熱原の三烈士

熱原の三烈士

【あつはらのさんれっし】

弘安2年、熱原の法難によって斬首された3名の烈士のこと。


日興上人の弟子分帳には以下のように書かれている。

「一、富士下方熱原郷の住人神四郎兄。

一、富士下方同郷の住人弥五郎弟。

一、富士下方熱原□□□□□郎」(□部分は欠損しており判読不能)」

(3人目の人物は兄弟ではないとみられる)

「此の三人は越後下野房の弟子廿人の内也。弘安元年信じ始め奉る処舎兄弥藤次入道の訴に依て、鎌倉に召し上げられ、終に頸を切られ畢ぬ、平左衛門入道の沙汰也。子息飯沼判官十三歳ヒキメヲ以テ散散に射て念仏申すべきの旨再三之を責むと雖も、廿人更に以て之を申さざる間、張本三人オ召し禁て斬罪せしむる所也。枝葉十七人は禁獄せしむと雖も終に放たれ畢ぬ」