k-esuの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-12-01創価学会の歴史と確信5 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

創価学会の歴史と確信5

【そうかがっかいのれきしとかくしん】

昭和二十年七月、出獄の日を期して、私はまず故会長に、かく、答えることができるようになったのであった。

「われわれの生命は永遠である。無始無終である。われわれは末法に七文字の法華経を流布するべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、われわれは地涌の菩薩であります」と。

この自覚は会員諸氏のなかに浸透してきたのであったが、いまだ学会自体の発迹顕本とはいえないので、ただ各人の自覚の問題に属することにすぎない。しかるに、今度は学会総体に偉大な自覚が生じ、偉大なる確信に立って活動を開始し、次のごとく、牧口会長にこたえることができたのである。

教相面すなわち外用のすがたにおいては、われわれは地涌の菩薩であるが、その信心においては、日蓮大聖人の眷属であり、末弟子である。三世十方の仏菩薩の前であろうと、地獄の底に暮らそうと、声高らかに大御本尊に七文字の法華経を読誦したてまつり、胸にかかげたる大御本尊を唯一の誇りとする。

而して、日蓮大聖人のお教えを身をもってうけたまわり、忠順に自行化他にわたる七文字の法華経を身をもって読み奉り、一切の邪宗を破って、必ずや東洋への広宣流布の使徒として、私どもは、故会長の意志をついで、大御本尊の御前において死なんのみであります」

この確信が学会の中心思想で、いまや学会に瀰漫(びまん)しつつある。

これこそ発迹顕本であるまいか。この確信に立ち、

学会においては、広宣流布大願の曼荼羅を、六十四世水谷日昇上人にお願い申し上げ、法主上人におかせられては、学会の決意を嘉(よ)みせられて、広宣流布大願の大御本尊のお下げわたしをいただいたのである。

七月十八日、入仏式をいとなみ、七月二十二日、学会全体の奉戴式が九段一口坂の家政女学院の講堂に、法主上人、堀御隠尊猊下、堀米尊能師ほか数名の御尊師のご臨席を仰ぎ、学会の精兵は集いよって壮大に営まれたのである。

発迹顕本せる学会は大聖人のお声のままに大大活動にはいったのであるが、前途多難はまた覚悟のうえであるが、われわれがいかに位が高いかを確信すれば、ものの数ではないのである。

すなわち、われら学会人の位は、大聖人より次のごとく評されている。

「此の人は但(ただ)四味三教の極位(ごくい)並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖・畏(い)・厳(ごん)・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出(しょうしゅつ)すること百千万億倍なり、

請(こ)う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ進んで過去を尋ねれば八十万億劫に供養せし大菩薩なり豈熙連一恒(あにきれんいちごう)の者に非ずや退いて未来を論ずれば八十年の布施に超過して五十の功徳を備う可し天子の襁褓(むつき)に纏(まと)われ大竜の始めて生ずるが如し蔑如(べつじょ)すること勿(なか)れ蔑如(べつじょ)すること勿(なか)れ)『四信五品抄』(御書全集342頁)と。

この御真文を拝しえた学会人は、偉大な自覚に立ち、東洋への広宣流布を大願としたのである。

しかも、立宗七百年を迎うるにあたり、一大決意のうえ、実践運動にとりかかった会員は勇気に満ちみち、一糸乱れざる

統帥のもとに、厳たる組織のうえに、足並みそろえて大折伏に行進しだしたのである。創価学会のごとき団体が、過去七百年の間に、どこにあったであろうか。各理事、各部長の勇敢なる闘争心、続く負けじ魂の各会員、講義に、折伏に、火の玉のごとき状態である。

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