堕ち

二の日倶時に出で他方の怨賊来つて国人喪乱に遭う」等云云、首楞厳経に云く「或は二の日を見し或は両つの月を見す」等、薬師経に云く「日月薄蝕の難」等云云、金光明経に云く「彗星数ば出で両つの日並び現じ薄蝕恒無し」大集経に云く「仏法実に隠没せば乃至日月明を現ぜず」仁王経に云く「日月度を失い時節返逆し或は赤日出で黒日出で二三四五の日出ず或は日蝕して光無く或は日輪一重二三四五重輪現ぜん」等云云、此の日月等の難は七難二十九難無量の諸難の中に第一の大悪難なり、問うて曰く此等の大中小の諸難は何に因つて之を起すや、答えて曰く「最勝王経に曰く非法を行ずる者を見て当に愛敬を生じ善法を行ずる人に於て苦楚して治罰す」等云云、法華経に云く涅槃経に云く金光明経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行われず」等云云、大集経に云く「仏法実に隠没し乃至是くの如き不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊す」等、仁王経に云く「聖人去る時七難必ず起る」等、又云く「法に非ず律に非ず比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす爾の時に当つて法滅せんこと久しからず」等、又云く「諸の悪比丘多く名利を求め国王太子王子の前に於て自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん其の王別まえずして此の語を信聴せん」等云云、此等の明鏡を齎て当時の日本国を引き向うるに天地を浮ぶること宛も符契の如し眼有らん我が門弟は之を見よ、当に知るべし此の国に悪比丘等有つて天子王子将軍等に向つて讒訴を企て聖人を失う世なり、問うて曰く弗舎密多羅王会昌天子守屋等は月支真旦日本の仏法を滅失し提婆菩薩師子尊者等を殺害す其の時何ぞ此の大難を出さざるや、答えて曰く災難は人に随つて大小有る可し正像二千年の間悪王悪比丘等は或は外道を用い或は道士を語らい或は邪神を信ず仏法を滅失すること大なるに似たれども其の科尚浅きか、今当世の悪王悪比丘の仏法を滅失するは小を以て大を打ち権を以て実を失う人心を削て身を失わず寺塔を焼き尽さずして自然に之を喪す其の失前代に超過せるなり、我が門弟之を見て法華経を信用せよ目を瞋らして鏡に向え、天瞋るは人に失有ればなり、

二の日並び出るは一国に二の国王並ぶ相なり、王と王との闘諍なり、星の日月を犯すは臣王を犯す相なり、日と日と競い出るは四天下一同の諍論なり、明星並び出るは太子と太子との諍論なり、是くの如く国土乱れて後に上行等の聖人出現し本門の三つの法門之を建立し一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か。

文永十一年五月

在御判

蓮見蓮見2010/05/20 09:09この文章を読むにつれ深く心に共感を覚えるのは一途に仏心に生涯を捧げた人間の真の姿が眼の前に映るからです。

蓮見蓮見2010/05/20 09:11この文章を読むにつれ深く心に共感を覚えるのは一途に仏心に生涯を捧げた人間の真の姿が眼の前に映るからです。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061209

2006-12-08四信五品抄 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

四信五品抄

【ししんごほんしょう】


四信五品抄(御書339頁)

建治3年4月10日

56歳御作

与富木常忍

青鳧一結送り給び候い了んぬ。

今来の学者一同の御存知に云く「在世滅後異なりと雖も法華を修行するには必ず三学を具す一を欠いても成ぜず」云云。

余又年来此の義を存する処一代聖教は且らく之を置く法華経に入つて此の義を見聞するに序正の二段は且らく之を置く流通の一段は末法の明鏡尤も依用と為すべし、而して流通に於て二有り一には所謂迹門の中の法師等の五品二には所謂本門の中の分別功徳の半品より経を終るまで十一品半なり、此の十一品半と五品と合せて十六品半此の中に末法に入つて法華を修行する相貌分明なり是に尚事行かずんば普賢経涅槃経等を引き来りて之れを糾明せんに其の隠れ無きか、其の中の分別功徳品の四信と五品とは法華を修行するの大要在世滅後の亀鏡なり。

