阿育大王

阿育大王

【あそかだいおう】

アショカ、アショーカとも。古代インドを統一したマウリヤ王朝の第3代の王。パーリ語ではアソーカ(Asoka)という。漢訳では阿育・阿輸迦などと音写し、無憂と訳す。王は自らを「天愛喜見王」と呼んだ。即位当初は、「残虐阿育」と呼ばれるほど残虐で、約10万人を殺害したとも伝えられているが、仏教を尊崇するに至りこの惨状を深く反省し、武力の征服をやめ、法(ダルマ)による支配を根本とした。仏教の慈悲の精神に基づいて諸宗教に寛容な態度をとり、戦争放棄平和主義平和外交・福祉政策の実践に励み、即位26年間で25回の恩赦を実施し寛刑主義を貫いたとされている。尚、「徳勝童子・得勝童子」の故事は有名である。


東大の学術データベースにあるTHANAVUDDHO BHIKKHU氏の論文にこうある。

1. Azoka王の摩崖法勅に記される5人のギリシア王の共通在位年代と、Candraguptaの即位年代、そしてセイロン伝が示すCandraguptaによる即位からAzoka王の灌頂即位までの56年という3要素によって算定した結果、Azoka王の灌頂即位は267B.C.であることが分かった。

2. セイロン有部両伝承の内容を検討した結果、仏滅年代に関してはセイロン説の218年を信用すべきであることが判明した。Azoka王の灌頂即位は267B.C.であるから、それにこの218年を加えた485B.C.が、本論文が到達した仏滅年代である。