三説超過

三説超過

【さんせつちょうか】

法華経を已今当の三説と比較した場合、

天台・伝教大師の釈によると、已今当の三説(爾前・無量義・涅槃経)が全て衆生の機根に応じて個別に説法(対機説法)されたものであるのに対して、仏が仏の境涯(界)のままに自由に説法することを言う。

また法華経は主に釈尊が悟り(生命の永遠性や十界互具など)を問わず語りに説法したため、無問自説とも随自意ともいい、上記の釈に基づけば、三説はいずれも九界の範疇を出ていないため、法華経はこの範囲で論じられないとして、三説超過ともいう。

いずれにしても、どのような釈尊の教典によっても、法華経に至らなければ成仏は出来ないし、法華経を持っても大聖人の文底の一念三千の南無妙法蓮華経によらなければならないことから、この大聖人の仏法こそが究極の随自意無問自説の法であると言える。

随自意無問自説