 荊谿の云く「一念信解とは即ち是れ本門立行の首なり」と云云、其の中に現在の四信の初の一念信解と滅後の五品の第一の初随喜と此の二処は

一同に百界千如一念三千の宝篋十方三世の諸仏の出る門なり、天台妙楽の二の聖賢此の二処の位を定むるに三の釈有り所謂或は相似十信鉄輪の位或は勧行五品の初品の位未断見思或は名字即の位なり、止観に其の不定を会して云く「仏意知り難し機に赴きて異説す此を借って開解せば何ぞ労しく苦に諍わん」云云等。

 予が意に云く、三釈の中名字即は経文に叶うか滅後の五品の初の一品を説いて云く「而も毀呰せずして随喜の心を起す」と若し此の文相似の五品に渡らば而不毀呰の言は便ならざるか、就中寿量品の失心不失心等は皆名字即なり、涅槃経に「若信若不信乃至熈連」とあり之を勘えよ、又一念信解の四字の中の信の一字は四信の初めに居し解の一字は後に奪わるる故なり、若し爾らば無解有信は四信の初位に当る経に第二信を説いて云く「略解言趣」と云云、記の九に云く「唯初信を除く初は解無きが故に」随つて次下の随喜品に至って上の初随喜を重ねて之を分明にす五十人是皆展転劣なり、第五十人に至って二の釈有り一には謂く第五十人は初随喜の内なり二には謂く第五十人は初随喜の外なりと云うは名字即なり、教弥よ実なれば位弥よ下れりと云う釈は此の意なり、四味三教よりも円教は機を摂し爾前の円教よりも法華経は機を摂し迹門よりも本門は機を尽すなり教弥実位弥下の六字心を留めて案ず可し。

 問う末法に入って初心の行者必ず円の三学を具するや不や、答えて日く此の義大事たる故に経文を勘え出して貴辺に送付す、所謂五品の初二三品には仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る慧又勘ざれば信を以て慧に代え信の一字を詮と為す、不信は一闡提謗法の因信は慧の因名字即の位なり、天台云く「若し相似の益は隔生すれども忘れず名字勧行の益は隔生すれば即ち忘る或は忘れざるも有り忘るる者も若し知識に値えば宿善還つて生ず若し悪友に値えば則ち本心を失う」云云、恐らくは中古天台宗の慈覚智証の両大師も

天台伝教の善知識に違背して心無畏不空等の悪友に遷れり、末代の学者慧心の往生要集の序に誑惑せられて法華の本心を失い弥陀の権門に入る退大取小の者なり、過去を以て之を推するに未来無量劫を経て三悪道に処せん若し悪友に値えば即ち本心を失うとは是なり。

 問うて日く其の証如何答えて日く止観第六に云く「前教に其の位を高うする所以は方便の説なればなり円教の位下きは真実の説なればなり」弘決に云く「前教と云うより下は正く権実を判ず教弥よ実なれば位弥よ下く教弥よ権なれば位弥よ高き故に」と、又記の九に云く「位を判ずることをいわば観境弥よ深く実位弥よ下きを顕す」と云云、他宗は且らく之を置く天台一門の学者等何ぞ実位弥下の釈を閣いて慧心僧都の筆を用ゆるや、畏智空と覚証との事は追つて之を習え大事なり大事なり一閻浮提第一の大事なり心有らん人は聞いて後に我を外め。

 問うて云く末代初心の行者何物をか制止するや、答えて日く檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜の気分と為すなり是れ則ち此の経の本意なり、疑って云く此の義未だ見聞せず心を驚かし耳を迷わす明かに証文を引て請う苦に之を示せ、答えて云く経に云く「須く我が為に復た塔寺を起て及び僧坊を作り四事を以て衆僧を供養することをもちいざれ」此の経文明かに初心の行者に檀戒等の五度を制止する文なり、疑って云く汝が引く所の経文は但寺塔と衆僧と計りを制止して未だ諸の戒等に及ばざるか、答えて日く初を挙げて後を略す、問て日く何を以て之を知らん、答えて日く次下の第四品の経文に云く「況や復人有つて能く是の経を持ちて兼ねて布施持戒等を行ぜんをや」云云、経文分明に初二三品の人には檀戒等の五度を制止し第四品に至って始めて之を許す後に許すを以て知んぬ初に制する事を、問うて日く経文一往相似たり将た又疏釈有りや、答えて日く汝が尋ぬる所の釈とは月氏四依の論か将た又漢土日本の人師の書か本を捨て末を尋ね体を離れて影を求め源を忘れて流を貴ぶ分明なる経文を閣いて論釈を請い尋ぬ本経に相違する末釈有らば本経を捨てて

