yasuyo-yoの求道辞典

2007-08-30三道

三道

【さんどう】

三種の道のこと。

煩悩道、業道、苦道のこと。輪廻三道、三輪ともいう。衆生六道の生死(迷い、苦しみ)を続けていく状態を示したもの。

煩悩道(惑道)とは無明、貪欲、瞋恚などの煩悩のこと。

業道とは煩悩から起こる善悪の身口意の所作。

苦道とは惑、業を因として招いた三界六道の苦果(苦しみ)。

道は「通ずる」の義で、この三つが互いに因果となって相通ずるゆえに三道という。この三道は十二縁起を三種の道に分けたもので、阿毘曇甘露味論巻上因縁種品の文によれば無明、愛、受の三つは煩悩になり、行、有は業になり、識、名色、六入、更楽、痛、生、老死の七つは苦になる。また十二因縁の頌では「三に従うが故に二を生じ、二従うが故に七を生じ、七に従いて復た三を生ず。是の故に輪の転ずるが如し」と煩悩、業、苦の三つが相通じて、煩悩から業に、苦から更に煩悩を生じ、輪のように展転して連続する様を示している。日蓮大聖人は当体義抄に「正直に方便を捨て、但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は、煩悩・業・苦の三道・法身・般若解脱三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり」(512㌻)と、三道の流転を三徳に転ずる法を説かれている。

②見道、修道、無学道のこと。行位の三道ともいい、小乗の声聞乗、大乗の菩薩乗の修行の階位を次第に立てたもの。ともに涅槃に通ずるので道と名づける。

見道。見諦道、見諦ともいい、一切の見惑を断ずる位。無始以来初めて無漏の聖智(煩悩を離れた清浄な智)を生じて四諦(仏教の真理)を明了に見る位で、この見道に達しない者を凡、見道以後を聖という。倶舎論巻二十三では小乗の声聞乗の修行の位を四向四果に配して預流向の者を見道とする。成唯識論巻九では大乗の菩薩乗の階位を唯識の五位にあてて第三位の通達位(初地の位)を見道としている。

修道。一切の修惑を断ずる位。見道についで更に具体的にしばしば修習して修惑を断ずる位。声聞乗にあっては修習位(初地住心以後乃至第十地)をいう。

無学道。煩悩を断尽し更に学ぶべき法がない位。学とは修行の義。無学位、無学果、無学地ともいい、諸惑を断尽して究極的な悟りに入った位で更に学ぶもののない位。声聞乗では阿羅漢果菩薩乗では究竟位(仏果)をいう。

③十悪業道(よく苦報の通ずる十種の業因)の中の貪、瞋、邪見の三つのこと。大乗義章巻五では三根として貪、瞋、癡の三つをあげ、三道として貪(自己の情にかなうものに執着するあくなき心の作用)、瞋(自己の情けにかなわないものを憎み憤る心の作用)、邪見(因果の道理を無視する妄見)の三つをあげている。

④十界のうち地獄界、餓鬼界、畜生界の三つをいう。