k-esuの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-12-02創価学会の歴史と確信6 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

創価学会の歴史と確信6

【そうかがっかいのれきしとかくしん】

時は当に来たれり。大折伏の時は、まさに来たれり。

一国広宣流布の時は、まさに来たれり。いな、いな、東洋への流布の時が来たのである。

しずかに日蓮大聖人が立宗より大御本尊確立までの、東洋および日本のすがたを注視せよ。

蒙古は宋の国を滅ぼしつつ東洋の平定にかかり、ついに、

弘安二年に宋の国は滅びてしまったのである。

その以前に東洋の諸国は併呑(へいどん)せられて日本のみが残ったのは、御本仏出現の奇しき縁(えにし)のためか。

その日本も、歴史的に調べてみるならば、元の総国力をあげて撃ったなら、風前の灯(ともしび)であったのは寒心のいたりである。

しこうして、全東洋は戦禍(せんか)のために民衆は苦悩の極致にたちいたったのは、今日東洋の状態に、よく似ているのであった。

かつ、日本の民衆が、たえず蒙古襲来に脅えていた姿は、

今日日本民衆が原子爆弾におびえきっているのと同様である。

それに日本民族の苦悩は立正安国論に拝するがごとくで、じつに悲惨きわまるものであった。

立正安国論より拝してたてまつる日本の実情を大聖人のおおせには、「近年来の天変、地夭、飢饉、疫病は日本中であって、この天文上の変動、食糧の大不足、かつ、そのうえに疫病は流行して、苦しまないものはない。牛や馬は地上に死骸となっており、死人の骨は、どこの道路にもいっぱいである。死人多いことおびただしく、生きておっても、たえず死の脅迫のおそれないものはない」(趣意)と。

じつに全東洋民衆の困苦のきわみのすがたは、また日本民衆のすがたであった。

このとき、末法の御本仏は「南無妙法蓮華経」の御本尊とあらわれて、日本民衆および全世界の民衆を救う礎を、たてられたのであった。なんとありがたいことであり、感謝の極致ではないか。しかるに、全民衆は、この御本仏に対して、いかなる礼をとったか。

御本仏日蓮大聖人は、末法の愚痴の全民衆を救わんがため、大御本尊を樹立して、これをさずけくださる完全なる準備をなさったのであるにもかかわらず、謗法の日本民衆は、

大聖人の絶大なるご慈悲に浴そうとはしないのみか、憎み、軽んじ、追い出し、流罪したのである。

勿体ない極みではないか。

しかし、威力ある御本仏の出現は、「南無妙法蓮華経」の声が全国に渡った事実は、りっぱな救世主の証拠ではないか。かくのごとく、法体の広宣流布は完全になりたたれたのであるが、いまだ、御本尊の流布も、戒檀建立も、後の末弟に残された問題であった。日蓮門下七百年の願望は、日興上人にたまわった一期弘法付嘱書(御書全集1600頁)のごとく、本門寺の戒壇建立である。

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を建てられるならば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟此の状を守るべきなり。

   弘安五年 壬午九月 日

             日蓮在御判    

             血脈の次第 日蓮日興」

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