末釈に付く可きか然りと雖も好みに随て之を示さん、文句の九に云く「初心は縁に紛動せられて正業を修するを妨げんことを畏る直ちに専ら此の経を持つ即ち上供養なり事を廃して理を存するは所益弘多なり」と、此の釈に縁と云うは五度なり初心の者兼ねて五度を行ずれば正業の信を妨ぐるなり、譬えば小船に財を積んで海を渡るに財と倶に没するが如し、直専持此経と云うは一経に亘るに非ず専ら題目を持って余文を雑えず尚一経の読誦だも許さず何に況や五度をや、「廃事存理」と云うは戒等の事を捨てて題目の理を専らにす云云、所益弘多とは初心の者諸行と題目と並び行ずれば所益全く失うと云云。

 文句に云く「問う若爾らば経を持つは即ち是れ第一義の戒なり何が故ぞ復能く戒を持つ者と言うや、答う此は初品を明かす後を以て難を作すべからず」等云云、当世の学者此の釈を見ずして末代の愚人を以て南岳天台の二聖に同ず誤りの中の誤りなり、妙楽重ねて之を明して云く「問う若し爾らば若し事の塔及び色身の骨を須いず亦須く事の戒を持つべからざるべし乃至事の僧を供養することを須いざるや」等云云、伝教大師の云く「二百五十戒忽に捨て畢んぬ」唯教大師一人に限るに非ず鑒真の弟子如宝道忠並びに七大寺等一同に捨て了んぬ、又教大師未来を誡めて云く「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり市に虎有るが如し此れ誰か信ず可き」云云。

 問う汝何ぞ一念三千の観門を勧進せず唯題目許りを唱えしむるや、答えて日く日本の二字に六十六国の人畜財を摂尽して一も残さず月氏の両字に豈七十ケ国無からんや、妙楽の云く「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」又云く「略して界如を挙ぐるに具さに三千を摂す、文殊師利菩薩阿難尊者三会八年の間の仏語之を挙げて妙法蓮華経と題し次下に領解して云く「如是我聞」と云云。

 問う其の義を知らざる人唯南無妙法蓮華経と唱うるに解義の功徳を具するや否や、答う小児乳を含むに其の味を知らざれども自然に身を益す耆婆が妙薬誰か弁えて之を服せん水心無けれども火を消し火物を焼く豈覚有らんや

竜樹天台皆此の意なり重ねて示す可し。

 問う何が故ぞ題目に万法を含むや、答う章安の云く「蓋し序王とは経の玄意を叙す玄意は文の心を述す文の心は迹本に過ぎたるは莫し」妙楽の云く「法華の文心を出して諸教の所以を弁ず」云云、濁水心無けれども月を得て自ら清めり草木雨を得豈覚有つて花さくならんや妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、初心の行者其の心を知らざれども而も之を行ずるに自然に意に当るなり。

 問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ぬれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熈連一恒の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓に纒れ大竜の始めて生ずるが如し蔑如すること勿れ蔑如すること勿れ、妙楽の云く「若し悩乱する者は頭七分に破れ供養すること有る者は福十号に過ぐ」と、優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如して七年の内に身を喪失相州日蓮を流罪して百日の内に兵乱に遇えり、経に云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出さん若は実にもあれ若は不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん乃至諸悪重病あるべし」又云く「当に世世に眼無かるべし」等云云、明心と円智とは現に白癩を得道阿弥は無眼の者と成りぬ、国中の疫病は頭破七分なり罰を以て徳を推するに我が門人等は福過十号疑い無き者なり。

 夫れ人王三十代欽明の御宇に始めて仏法渡りし以来桓武の御宇に至るまで二十代二百余年の間六宗有りと雖も仏法未だ定らず、爰に延暦年中に一りの聖人有つて此の国に出現せり所謂伝教大師是なり、此の人先きより弘通する六宗を糾明し七寺を弟子と為して終に叡山を建てて本寺と為し諸寺を取つて末寺と為す、

