無問自説

無問自説

【むもんじせつ】

法華経に至ると釈尊は、二乗菩薩の問いを待たずに自ら法を説きだす。これを、無問自説という。または、随自意とも。法華秀句には、法華経がことに勝(すぐ)れていることについて十の特色が述べられている。これを十勝といい、その一つに「無問自説果分勝」がある。内証の果分の妙法、果分の神力、果分の秘蔵、果分の深事が、いずれも勝れていることが説かれている。

随自意折伏》 《反:摂受

 第七天鼓自然鳴の事 疏に云く天鼓自然鳴は無問自説を表するなり。御義口伝に云く此の文は此土他土の瑞同じきことを頌して長出せり、無問自説とは釈迦如来妙法蓮華経を無問自説し給うなり、今日蓮等の類いは無問自説なり念仏無間禅天魔真言亡国律国賊と喚ぶ事は無問自説なり三類の強敵来る事は此の故なり、天鼓とは南無妙法蓮華経なり自然とは無障碍なり鳴とは唱うる所の音声なり、一義に一切衆生の語言音声を自在に出すは無問自説なり自説とは獄卒の罪人を呵責する音餓鬼飢饉の音声等一切衆生の貪瞋癡の三毒の念念等を自説とは云うなり此の音声の体とは南無妙法蓮華経なり、本迹両門妙法蓮華経の五字は天鼓なり天とは第一義天なり自説とは自受用の説法なり、記の三に云く無問自説を表するとは方便の初に三昧より起つて舎利弗に告げ広く歎じ略して歎ず、此土他土言に寄せ言を絶す若は境若は智此乃ち一経の根本五時の要津なり此の事軽からずと、此釈に一経の根源五字の要津とは南無妙法蓮華経是なり云云。(713頁)