第32回「SGIの日」記念提言-②

第32回「SGIの日」記念提言-②

【だい32かい「SGIのひ」きねんていげん】

≪ 北朝鮮とイランの核開発が問題化 ≫

とはいえ、核をめぐる状況は、予断を許しません。それどころか、眉をひそめたくなるような憂慮すべき危機的状況にあるといっても過言ではない。

 昨年の北朝鮮による核実験の強行は、一衣帯水の国だけに、ミサイル問題と合わせ、日本をはじめ周辺諸国に深刻な脅威をもたらしました。しかも、国連決議に見られるように、世界中から非を浴びながらも、北朝鮮はその計画を捨てようとせず、頓挫していた6カ国協議も年明けて幾筋かの光明が見られるものの、決して楽観は許されません。

 イランをめぐる核疑惑にしても、長年、紛争が続いてきた地域だけに、どのような核拡散の連鎖反応を呼び起こしていくか、予測の限りではありません。

 多くの人々が憂慮しているように、核兵器が核の闇市場を通してテロリストの手に渡るなどしてしまえば、想像を絶する、戦慄すべき事態を招いてしまうこと、火を見るよりも明らかです。残念ながら、世界中に2万7000もの核弾頭を抱え、そうした危機的状況に直面しているのが、21世紀初頭の現実です。

 もっとも、北朝鮮やイランに核兵器開発の自制を求めることは当然のこととして、それを一方的にずるだけではバランスを欠きます。現在の核状況を招きよせた一般の責任は核保有国にあり、核保有の現状を容認したままでは、いくら不拡散を言っても保有国のエゴイズムではないかという言い分に反駁することは、なかなか困でしょう。

 そのためにもNPT(核拡散防止条約)やCTBT(包括的核実験禁止条約)などに、保有国は率先して、積極的に取り組まなければならない。NPTには、保有国が核軍縮を誠実に推進するよう謳われているにもかかわらず、進行は一向にはかばかしくなく、むしろ形骸化さえ憂慮されている。

 周知のようにNPTは、5年ごとに再検討会議を行っていますが、2005年にニューヨークで開かれた会議は、核保有国と非保有国との対立で機能麻痺に陥ってしまっている状況で、私と対談集を発刊したロートブラット博士などは「現在の危機は、三十五年のNPTの歴史で、最悪のものです」(『地球平和への探求』、潮出版社)と慨嘆し、とりわけ保有国の誠意ある取り組みをうながしていました。

 「ラッセル・アインシュタイン宣言」に署名した人々の唯一の生存者(当時)であり、人生のすべてをかけて核軍縮に挺身してきた方の警鐘だけに深く耳を傾けるべきでしょう。そうでなければ、国際世論に逆らってでも強引に核開発を推し進め、その既成事実の上に存在感を誇示しようなどという隙を与えてしまう。保有国の誠実な姿勢、努力に裏打ちされて始めて、核軍縮への流れが形成されるのだということを、決しておろそかにしてはならない。

 ともすれば、核拡散へと向かいかねない流れを、どう軍縮の方向へと向けていくか─その“転轍機”(線路の分岐点で車両を2方向に進行させる装置)は、やはり、人類の将来を見据えた発想の転換でしょう。

 かつて、アインシュタインは、「解放された原子力は、われわれの思考様式を除いて、一切のものを変えました」と警告しました。その発言を精神的巨人特有の預言者的言辞であり、現実的対応にはなじまないとする論調が昔も今もありますが、私はそうは思いません。

 その意味で、1月4日付の「ウォールストリート・ジャーナル」しに、「核兵器のない世界へ」とのタイトルで掲載された、ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、ヘンリー・キッシンジャー、サム・ナンの各氏の共同執筆による論説記事に記された次のメッセージは、きわめて注目すべきものでしょう。

 「今現存する核兵器は、甚大な脅威をもたらすと同時に、歴史的なチャンスを提示してくれている。世界が次なる段階へ進むよう、牽引役としてのアメリカの指導力が求められている。いうなれば、核兵器への依存を地球規模で克服しようという確かな合意を形成して、危険性を孕んでいる勢力への核拡散を防ぎ、ついには核の脅威を終焉させるための重要なステップとしていくべきなのだ」

 アインシュタイン的発想は、いわゆる“現実主義者”といわれる人にも決して無視できなくなっているのではないでしょうか。そうでないと、たとえば人間の不信感、猜疑心と恐怖感のみに依拠した“抑止論”の泥沼から、容易に抜け出せなくなってしまう。たしかに核軍縮は、M・ヴェーバーのいう「情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業」(『職業としての政治』脇圭平訳、岩波出版)でしょうが、そうした忍耐強い努力を続けていく“バネ”となるものこそ、発想の転換であると思います。

 その意味からも、日本人の唯一の被爆国としての反核への信念は、軽々に捨て去ってはならない。北朝鮮の核実験を機に、核論議の解禁をうながす声もありますが、私はそこに“抑止論”に踏み込みかねない、ある種の危うさが感じられてならない。

 たしかに、北朝鮮の核問題(拉致問題も含めて)は、悩ましい問題であります。“対話と圧力”といっても“対話”路線だけでは二進も三進もいかないような題に直面せざるをえないような事態は、個人的にも国家的にもつきものです。

 そうしたアポリア(問)、ジレンマにどう立ち向かい乗り越えていくかで、人間の真価が、平和への信念がどれほど強固なものであるかが、問われます。アインシュタインをはじめ、良心的な科学者がそうであったように、その過程で悩みに悩み、苦しみに苦しみ、ぎりぎりの選択を勝ち取っていく労作業なくして、核廃絶への道筋は見出せないにちがいない。