実相寺大衆愁状

実相寺大衆愁状

【じっそうじだいしゅしゅうじょう?】

「実相寺衆徒愁状」とも。日興上人が書いた訴状。文永5年(1268年)、幕府に提出。

 日蓮大聖人を師と仰ぐ日興上人は、その青年時代、天台宗延暦寺系の寺院である実相寺を拠点に布教をしていた。実相寺は、静岡県富士市岩本に所在する。

 実相寺の三代目院主は道暁であったが、あまりの堕落ぶりに反発した寺僧たちが訴え、やっとの思いで退かせた。ところが後任の四代目院主となった慈遍は、道暁にまさるとも劣らない堕落僧であった。

 この四代目院主慈遍の傍若無人な振る舞いに悩んだ実相寺の僧たちは、鎌倉幕府に慈遍の解任を上申する。その堕落僧・慈遍を追放する動きの中心にあったのは、弱冠二十三歳の日興上人であった。

 日興上人は、みずから筆を執り、慈遍の僧としてあるまじき五十一カ条の罪状を挙げて、幕府への訴状草案を作った。その「実相寺大衆愁状草案は、北山本門寺に現存する。実際に幕府に提出された訴状も、日興上人の清書になるものであったろうとされている。

『地涌』第621号