波木井実長

波木井実長

【はきい さねなが】

 波木井六郎実長。法名は日円。日蓮大聖人の門下。甲斐源氏末裔(まつえい)。南部三郷(波木井・御牧・飯野)の地頭。南部三郎光行の六男(異説あり)で、南部六郎実長が正式な名前。南巨摩(こま)郡の波木井に住していたので波木井殿と称されていた。文永11年(1274年)、日蓮大聖人が身延入山の折は、山中に草庵を造って外護した。弘安4年(1281年)には、十間四面の堂を建立・供養して久遠寺とした。大聖人の滅後は身延山の学頭となった民部日向(みんぶにこう)に影響されて、大聖人の教えに背いた。1.釈迦仏像の造立、2.箱根伊豆の両権現(ごんげん)と三島明神への参詣、3.念仏の福士の塔への供養、4.九品(くほん)念仏の道場を建立――の「四箇の謗法」を犯し、日興上人が身延を離山する要因となった。

 しかしながら、実長の子である清長は、身延離山直前の日興上人に対して、「もし身延沢を御出で候えばとて、心変わりをも仕り候て疎(おろ)そかにも思い進らせず候。又仰せ入り候御法門を一分も違え進らせ候わで、本尊並びに御聖人の御影のにくまれ(=罰)を清長が身にあつく深く蒙るべく候」(正応元年12月5日/富要8-10)と忠誠を誓っている。また、「原殿御返事」(編年体1734頁)は、実長の子(弥六郎長義か?)に対して書かれたものであるとされている。


南部六郎六郎恒長とは、波木井実長のこと。

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