k-esuの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2007-01-31比企三郎 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

比企三郎

【ひきさぶろう】

大学三郎能本。名家に生を受けるが没落した。学問して文官として幕府に用いられ、其の時に「立正安国論」に接し、大聖人に帰依したといわれる。夫妻で篤く信仰を貫いた。

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2007-01-30十地 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

十地

【じっち】

歓喜地

離垢地

発光地

焔慧地

極離勝地

現前地

遠行地

不動地

善慧地

法雲地

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2007-01-29十回向 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

十回向

【じゅうえこう】

救護(くご)衆生衆生相回向

不壊(ふえ)一切回向

等一切諸仏回向

至一切処回向

無尽功徳蔵回向

入一切平等善根回向

等随順一切衆生回向

真如相回向

無縛無著解脱回向

入法界(ほっかい)無量回向

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2007-01-28行の重 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

行の重?

【ぎょうのじゅう】

大石寺においては、「観心本尊抄」をさす。

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2007-01-27十行 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

十行

【じゅうぎょう】

歓喜行

撓益行

無違逆行

無屈撓行

無痴乱行

善現行

無著行

得行

善法行

真実

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2007-01-26十住 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

十住

【じゅうじゅう】

発心

治地住

修行

生責住

具足方便住

正心住

不退住

童真住

王子

灌頂住

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2007-01-25十信 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

十信

【じっしん】

信心

念心

精進心

慧心

定心

不退心

回向心

護法心

戒心

願心

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2007-01-24五十二位 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

五十二位

【ごじゅうにい】

別教で立てる、菩薩修行段階で、全部で52ある。

大まかにわけると、退転しかねない段階(十信)、退転をしないと深く心に決める段階、諸々の煩悩を捨て去った段階(十住十行十回向)、無明の惑をほぼ断じた段階(十地・等覚)、そして無明を断じ尽くした段階(妙覚=仏)と上がっていく。

もとより、別教で立てた修行であり、末法の現代に煩悩そのものを否定したり或は無明を断ずる事を目的とする修行は必要ない。

≪分真即≫

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2007-01-23不退位 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

不退位

【ふたいい】

別教で立てる仏を目指す菩薩級が踏む段階で、全部で52あるうちの十住から、十行にあたる段階。信心が定まり、退転をしないと固く決意した者の位置。

不退転・畢定(ひつじょう)と同義。

尚、大聖人の仏法では、基本的にベ別教的概念は用いないので、52位の中では、最高位とされる妙覚の位も、御本尊受持と唱題、折伏の実践により、すぐに得る事が出来るかまたは別教で立てる最高位は初信の者の境涯にも遠く及ばないとする。

四信五品抄

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2007-01-21スカラ座 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

スカラ座

【すからざ】

Teatro Ala Scala

ミラノに本拠地を置く、世界的なオペラハウス及び付随する楽団(ミラノスカラ座管弦楽団)・合唱団

G.ヴェルディ等大作曲家自作の初演も数多く行われる歴史伝統を有すオペラ座であり、近年大規模な改修工事が行われ、期間中は、ミラノ郊外にあるアルティンボルディ劇場が本拠地となっていた。

大変にデリケ−トで出演依頼には経費も含め、交渉を要するようだが、本邦で最初に来日公演を実現させたのは、池田先生の創立された財団法人民主音楽協会が80年代に招聘した公演であり、引っ越し公演であった。

これらのイタリア文化に対する貢献から、2006年、大統領令により池田先生イタリア政府より、最高位勲章であるグランデ・ウフィッチャ−レ章(Glande Ufficiale,英訳:Grand Officer)を授与された。

ヨ−ロッパでは常識であるが、通常国家勲章を授与する場合、爵位等とは異なりコネクションや金銭的な交通でしかるべき部局から発行許可証が降りる事はまずなく、主にコ−ト・ア−ムズと言われる省(若しくは該当する機関)や然るべき審査機関が連携し対象者を国賓として遇するに足る人物か全てに亘って精査し、決定されるものであり日本叙勲制度より厳密な部分があるといえる。

また過去国粋主義的な煽動をしたり、三権に対し挑発的な言動・行動を取った者は、特異な者としてペルソナ・ノン・グラ−タ扱いとなる。

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2007-01-20べ−ト−ヴェン このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

べ−ト−ヴェン

【べ−と−べん】

本名・Ludwig van Beethoven

18世紀中葉より、19世紀前半にかけてヨ−ロッパで活躍した音楽家ロマン派ドイツの産。

ピアニストとしても有名で、数多くの名曲を残した。

晩年は、聴力の減退から、一時は、人生に失望し自殺寸前まで追いつめられたが、「苦悩を突き抜け、歓喜に至れ」との有名な言葉のように、自身の境涯革命人間革命を実現し、人類愛に基づいた「第九」合唱幻想曲に萌芽は感じられる)等、今日世界の民衆に親しまれる数多の最高傑作を遺した。

