十不二門

十不二門

【じっぷにもん】

1.「じゅうふにもん」とも読む。法華玄義に説かれた本迹の十妙を妙楽大師が十の不二門によって釈し、同釈籤巻十四に詳説したもの。法華円教の開顕会入、三千三諦の互具互融の教えによって十妙を十不二門に包摂し、教観一如を説いて衆生の一念の心に各門の相対する原理が不二の関係にあることを明かしている。また、迹門の十妙によって十門の名称を立てるが、法華玄義巻七上には「本迹殊なりといえども不思議一なり」として絶待妙の立場から本迹不二を示し、この十不二門に本迹二門の十妙がおさまるとする。


 イ.色心不二門。境妙によって立てたもの。同釈籤巻十四に「総は一念に在り、別は色心を分つ」とある。十如是、四諦等の境は総じては衆生の一念に色心不二としてあり、別しては色法と心法のニ法に分別される。また三千の諸法は衆生の心性におさまり互具互融しており、ゆえに一念を知ればあまねく一切を知ることができる。


 ロ.内外不二門。智妙、行妙によって立てたもの。観法の対境に内境と外境とがあり、色心をおさめる一念の内境も、一念の依処となる一切の外境もともに三千三諦の妙境であって内外不二である。


 ハ.修性不二門。智妙、行妙によって立てたもの。諸法の本性(本然として具わる実相、仏性)と修行によって得られるものとは同一であり、修行によって本性は顕現し、本性によって修行が起こるゆえに修性不二である。


 ニ.因果不二門。位妙、三法妙によって立てたもの。因位にある衆生も果位に達している仏も、所持する仏性に何らの差異はないゆえに因果不二である。


 ホ.染浄不二門。感応妙、神通妙によって立てたもの。無明と法性とは無始以来一体であり、無明に覆われた染心と悟りの境界を得て衆生を教化する浄心とは不二である。たとえば濁水と清水とが本来一体であって縁によって相違が生ずるようなものである。


 ヘ.依正不二門。感応妙、神通妙によって立てたもの。同釈籤に「三千の中(うち)生陰の二千を正と為し、国土の一千を依に属すを以って依正既に一身に属す。一心あに能所を分たんや。能所無しと雖も依正宛然なり」とある。この正報と依である国土ともまた不二である。五陰と衆生の二千世間を正報、国土の千世間を依報とし、この依正の三千世間は即一心・一念にあるゆである。


 ト.自他不二門。感応妙、神通妙によって立てたもの。自とは能化の仏、他とは所化の衆生神通力を有し、よく衆生に応ずる自と、仏の出現を感ずる他とは、ともに本来三諦三千の当体であり、一念の心に自他を具えるゆえに自他不二である。


 チ.三業不二門。説法妙によって立てたもの。仏は身口意の三業をもって衆生を教化する。色心不二のゆえに三業もまた不二である。


 リ.権実不二門。説法妙によって立てたもの。仏は衆生に応じて権教(三乗)、実教(一乗)を説くが、ともに仏の一念に冥合している権実のあらわれに他ならないゆえに権実不二である。


 ヌ.受潤不二門。眷属妙、利益妙によって立てたもの。衆生の本性は権実不二であるが、因縁によってあるいは権、あるいは実となり、異なる眷属の中に生を享(う)ける。故に仏は権実・大小、様々の教えによって衆生を教化するが、元々衆生の本性は異なることがないから、能化の仏も所化の衆生もともに権実の差別がなく、同じく寂光土に生を享け、同じ利益に潤うゆえに受潤不二である。


2.十不二門義、十不二門論、法華本迹十不二門、法華十妙不二門等と呼ばれる。一巻。妙楽大師著。法華玄義釈籤巻十四の中の本迹十妙の解釈を別行にして一巻にまとめたもの。著作の主意は一に妙解を現すために要略した文で大要を示している。ニに妙行を示して複雑にならないように考えられている。すなわち、天台大師の法華玄義を教相と観心の面からみると、教正観傍の立場で説かれているのを、妙楽大師が教観両面から十妙を説いたもの。著作の意を述べて、次に十門を立て、教相観心の相承の宗趣を明かし、十門の意義を説いている。そして十門は十妙の異名であると述べている。