日本の仏法唯一門なり王法も二に非ず法定まり国清めり其の功を論ぜば源已今当の文より出でたり其の後弘法慈覚智証の三大師事を漢土に寄せて大日の三部は法華経に勝ると謂い剰さえ教大師の削ずる所の真言宗の宗の一字之を副えて八宗と云云、三人一同に勅宣を申し下して日本に弘通し寺毎に法華経の義を破る是偏に已今当の文を破らんと為して釈迦多宝十方の諸仏の大怨敵と成りぬ、然して後仏法漸く廃れ王法次第に衰え天照太神正八幡等の久住守護神は力を失い梵帝四天は国を去つて已に亡国と成らんとす情有らん人誰か傷み嗟かざらんや、所詮三大師の邪法の興る所は所謂東寺と叡山の総持院と園城寺との三所なり禁止せずんば国土の滅亡と衆生の悪道と疑い無き者か予粗此の旨を勘え国主に示すと雖も敢て叙用無し悲む可し悲む可し。

iuvqlcgsqyiuvqlcgsqy2014/03/20 01:20kfyphtplbhbllbj, <a href="http://www.abrcjclgkr.com/">hsnngppcfg</a> , [url=http://www.vasjuyybxn.com/]wbzdyjwhpj[/url], http://www.zcntewejjc.com/ hsnngppcfg

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061208

2006-12-07三大秘法禀承事 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

三大秘法禀承事

【さんだいひほうぼんじょうのこと】


三大秘法禀承事(御書全集1021頁)

弘安四年四月 六十歳御作

与大田金吾

 夫れ法華経の第七神力品に云く「要を以て之を言ば如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵如来の一切の甚深の事皆此経に於て宣示顕説す」等云云、釈に云く「経中の要説の要四事に在り」等云云、問う所説の要言の法とは何物ぞや、答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒檀と題目の五字なり、教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給はず況や其の以下をや、されば此の秘法を説かせ給いし儀式は四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき、所居の土は寂光本有の国土なり能居の教主は本有無作の三身なり所化以て同体なり、かかる砌なれば久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う、道暹律師云く「法是れ久成の法なるに由る故に久成の人に付す」等云云、問て云く其の所属の法門仏の滅後に於ては何れの時に弘通し給う可きか、答て云く経の第七薬王品に云く「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云、謹んで経文を拝見し奉るに仏の滅後正像二千年過ぎて第五の五百歳闘諍堅固白法隠没の時云云、問て云く夫れ諸仏の慈悲は天月の如し機縁の水澄めば利生の影を普く万機の水に移し給べき処に正像末の三時の中に末法に限ると説き給わば教主釈尊の慈悲に於て偏頗あるに似たり如何、答う諸仏の和光利物の月影は九法界の闇を照すと雖も謗法一闡提の濁水には影を移さず正法一千年の機の前には唯小乗権大乗相叶へり、像法一千年には法華経の迹門機感相応せり、末法の始の五百年には法華経の本門前後十三品を置きて只寿量品の一品を弘通すべき時なり機法相応せり。

 今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳機尚堪えず況や始めの五百年をや、何に況や正法の機は迹門尚日浅し増して本門をや、末法に入て爾前迹門は全く出離生死の法にあらず、但専ら本門寿量の一品に限りて出離生死の要法なり、是を以て思うに諸仏の化導に於て全く偏頗無し等云云、問う仏の滅後正像末の三時に於て本化迹化の各各の付属分明なり但寿量の一品に限りて末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず慥に経の現文を聞かんと欲す如何、答う汝強ちに之を問う聞て後堅く信を取る可きなり、所謂寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く汝取て服す可し差じと憂うる勿れ」等云云。

 問て云く寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を加う可らず然りと雖も三大秘法其の体如何、答て云く予が己心の大事之に如かず汝が志無二なれば少し之を云わん寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり、寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云云、疏の九に云く「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸経の中に於て之を秘して伝えず」等云云、題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、正法には天親菩薩竜樹菩薩題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日連が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり、戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王帝釈等も来下して・給うべき戒壇なり、此の戒法立ちて後延暦寺の戒壇は迹門の理戒なれば益あるまじき処に、

叡山に座主始まつて第三第四の慈覚智証存の外に本師伝教義真に背きて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法をあなづり戯論とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、彼の摩黎山の瓦礫の土となり栴檀林の荊棘となるにも過ぎたるなるべし、夫れ一代聖教の邪正偏円を弁えたらん学者の人をして今の延暦寺の戒壇を・ましむべきや、此の法門は義理を案じて義をつまびらかにせよ、此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり。

 問う一念三千の正しき証文如何、答う次に出し申す可し此に於て二種有り、方便品に云く「諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見」等云云、底下の凡夫理性所具の一念三千か、寿量品に云く「然我実成仏已来無量無辺」等云云、大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり、今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後秘して他見有る可からず口外も詮無し、法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。

