創価教育学体系 緒言 三

創価教育学体系 緒言 三

【そうかきょういくがくたいけい しょげん さん】

右の事情だから余一人の努力では百年河清を俟つ様なものであったが、偶々同志の青年諸君が自分の事の如く心配し、この事業の為後援会を設けて精神的の援助をなし、余を慰藉し激励し、原稿の整理に印刷の校正に、夫々の助力をなして、今日あるに至らしめたのである。就中戸田城外君は多年の親交から最も早い理解者の一人とて、その自由なる立場に於ける経営の時習学館で実験して、小成功を収め其の価値を認め確信を得たので、余が苦悶の境遇に同情し其の資材を抛って本学説の完成と普及に全力を捧げんと決心し、今では主客顚倒、却って余が引摺られる態になったのである。書放しの原稿にどうやら目鼻が付き、劇職の傍、本書の出来上がったのも主としてその力による。君が近著「推理式指導算術」は君の言う如く、真に創価教育学の実証であり又先駆である。丁抹の国勢を挽回したと謂われる、国民高等学校が今日の隆盛は、主唱者グルントウィッヒの功績よりは、少壮気鋭の後継者コールトのそれに帰せられて居るのを思い起こすとき、暗澹たる創価教育学の前途に一点の光明を認めた感がある。勿論営利などを考える余裕の有り得ないことは、斯様な大部のものを無謀にもこの不景気の時期に出来るだけの廉価を以て提供せんとして居るのでも察せられよう。彼等の目的は今少し遠大の筈である。

此等の同志諸君が熱心なる同情と共鳴とに動かされて、多数の名士大家が応援される事となったのは本学説の為に望外の幸せで、殊に書肆冨山房が出版販売を引受けるに至った事は、単に余一身の仕合せのみではない。出来るならば同志諸君とともに是の尊い力を、教育改造運動に永続的に傾けたいと願って居る。就いては少壮教育者諸君に於ても可否の論評は固より歓迎する所であるが、頑愚でこそあれ、ともかくも数十年の経験に基づく真面目なる主張であることを寛容されて、常識的の批判よりは先ず以て実験を試みられんことを切望する。勿論教育の如き非常に複雑なる要素の総合的の結果は単純なる一二の成敗を以て速断すべきではない。根気強くさえあれば相当の挙証は必ずあろうと信ずるが故である。もしも幸いに共鳴されるならば、相提携して叙上教育の改造によって、国難の救済に翼賛せんと期するものである。教育改造運動に於て吾等の為すべき緊急事項は多々ある。創価教育学会は諸君の同心協力の団体として其の衝に当ろうと期するものである。今此の書を公にするに当って、余を啓発し指導し援護せらるる知友、先輩の大家に謹んで感謝の意を表する。

昭和五年十月    著者識す