創価学会の歴史と確信7

創価学会の歴史と確信7

【そうかがっかいのれきしとかくしん】

御おおせにあきらかなごとく、三大秘法の戒壇建立は、

日蓮門下一同の大願である。

これを三代秘法抄と照らし合わせて、勅宣ならびに御教書(みぎょうしょ)を申しくだしのおことばのみ心をとられて、広宣流布と戒壇建立とを逆に考えている者がある。

すなわち戒壇さえ建立すれば、広宣流布が完成したように簡単に考えている。たとえば、いまのごとき弱小の日蓮正宗教団に、国立(本門)の戒壇が建ったとして、どんな結果が生ずるのか。

一国の謗法が御本尊のありがたさを知らない現代では、どんなことになるであろうか。

日本国の謗法者は、国立(本門)戒壇を一個の名物がふえたぐらいに考えるにすぎないのではないか。国立(本門)戒壇にご参詣にきて、邪宗の札と同じ考えで御本尊のお下げわたしを願って、みながそまつにしたならば、一国に起る難事はどんなものであろうか。思い半ばにすぐるものがある。

御僧侶のなかには、また次のごとく言うであろう。「めったやたらに本尊はお下げしない」と。とんでもないことである。寺を建てたが、本尊を下げ渡さないというならば、寺は建ったが、なんの働きもしない。ただ坊主の寝床を造ったにすぎないことになる。広宣流布とは寺を建てるとかいうことではなくて、結論においては、正法が流布して中心がきまらなければならなくなって、寺が建つことになる。

目を開いて一期弘法付嘱書を拝読背よ。「本門弘通の大導師たるべきなり」との御おおせは大切なことである。まず、戒壇建立にいたるまえに、御開山日興上人の御おおせでおり活動して時を待てとの御事である。

日興上人のおおせに、「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書全集1618頁)と。されば日蓮大聖人の末弟をもって任じ、かつ前述のごとく位高き位置にあることを自覚した大菩薩たちは、まず本尊の流布を、身命を捨ててなさなきればならぬことは決定的である。

一国に大御本尊が流布したなら、自然に当然の帰結として戒壇の建立ができるので、戒壇建立ばかり口にして折伏もせず、正法の流布に身命を捨てえない坊主は、実に困ったものである。この考えに任せて、学会人は身命を捧げての折伏行をなしていることは、

申すまでも無いことである。しこうして、広宣流布は日本一国のものでないことを学会人は確信するので、全東洋へ大聖人の仏法は広宣流布することを信じてやまず、かつ、これにむかって、大闘争を、活動を開始したのである。

この東洋への広宣流布は、御本仏を絶対に信じまいらせて、はじめて生ずるもので、一大信心のうえに立たなくては、たんなる空論とより聞こえないであろう。

顕仏未来記に、大聖人の御おおせには、「仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(508頁)と。

これは、大聖人の仏法が未来の仏法であるとの金言であらせられる。

また諫暁八幡抄にいわく、「天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向かへり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり」(508頁)と。

また顕仏未来記にいわく、

「但し五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云わく四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや、疑って云わく何を以て是くの如し正像には西より東に向かい末法には東より西に往く」(508頁)と。

以上の御抄に拝するがごとく、インドの仏教が東へとわたったように、インド、中国へとわたるのである。今日末法に、大聖人の仏法が完全に日本に建立せられた以上は、この日本に建立せられた末法の仏法は、大聖人を御本仏とあおいで、朝鮮へ、中国へ、インドへと、西に向かって発展し、全東洋の民衆を救うので、創価学会は絶対に是を信ずるとともに、この信念にむかって、活動を開始してきたのである。