弘安四年卯月八日 日蓮花押

大田金吾殿御返事

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061207

2006-12-06三大秘法抄 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

三大秘法抄

【さんだいひほうしょう】

三大秘法禀承事 」のこと。「禀承」とは、相承のことで、冒頭、法華経如来神力品第二十一』の結要付嘱の文を上げ、天台の五重玄義の依文を、大聖人は三大秘法の依文とされ、論を展開される。

本抄では、特に本門の戒壇についての言及があることから、王仏冥合論を論ずるにあたって重要な御書とされるが、戒壇建立の条件と時期をはき違えて、広宣流布達成の考え方についておよそ非現実的に解釈する門流もある。

創価学会においては、民衆の総意で建立された正本堂建立を以て実質的な「事」の戒法は達成したとし、もはやこれまでの大石寺教学に則った運動は昭和40~50年代に完成したことは『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」の章等に明らかである。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061206

2006-12-05矢島周平 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

矢島周平

【やじましゅうへい】


戸田先生理事長を辞任された後に代理として創価学会理事長を努めた人物。『人間革命』の三島理事長のこと。

後に日蓮正宗坊主となる。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061205

2006-12-04創価学会の歴史と確信8 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

創価学会の歴史と確信8

【そうかがっかいのれきしとかくしん】

東洋へと大聖人の仏法の進出するときは、日本一国の広宣流布は問題ではなく、かならず到達することで、戒壇の建立も、そのときは当然の事として現出するもので、一国民衆の尊崇をうけるのであることはいうまでもない。

わが学会は、かかるめでたきときに際会したのであるから、不自借身命の大願をたてて、ここに大折伏を強行するの一大確信に立ち、生きた喜びを感じて、成仏の道を直行するは、何たる幸福であろうか。

かかる大事の時なれば、四菩薩御出現はまた絶対に疑うべきではなく、ご棟梁として日目上人様がご出生か。仏智にあらずば、これを知るにあたわずといえども、末弟たる学会員は、ご老齢の身をひっさげて大折伏の途上、お倒れあそばした日目上人のご命を命として、宗開両祖に報い奉らんとしなければ、成仏は叶い難しと知らなければならない。

されば御僧侶を尊び、悪侶を戒め、悪坊主を破り、宗団を外敵より守って、僧俗一体たらんと願い、日蓮正宗教団を命がけで守らなくては為らぬ。願わくは御僧侶におかれては、学会のこの確信をめでられ、悪侶をのぞいて教団を清め、われわれ学会人の闘争の指揮をとって外敵を伏し、宗開両祖に報いんことを、庶機わられんことを。

楠正成が尽忠の志あるにかかわらず、愚迷の大宮藤原忠清あって湊河原に死出の旅路にたったことは、あまりに有名であるが、ただ願わくは賢明な僧侶あられて、創価学会の同志を湊河原に死なせず、藤原藤房、末房の賢慮を用い、玉輦(ぎょくれん)を兵庫の道にむかえたてまつりし正成のよろこびをなさしめんことを切願するものである。この僧俗の立場にあって、愚迷は僧侶を尊び、僧侶は信者を愛し、たがいに嫉妬することなく、大聖人の教えを奉じ、遠く東洋三国に、本尊の流布せられん日を、大御本尊に祈るものである。

昭和268月10日

sokaodosokaodo2006/12/05 18:20掲示板の「連絡事項」を読んで下さい。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061204

2006-12-03創価学会の歴史と確信7 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

創価学会の歴史と確信7

【そうかがっかいのれきしとかくしん】

御おおせにあきらかなごとく、三大秘法の戒壇建立は、

日蓮門下一同の大願である。

これを三代秘法抄と照らし合わせて、勅宣ならびに御教書(みぎょうしょ)を申しくだしのおことばのみ心をとられて、広宣流布と戒壇建立とを逆に考えている者がある。

すなわち戒壇さえ建立すれば、広宣流布が完成したように簡単に考えている。たとえば、いまのごとき弱小の日蓮正宗教団に、国立(本門)の戒壇が建ったとして、どんな結果が生ずるのか。

一国の謗法が御本尊のありがたさを知らない現代では、どんなことになるであろうか。

日本国の謗法者は、国立(本門)戒壇を一個の名物がふえたぐらいに考えるにすぎないのではないか。国立(本門)戒壇にご参詣にきて、邪宗の札と同じ考えで御本尊のお下げわたしを願って、みながそまつにしたならば、一国に起る難事はどんなものであろうか。思い半ばにすぐるものがある。