一方第3交響曲、「英雄」を尊敬していたナポレオンの変節に憤り、ある英雄に捧ぐと題名を変えたエピソ−ドのように、権威主義・貴族的なものに著しい嫌悪を抱いていた。

当時の音楽界では、彼の音楽は、時に革命的な手法に過ぎるきらいがあったようで、ウィ−ンの保守的な向きからは拒絶を受けた事もあった。

統一ドイツの祝賀演奏会では、L.バ−ンスタインの指揮で、米国から欧州までの主要オ−ケストラの合同演奏の元、「第九」が演奏され、4楽章冒頭の「fleude」を、「fleiheit」と変えて歌わせた。

学会に於いては、宗門より独立以降、世界宗教の象徴として、歌われ先生「第九」の意義を指導されている。

又、先生ご自身若き日より、第五「運命」交響曲等、数多くの作品を愛聴されている。


≪創価歓喜の歌

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2007-01-19教行証 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

教行証

【きょうぎょうしょう】

仏道修行をする上で基本の所依となる仏の教えと、それに基づく修行修行に伴う結果。

仏教では、正法年間は、教行証の三つが全て揃っており、像法年間は、教と行があり、末法では教のみあるとされる。

このことは、『大乗法苑義林章』に「教行証の三を具するを名づけて正法となし、但だ教行のみあるを名づけて像法となし、教あり余なきを名づけて末法となす」

また、『仁王経疏』(良賁著)に、「教あり行あり得果あるを名づけて正法と為し、教あり行あり果証なきを名づけて像法と為し、唯其の教ありて行なく証なきを名づけて末法となす」とある。

これらの釈に明確の如く、末法においては、例えそれが釈迦所立の経典を用いようと利益は全くなく、寧ろ謗法となり、末法であることを認めながら、真実の大聖人の仏法を認めない者は、釈迦仏法を弁えぬ者であると言える。

今日は、下種仏法の中から僭聖増上慢が出る時代なので、「人の振る舞いにて」仏法を審らかにする時期であり、

「教」である日蓮大聖人の大生命哲学を、

具体的に近くは我が地域、遠く世界に弘めるといった事実としての「行」、そしてそれによって各人に沸き起こる具体的な功徳としての「証」が具足しきっているのが学会であると言える。

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2007-01-18業引 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

業引

【ごういん】

十界の各界に住するきっかけ。主に現在の状態を決定づける過去の因として用いられる。

「心地観経」によれば、現在の瞬間瞬間の生命の奥底の一念によって、未来も決定されるという境涯論もある事から、現在の瞬間も、一秒後の未来業引という事も出来る。

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2007-01-17畢定 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

畢定

【ひつじょう】

不退転の事。

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2007-01-16上殺 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

上殺?

【じょうさつ】

五逆罪に通ずる。父母・阿羅漢畢定菩薩を殺害する事。

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2007-01-15中殺 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

中殺?

【ちゅうさつ】

凡夫から、小乗悟りを持つ者(阿那含)までを殺害する業引

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2007-01-14中殺 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

下殺

【げさつ】

蟻を含め、一切の畜生を殺害する業引

またそれによって、四悪趣に落ちる。これは、畜生といえども、微善根を有する為であり、罪報として、軽くではあるが苦しみを感じるとされる。

中殺?

【ちゅうさつ】

凡夫から、小乗悟りを持つ者(阿那含)までを殺害する業引

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2007-01-13一代五時 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

一代五時

【いちだいごじ】

釈尊が在世(一代)に、当時のインドで説いた(後の)経典を主に五つの時期と内容に分類したもの。

順に、華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けられ、出世の本懐は、法華部の法華経二十八品である。

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2007-01-12浄土三部経 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

浄土三部経

【じょうどさんぶきょう】

「無量寿経」、「観無量寿経」、「阿弥陀経」の三経。御書で、四巻三部との表記がある場合、主に左記の経典をさす。

法然を破すに際して、これら三部経にのみ執着して、釈尊一代五時の経典を抛っていると「立正安国論」(23頁)で指摘されている。

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2007-01-11証の重 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

証の重?

【しょうのじゅう】

大石寺においては、「当体義抄」をさす。

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2007-01-10教の重 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

教の重?

【きょうのじゅう】

大石寺に於いては「開目抄」をさす。

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2007-01-09無上菩提 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

無上菩提

【むじょうぼだい】

菩提とは、悟りの事で、成仏を指す。

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2007-01-08法滅尽経 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

法滅尽経

【ほうめつじんきょう】

法華経結経「普賢経」と、「涅槃経」との間に説かれた経で、法が滅び尽くす時を像法の終わりと定義した経。

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2007-01-07依正不二 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

依正不二?

