方便品

方便品

【ほうべんぽん】

法華経方便品第二のこと。方便品は、十方仏土の中には唯一仏乗の教法のみであることを説いたのである。

まず、方便という語(ことば)を、天台大師は三義に解釈している。

第一を法用方便という。衆生教化の方法として、衆生の機根に応じ、衆生の好むところに随って説法をし、真実の門に誘引する用をなし、利益をなすことをいう。すなわち声聞乗の人には四諦の法を説き、縁覚乗の人には十二因縁の法を説き、菩薩乗の人には六度の法を説いたりしたことは、教化の方法が人々の機根に相応しておのおの功用利益があったので、これを方便説といい、一般に通ずる義である。

第二を能通方便といい、方便とは真実に対する語で、真実に入る門との意である。法師品の「方便の門を開いて真実の相を示す」の文からとったのである。

これは何のために方便の法を説くのかというと、別に真実の理があって、それへ入らせる門戸になるという方便の性質を示したものである。これも一般に通ずる義である。

以上の二つは、方便品に「正直に方便を捨てて、但(ただ)無上道を説く」と説かれている方便の教えで、42年間に説かれた阿弥陀経、大日経、蘇悉地(そしつち)経等の権教で説かれているもので、現在では用いない。

第三を秘妙方便といい、爾前経において三乗即一乗法なることを秘して明かさなかったのを秘方といい、その秘方をいま打ち明けて三乗即一乗法なりと顕したのが妙であり、妙を便と名づけるのである。秘方とは三乗法をいい、三乗法がすなわち一乗法であることを妙便(みょうべん)というのである。これによって、この経が方便品と名づけられ、またこれが法華経に限る方便の義釈でもある。

また、秘とは仏と仏のみが知っていること、妙とは衆生の思議しがたい境涯をいう。末法の衆生は種々の悩みや、凡夫そのままの愚かな境涯に住んでいるが、その身そのままが久遠元初以来、御本仏日蓮大聖人の眷属であり、仏なのだと悟ることが秘妙方便である。

そして、法用、能通の義により一乗法とは別の三乗法を方便という。

すなわち法華以前の方便は体外(たいげ)の方便といい、一乗法と同体の三乗法を体内の方便であるという。法華経の方便は、体内の方便というのである。

これまで、三乗法即一乗法であることを秘していたのを打ち明けて、三乗即一乗なりと顕すのを開三顕一とも開権顕実とも開顕とも開会(かいえ)ともいうのである。

この経の所詮を要約すると、教行人理の四一開会であって、

教に約すれば、三乗即一乗であり、

行に約すれば、汝等所行是菩薩道であり、

人に約すれば、二乗作仏であり、

理に約すれば、諸法実相四仏知見であり、

この四一について、顕一を説くのである。

そして、開三顕一については、まず略開三顕一と広開三顕一との二つに分けられ、略開三顕一は十如是の文であって、いわゆる一念三千の法門はこれから出ているのである。

釈尊は、五千の衆が礼仏而退(らいぶつにたい)の後、純有貞実(じゅんぬじょうじつ)の衆のみであるのを見て、「増上慢の人、退くも亦(また)佳(よ)し」として広開三顕一を説かれ、三周の説法がある。方便品はそのうち法説衆の正説の段にあたる。

法華経迹門では、法説衆、譬説衆、因縁衆の三周の声聞が成仏を許され、それぞれ正説、領解、述成、授記が説かれている。

三周の声聞に対する説法を図示すると次のようになる。


f:id:sokaodo:20060930220946j:image


その化導の方法は五仏(十方諸仏、過去仏、未来仏、現在仏、釈迦仏)の同道であることを示し、必ず三乗をもって衆生の機根を調熟し、最後に一乗の究竟法を説いて、仏の出世の功徳の終わりを示しているのである。

三乗方便