出世の本懐

出世の本懐

【しゅっせのほんがい】

仏が世に出現した究極の本意、目的のこと。法華経方便品第二には「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう。舎利弗(しゃりほつ)、云何(いか)なるをか諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したまうと為(な)づく」と説かれている。すなわち仏の出世には、必ずその本懐があり、その本懐が一大事因縁であるとしている。釈尊の仏法では「一」は一切の根本という意味で妙法蓮華経を意味する。この妙法蓮華経は宇宙の森羅万象にわたるので「大」という。妙法蓮華経を説く儀式が諸仏出世儀式で、事実としての姿であるから「事」という。仏が世に出現するには衆生に仏を渇望する機根がなければならず、この衆生の機が「因」となり、仏はこれに応じて出現するので「縁」という。聖人御難事には「去ぬる建長五年[太歳癸丑]四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年弘安二年[太歳己卯]なり、仏は四十余年天台大師は三十余年伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(1189頁)と示されている。釈尊出世の本懐は法華経二十八品を説くことであり、天台大師の出世の本懐は摩訶止観を説くことであった。

《三大秘法》