【えしょうふに】

正報と依報が、一体相即の関係であり、同時に不可分のものであるという仏法の法理。

理の上から一念三千を分解すると、一念×三世間×十界×十界(互具)×十如実相となるが、仮にAとBの二人がCという国土世間にいて、同じ仕事をしているとする。

Aの一念は、その仕事に従事することが嫌で仕方がなく、一種の強迫観念に追われ(地獄界)作業をしており、

一方に於いて、

Bの一念は、もともとその仕事が好きで、仕事としてそれを行うことが出来る事に歓喜を覚え(天界)ながら、従事している。

あくまで部分観であるが、同じ、Cという国土世間におりながら、一念が地獄界であれば、全ての事象が地獄に見え、苦しみを感じる原因となり、また一念が天界であれば、全てが楽しく、AとBの感じる時間の長さも同じ拘束時間であっても、違うものとなる。

十如実相(十如是)で見ても、法相は、9つの範疇に分けられても、最終的には等しくなるので、辛いものは辛い、楽しいものは楽しいと、一念が発動された瞬間、全てに波及される為、発動する主体=正報と依報は常に連動している事になる。

書きかけ

身土 

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2007-01-06法本尊 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

法本尊

【ほうほんぞん】

人本尊に対応する言葉。重書「観心本尊抄(かんじんのほんぞんしょう)」において開顕された。「南無妙法蓮華経」の事。

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2007-01-05人本尊 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

人本尊

【にんほんぞん】

大聖人の御事。法本尊に対応する言葉であり、人と法が相即(一体)の関係にあることは、曼荼羅の中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」とある事から分かる。人格化された本尊というわけではない。

付属・方軌等様々な観点から人本尊たる所以を明かせるが、ここでは、大聖人の依経とされた法華経から立証すると、

虚空会儀式中、

「法師品第十」の況滅度後、「宝塔品第十一」の六九易、「勧持品第十三」の三類の強敵の経文通りの戦いと魔の出来を一生の内になされた事、特に佐渡流罪を契機として左記の事由から、ご自身が末法に於ける仏との確信を得られたと拝される。

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2007-01-04譬喩品の三徳 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

譬喩品の三徳

【ひゆぼんのさんとく】

法華経譬喩品第三」にある経文に三徳を配せば、

「今此の三界は皆是れ我が有なり(主徳)、其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり(親徳)、而も今此の処は諸の患多し、唯我一人のみ能く救護(くご)を為す(師徳)」(書き下し)

となる。

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2007-01-03主師親 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

主師親

【しゅししん】

主徳、師徳、親徳の三徳の事。

この三徳を一身に備える事が仏の条件とされる。尚、『開目抄』(英訳:"Open Eye")等に散見される如く、外道にも主師親はあるが、衆生を救済する能力に於いては仏と一線を画する。

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2007-01-02 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

【なん】

法華経を行じた故に受をした過去の先例

不軽:杖木・瓦石

釈尊:九横の大

道生:蘇山に流

法道三蔵:顔面に烙印

師子尊者(付法蔵):斬首

天台:南三北七による怨嫉

伝教:六宗による怨嫉

大聖人:立宗直後の東条による圧迫、小松原の、松葉谷の、竜の口の佐渡御流罪

(※極めて短絡的にまとめたもの)

牧口先生:治安維持法違反・不敬罪による投獄、獄死

戸田先生:治安維持法違反・不敬罪による投獄、戦後の登山停止、世間の無認識

池田先生:大阪事件による逮捕投獄、言論問題正本堂問題、第一次宗門事件、会長辞任(勇退)、第二次宗門事件   

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2007-01-01現世安穏 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

現世安穏

【げんせあんのん】

法華経薬草喩品第五に説かれる経文。通常、「後生善処」と一括りで用いられることが多い。法華経を行じる者は、その現世は安穏で、死後も守られ、来世は幸福な生を享受出来るという内容だが、これは本果妙の行き方であり、大聖人の観心立場より拝すれば、を受け、宿命を転換し、生命力を鍛え上げる中に、境涯もより強固になり、依正不二の方程式から、自身と環境もよりよい方向へと変化していくという本因妙の生き方となる。

また、安楽行品や陀羅尼品には、諸天の行者守護が明記されているが、己心の仏界が諸天を呼び起こし、守護させるのであって、「御義口伝」で安楽行品を、「が出来することをもって、安楽と心得べき」(趣意)と釈されるように、何よりも強い一念と、何事にも紛動されない決意が御本尊と境智冥合して初めて、現世安穏の成就が可能となる。

この意味で、「一人立つ精神」という学会の絶対精神は、惰弱な一念を乗り越えて、力強い人生を歩むという、大聖人のお心に叶った「現世安穏」の生き方を志向する者の必須条件といえる。

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