開目抄

開目抄

【かいもくしょう】

「五大部」の一つ。文永9年2月、佐渡塚原にて四条金吾並門下一同に与えられた。

上下巻にわたる大著で、特に本抄を「人本尊開顕の書」、『観心本尊抄』を「法本尊開顕の書」と称し、古来宗門の二大柱石とされてきた。

開目の義

主師親の三徳具備の末法の御本仏を正視出来ない原因は一切衆生が低劣な権教に執着することにあり、その盲目を破ることが主眼であったことから題号を「開目」とされたと拝される。いうまでもなく、今日、九界即仏界の原理から、また地涌の菩薩責任と自覚から三徳を備えた全体人間現実の生活の中で、三徳を反映させる(仏知見を開く)為には、御本尊に対する”信”が絶対の要件である。

本抄の位置 

「五大部」でも『立正安国論』は時の最高権力者に与えられた国諌の建白書であるため、論理構成、文書表現上からも、時間をかけられ、最大の努力をはらわれ、二年有余の歳月をかけて完璧を期されたが、本抄ではわずか数ヶ月のうちに一気呵成に書き上げられ、自身が末法の御本仏としての「主師親の三徳具備の救済者」という烈々たる御内証を自由闊達に外面上は流罪の身で、佐渡という極限の状況でいわば仏法を弁えぬ他者からすれば最低の地獄界の中で文章として表現されておられる。

碩学、日亨上人は、「筆舌に尽くせぬ大法難の最中、深縁の門下に、筆紙に窮乏になかから、遺言的にしたためられた重書であるから、信読、身読にあらざれば、奥旨に達することができぬ」と述べられている。

竜の口の法難

また御振舞いの上においては、佐渡流罪以前の御立場上行菩薩の再誕であるのに対し、竜の口以降、自受用報身の再誕としての立場を明らかにされた大聖人のお姿こそ、まさに本地であり、末法随一の南無妙法蓮華経を御所持された、最も根本の御仏(御本仏)としての御振る舞いは、御所持の三大秘法の妙法を説ききって、法体を確立し、一切衆生根本的救済への道へと導く佐渡以降の御活動の主体となった。

三沢抄』に「法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」(1489頁)、とあるように、まず上行菩薩として鎌倉において厳しい現実社会を直視し、苦悩にあえぐ民衆を救い、社会を変革するという、地涌の菩薩としての主体的・能動的な御振舞いをされきって、全民衆に希望を与えるという今日の我々の行動原理を自らの死をかけて、当時の鎌倉社会、民衆、幕府に示され、結果松葉々谷の法難、伊豆流罪、小松原の東条景信による迫害、竜の口、そして佐渡流罪と言語に絶する難を受け切られて後、上行菩薩としてのご自身の使命を全うして法華経金言を証明し、そして佐渡の地において実際に人・法本尊を開顕されて、以降は三大秘法御本尊の開顕と確立、後継の弟子の育成に入られたのである。

建立本尊と退転の恐れのある弟子への警告

上述のように三大秘法の大御本尊の御建立に先駆けて、取り分けてまず御自身が末法下種の人本尊であることを鮮明にする事が、必要不可欠の要請となっていた事が伺われる。更には鎌倉在の弟子中には、法華経行者であるはずの大聖人に、何故、諸天の加護なく、難が出来するかという門下にとっての最大の疑問に対し、『法華経』「勧持品」「安楽行品」「常不軽品」等の経釈を挙げ、逢難と謗者無現罰の理由を明かされる。本文にも、「此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば、処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」とあり、ついには諸天の加護を求めない、広布、令法久住への非常に厳しく、且つ強靭な御自覚と御決意を披瀝される。

対告衆

竜の口の法難の際、自ら不惜身命の精神で大聖人につき、また顕本を遂げられた一部始終を直に見たのは四条金吾の他になく、『開目抄』の精神を理解することは他の門下には困難であったからと思われる。又それらの者の大聖人に対する疑惑・動揺は大きく、信徒の代表格で中心者的存在であった四条金吾に一切の疑いを解明した本抄を与え、疑いを晴らし、結束を固めさせる目的と考えられ、この事は本抄末部の補完を目的に著されたとされる、『佐渡御書』にも同様の理論があてはめられる。最後に、当時の仏教一般の慣習で、僧俗の役割分担の上から、在家信徒によって実際の社会に仏法思想が広まる方程式があり、特に大聖人は民衆の救済・蘇生に眼目をおかれたので在家の代表として、御配慮されたものと思われる。

《報中論三/正在報身/事顕本/日亨》