御僧侶のなかには、また次のごとく言うであろう。「めったやたらに本尊はお下げしない」と。とんでもないことである。寺を建てたが、本尊を下げ渡さないというならば、寺は建ったが、なんの働きもしない。ただ坊主の寝床を造ったにすぎないことになる。広宣流布とは寺を建てるとかいうことではなくて、結論においては、正法が流布して中心がきまらなければならなくなって、寺が建つことになる。

目を開いて一期弘法付嘱書を拝読背よ。「本門弘通の大導師たるべきなり」との御おおせは大切なことである。まず、戒壇建立にいたるまえに、御開山日興上人の御おおせでおり活動して時を待てとの御事である。

日興上人のおおせに、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書全集1618頁)と。されば日蓮大聖人の末弟をもって任じ、かつ前述のごとく位高き位置にあることを自覚した大菩薩たちは、まず本尊の流布を、身命を捨ててなさなきればならぬことは決定的である。

一国に大御本尊が流布したなら、自然に当然の帰結として戒壇の建立ができるので、戒壇建立ばかり口にして折伏もせず、正法の流布に身命を捨てえない坊主は、実に困ったものである。この考えに任せて、学会人は身命を捧げての折伏行をなしていることは、

申すまでも無いことである。しこうして、広宣流布は日本一国のものでないことを学会人は確信するので、全東洋へ大聖人の仏法は広宣流布することを信じてやまず、かつ、これにむかって、大闘争を、活動を開始したのである。

この東洋への広宣流布は、御本仏を絶対に信じまいらせて、はじめて生ずるもので、一大信心のうえに立たなくては、たんなる空論とより聞こえないであろう。

顕仏未来記に、大聖人の御おおせには、「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(508頁)と。

これは、大聖人の仏法が未来の仏法であるとの金言であらせられる。

また諫暁八幡抄にいわく、「天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向かへり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり」(508頁)と。

また顕仏未来記にいわく、

「但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云わく四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや、疑って云わく何を以て是くの如し正像には西より東に向かい末法には東より西に往く」(508頁)と。

以上の御抄に拝するがごとく、インド仏教が東へとわたったように、インド中国へとわたるのである。今日末法に、大聖人の仏法が完全に日本に建立せられた以上は、この日本に建立せられた末法の仏法は、大聖人を御本仏とあおいで、朝鮮へ、中国へ、インドへと、西に向かって発展し、全東洋の民衆を救うので、創価学会は絶対に是を信ずるとともに、この信念にむかって、活動を開始してきたのである。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061203

2006-12-02創価学会の歴史と確信6 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

創価学会の歴史と確信6

【そうかがっかいのれきしとかくしん】

時は当に来たれり。大折伏の時は、まさに来たれり。

一国広宣流布の時は、まさに来たれり。いな、いな、東洋への流布の時が来たのである。

しずかに日蓮大聖人が立宗より大御本尊確立までの、東洋および日本のすがたを注視せよ。

蒙古は宋の国を滅ぼしつつ東洋の平定にかかり、ついに、

弘安二年に宋の国は滅びてしまったのである。

その以前に東洋の諸国は併呑(へいどん)せられて日本のみが残ったのは、御本仏出現の奇しき縁(えにし)のためか。

その日本も、歴史的に調べてみるならば、元の総国力をあげて撃ったなら、風前の灯(ともしび)であったのは寒心のいたりである。

しこうして、全東洋は戦禍(せんか)のために民衆は苦悩の極致にたちいたったのは、今日東洋の状態に、よく似ているのであった。

かつ、日本の民衆が、たえず蒙古襲来に脅えていた姿は、

今日日本民衆が原子爆弾におびえきっているのと同様である。

それに日本民族の苦悩は立正安国論に拝するがごとくで、じつに悲惨きわまるものであった。

立正安国論より拝してたてまつる日本の実情を大聖人のおおせには、「近年来の天変、地夭、飢饉、疫病は日本中であって、この天文上の変動、食糧の大不足、かつ、そのうえに疫病は流行して、苦しまないものはない。牛や馬は地上に死骸となっており、死人の骨は、どこの道路にもいっぱいである。死人多いことおびただしく、生きておっても、たえず死の脅迫のおそれないものはない」(趣意)と。

