倶体倶用

倶体倶用

【くたいくゆう】


体とは本体、用とは働きのこと。この体用を共に具えていることを倶体倶用という。爾前迹門の場合は、法身を体として、報身・応身を用としている。また色相荘厳の仏であるから、無作三身ではない。本門では三身倶体、三身倶用であるから倶体倶用である。そして名字凡身のもとのままであるから無作三身である。ゆえに倶体倶用無作三身とは日蓮大聖人のことである。我々が妙法信受の力用によって即日蓮大聖人と顕れるのである。すなわち※人法一箇の御本尊を信ずることによって、我々もまた当体蓮華となる。また一応、倶体倶用の義は迹門に通ずる。法身に即する時は、報応二身は共に体となる。報応に即する時は、法身は用となる。


例えば爾前迹門の大日如来は「法身」仏であるので、「体」のみあって、実際にはどこで生まれ、どこで成仏し、誰を化導してきたかといった実在性が見出せず、具体的に何をしてきたかという働き「用」がない。諸法(心法)実相(色法)で御本尊の相貌を説明すると、まず中央主題の「南無妙法蓮華経」が法本尊としての「体」をあらわし、「日蓮」が人本尊の働きとなり、上記の※人法一箇の状態が整足し、倶体倶用となる。更に釈迦・多宝に代表される分身の諸仏等は「南無妙法蓮華経」という大聖人の御生命そのものの十界それぞれの働き(=用)の代表をなし、それらを動かす当(本)「体」として、大聖人の御生命(南無妙法蓮華経)を御本尊として受持する者もまた、あらゆる仏・菩薩を動かしていける当体(蓮華)となる。

《反:譬喩蓮華

《名・体・宗・用・教/自受用報身》


【※小辞典から書き写したものだが、まるで意味がわからない。どなたか手を入れてくれると助かる/小野】