じつに全東洋民衆の困苦のきわみのすがたは、また日本民衆のすがたであった。

このとき、末法の御本仏は「南無妙法蓮華経」の御本尊とあらわれて、日本民衆および全世界の民衆を救う礎を、たてられたのであった。なんとありがたいことであり、感謝の極致ではないか。しかるに、全民衆は、この御本仏に対して、いかなる礼をとったか。

御本仏日蓮大聖人は、末法の愚痴の全民衆を救わんがため、大御本尊を樹立して、これをさずけくださる完全なる準備をなさったのであるにもかかわらず、謗法の日本民衆は、

大聖人の絶大なるご慈悲に浴そうとはしないのみか、憎み、軽んじ、追い出し、流罪したのである。

勿体ない極みではないか。

しかし、威力ある御本仏の出現は、「南無妙法蓮華経」の声が全国に渡った事実は、りっぱな救世主の証拠ではないか。かくのごとく、法体の広宣流布は完全になりたたれたのであるが、いまだ、御本尊の流布も、戒檀建立も、後の末弟に残された問題であった。日蓮門下七百年の願望は、日興上人にたまわった一期弘法付嘱書(御書全集1600頁)のごとく、本門寺の戒壇建立である。

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を建てられるならば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟此の状を守るべきなり。

   弘安五年 壬午九月 日

             日蓮在御判    

             血脈の次第 日蓮日興」

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061202

2006-12-01創価学会の歴史と確信5 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

創価学会の歴史と確信5

【そうかがっかいのれきしとかくしん】

昭和二十年七月、出獄の日を期して、私はまず故会長に、かく、答えることができるようになったのであった。

「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布するべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」と。

この自覚は会員諸氏のなかに浸透してきたのであったが、いまだ学会自体の発迹顕本とはいえないので、ただ各人の自覚の問題に属することにすぎない。しかるに、今度は学会総体に偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って活動を開始し、次のごとく、牧口会長にこたえることができたのである。

教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、胸にかかげたる大御本尊を唯一の誇りとする。

而して、日蓮大聖人のお教えを身をもってうけたまわり、忠順に自行化他にわたる七文字の法華経を身をもって読み奉り、一切の邪宗を破って、必ずや東洋への広宣流布の使徒として、私どもは、故会長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります」

この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫(びまん)しつつある。

これこそ発迹顕本であるまいか。この確信に立ち、

学会においては、広宣流布大願の曼荼羅を、六十四世水谷日昇上人にお願い申し上げ、法主上人におかせられては、学会の決意を嘉(よ)みせられて、広宣流布大願の大御本尊のお下げわたしをいただいたのである。

七月十八日、入仏式をいとなみ、七月二十二日、学会全体の奉戴式が九段一口坂の家政女学院の講堂に、法主上人、堀御隠尊猊下、堀米尊能師ほか数名の御尊師のご臨席を仰ぎ、学会の精兵は集いよって壮大に営まれたのである。

発迹顕本せる学会は大聖人のお声のままに大大活動にはいったのであるが、前途多難はまた覚悟のうえであるが、われわれがいかに位が高いかを確信すれば、ものの数ではないのである。

すなわち、われら学会人の位は、大聖人より次のごとく評されている。

「此の人は但(ただ)四味三教の極位(ごくい)並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖・畏(い)・厳(ごん)・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出(しょうしゅつ)すること百千万億倍なり、

請(こ)う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ねれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熙連一恒(あにきれんいちごう)の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓(むつき)に纏(まと)われ大竜の始めて生ずるが如し蔑如(べつじょ)すること勿(なか)れ蔑如(べつじょ)すること勿(なか)れ)『四信五品抄』(御書全集342頁)と。

この御真文を拝しえた学会人は、偉大な自覚に立ち、東洋への広宣流布を大願としたのである。

しかも、立宗七百年を迎うるにあたり、一大決意のうえ、実践運動にとりかかった会員は勇気に満ちみち、一糸乱れざる

統帥のもとに、厳たる組織のうえに、足並みそろえて大折伏に行進しだしたのである。創価学会のごとき団体が、過去七百年の間に、どこにあったであろうか。各理事、各部長の勇敢なる闘争心、続く負けじ魂の各会員、講義に、折伏に、火の玉のごとき状態である。

トラックバック - http://sokagakkai.g.hatena.ne.jp/k-esu/20061201